遂にスマトラ中部のブキティンギへとやってきた。
少し休んで外を歩くと街のメイン通りには豪華な歩道橋が建っている。
後で分かったが, これは街の動物園の中にある施設だった。
メイン通りから雰囲気のある路地裏を抜けていくと特徴的な屋根の家が。
この建築様式はこの地域一帯の伝統的なものでミナンカバウ文化と言われるものだ。
路地ではちょっとおしゃれな落書きも発見した。
ちょっと君の名は的な雰囲気もある階段を上がった通りは動物園に繋がっていた。
道路に面した入り口から混雑していて観光客用の馬車の列がもできている。
外国人客用は少し高めの値段設定だが, それでも150円程度の入場料である。
中の動物園はそこまで大きくない。
しかし動物展示だけでなく, 博物館や遺構が展示されていてピクニックしている人も多い。
単純に動物を見る目的というよりも公園として市民の憩いの場になっている感じだ。
美しいミナンカバウ様式の建築物が公園の中心となっていた。
建物の内部は文化博物館となっていて昔の白黒写真や民族衣装等が展示されている。60,000ルピア。
訪れている地元の人は王族の衣装を着て記念撮影にいそしんでいる。
これまたミナンカバウ様式の門を抜けると最初に道路から見た歩道橋を渡れる。
この上からだと町全体が見渡せる。背後に山が控えていて高原地帯の様相だ。
歩道橋を渡った先にはオランダ統治時代の遺構であるコック要塞だ。
といっても建物自体は大したものは残っておらず, ちょっと名前負けしている。
ここの周りでは乗馬体験を楽しんでいる人たちが大勢いた。
コック要塞側の出入り口から動物園を出て下町の路地を下っていくと, ちょうどゲストハウス前の通りに出てきた。
一旦ホテルに戻り, 一休憩してから再び外出。
こちらは商店街だ。田舎町だがSHARPやLGなど海外企業の看板も。
奥には通路が狭いが更にローカルな市場もある。
壁側の向こう側には広範囲に市場が広がっていたそうだが, 大火事で焼けてしまい今は閉鎖しているそうだ。
上も市場の一角だが, 赤い屋根で統一されて赤い傘が吊るされていてお洒落な通りになっている。
インドネシアにおける独立の英雄と言えばデビ夫人の旦那である
スカルノとハッタの二人だ。
ジャカルタにあるスカルノ・ハッタ国際空港の名前の由来である。
そのうちの一人ハッタは故郷がブキティンギであり, 生家がハッタ博物館として残されている。
そしてグラブのバイクタクシーで100円程払って, いよいよパノラマ公園へ
ここが一番面白かった観光地だ。
150円払って入場すると, いきなり絶景が目の前に広がる。
更に日本軍トンネルの入り口を発見。
でかでかとLobang Jepangと表示されている。
Lobangはトンネル。Jepangは日本を意味する。
入口の前にたむろしているのは記念写真を撮る観光客と外国人相手にガイドをして生活の糧にする人達だ。
彼らいわくこの中のキッチンでインドネシア人が殺されていたという話が伝わっているそうだ。
(ただし最近の事実検証によりそういった説明文は撤去されたそう)
トンネルの中は結構深い。
降りていくのは良いのだが帰ってくるのは息が切れる。
よくこんな深い場所を掘ったなと感心するのだが, 作業をしたのは駆り出された地元の労務者だそうです。
中はかなり広く相当な人数が動員されていたと思われる。
トンネルを出た反対口には休憩所があったのでコーヒーを一杯飲む。
近くにいたガイドの人と話をした。
38歳でジャカルタに子供もいて時々会いに行くそうだが旦那とは離婚しているそうだ。
旅行代理店に勤めていたので多少の日本語を介する。
今は外国人相手にフリーのガイドをして稼いでいるそうだ。日本人も一日一人くらいくるそうだ。
200円程度で売店で買ったタバコとコーヒーを勧めるとタバコは甘みのついたインドネシアのものしか吸わないそうだ。
この人が地元の逸話を紹介してくれた。
昔はロウムシャとして多くの人が亡くなったが, 今も日本人に一日一人インドネシア人が殺されているんだとか, トヨタさんやホンダさんやスズキさんに。。。
(注:インドネシアでは交通事故で亡くなる人が多いというブラックジョーク)
トンネルを通って入口に戻らず, 丘を越えていくルートで帰っていたところ途中に墓地があった。
そして展望台からは渓谷の光景が。
それからゴジェのバイクタクシー100円程でバスターミナルへ行ってパレンバンまでの長距離バスチケットを2500,000ルピア(1800円程)で購入した。
夜中で暗かったため結構危なっかしい雰囲気もあったが, 問題なく購入できた。
ただし, どうやら実際に乗るバス会社はここの店とは別のようだ。
夜はここしか開いていないのでしょうがないが, 昼間に直接バス会社で購入していればもっと安く済ませられただろう。
この日は大晦日。時計塔の前には多くのインドネシア人が集まってきている。
地元の人はここの時計塔広場で年越しをするのが定番だそうだ。
自分は周りと一緒に年越しまでしたかったが, 前日からの夜行バスの疲労と明日からまた夜行バスに乗らなければならないので早めに宿に戻って休むこととした。