現地の友人家族が家に泊まってもよいということで宿泊させてもらった。
場所はバンドゥン市内でも比較的裕福そうなエリアに位置していた。
ただしそういった家でもトイレットペーパーがなかったのはインドネシアらしいところ。
奥さんいわく昔は現地インドネシア人のメイドを安く雇うことができていたのだが、
今はメイドもスマホをいじってばかりでろくに働かないから自ら家事をしているのだとか。
朝ごはんは麺類。
朝からラーメンを食べてしまう。
バンドゥンからスマランへと向かう。
インドネシアと思って期待していなかったが以外にも道路がきちんとしている。
バンドゥンから北部へといくとジャワ島を横断するように高速道路がはしっていた。
ちゃんと高速道路として機能している。
外の景色はやはり田舎。だが田んぼや家を見ているとスマトラ島よりも人口密度の高さがうかがえる。
サービスエリアで休憩。
意外にも結構近代的な雰囲気の施設だった。
流石に国の二大都市であるジャカルタとスラバヤを結ぶ道だけある。
伝統民族衣装のバティックの販売店。
スマランへと向かう。
途中のチルボンを通ってジャワ島西部からジャワ島東部へと。
途中のお菓子ブラウニー。
バナナのおやつ。
スマランの街へとやってきた。
こちらは街中心部の駅前ロータリー。
そしてこちらが・・
ラワン・セウという歴史的建造物。
やってきたのはスマランの街中にあって虹の村ともいわれる場所。
こんな感じで斜面に建ち並ぶ家々の外壁や天井がカラフルにペイントされているのだ。
かんぷんぺらんぎというこの街。
この丘にある街はかつては厳しい貧困状態のスラムの様相を呈していたそうだが、街の政策によってカラフルでペインティングすることで観光客を呼び込んで発展とともに経済効果を狙ってこのような形になったのだとか。
ようすをみていると周辺の町やインドネシア国内からの訪問が多いようで、
まだまだ外国からの訪問客は少ない様子。
インターネット上でも日本人で訪れたブログ記事などは数が限られるようだ。
ものすごく細い路地を通り抜けて丘の上を目指す。
どんな狭い路地でも至るところがペイントされていて徹底されている。
民家の外壁だけでなくて歩く通路や階段さえもがペイントされているのが面白い。
道案内標識もお洒落。
丘の上へ行くのに民家の軒先のようなところも通って行くのだが、
それが許されてしまうあたりはアジア的な緩さを感じてしまう。
人通りの多い立地を活かして売店も。
展望台のようなものが見えてきた。
少し雰囲気は違うが、同じく人気のある台湾の虹の村にも似た雰囲気だ。
こちらも廃村の復興開発を目指したもので同じようなストーリーが背景にある。
展望台からの眺め。
ちょうど夕暮れ時で良い感じ。
高い建物は一切ない。
この展望台でまさかの日本人女性二人の観光客に会った。
まさかこんな辺鄙なところへ、しかも女性だけで来るとは驚きだ。
しかも、前日の宿で部屋が鍵が締まらず怯えながら夜を過ごしていたのだとか・・・
インドネシア人も根が良い人が多いとはいえ、治安的に不用心なのは心配しかない。
タクシーは変なのを使わないようにアドバイスして、万が一の際のために連絡先を教えておいた。
頂上から下へ戻る頃にはすっかり暗くなってしまった。
やってきたのは夕食のためのレストラン。
クリスマスツリーと電飾がいい感じの場所だ。
こちらで今回お世話になった地元のご家族と共に豪華な食事をいただく。
こちらの町中のホテルで一泊。
明朝は地元で評判の良いレストランで朝ごはん。
昨晩も良かったがこちらもお洒落な盛り付けのインドネシア料理で美味しいかった。
この日はジャワ島の更に西にあるスラバヤへと向かうのだがしばらく列車の出発まで時間を潰す。
スマラン一の観光名所であるラワンセウへ。
入り口には機関車が展示。
こちらが千の扉と言われるラワンセウ。
人気が高いようで観光に訪れている人もたくさんいた。
正面からみるとなかなかの迫力。
オランダ植民地時代の建物だが戦争中は日本軍にも使用された。
列車の時刻が近づいているのでお世話になった地元家族にお礼を言って別れたあと、Gojekのバイクに乗って鉄道駅へと移動する。
モスクではムスリムがお祈りを捧げている。
駅へと到着。
駅構内はなかなか大きな建物で中もなかなかきれいに整備されていたので使い勝手は全く問題なかった。
チケットも問題なく購入。
そしてインドネシアの屈指の大都市であるスラバヤへと移動する。