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【世界旅ブログ】アジアの辺境・奥地へ

【伝統家屋を見ながらバス飛び乗り】インドネシア横断旅:前編その七:そしてパレンバンで軍歌を聴く


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今回はブキティンギを出発してジャンビを経由しパレンバンを目指す。

  

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前日にチケットを買ったブキティンギのバスターミナルまでGOJEKでバイクタクシーを呼び向かう。

出発時刻9時の15分前には着いていられるよう30分前には宿を出たのだが,

バイクがなかなか来ずに結局着いたのが5分前ぐらいになってしまった。

 

バスターミナルに入るとヨアンダプリマのバスはあっちと言われたので

そのまま向かうと途中で止められて別の人がこっちへ来いというので降りて付いていった。

 

しかし, これが全く関係ないチケットを売り込む客引きであった。

どうやらヨアンダプリマというのはバスを運営している会社で, そのバスを手配する代理店がバスターミナルには沢山あるようだ。

 

いやチケットは既に持っているんだという事を伝えると放り出されてしまい,

どこに行けば良いのか分からなくなったので急いで昨夜チケットを買った元の代理店へ戻るとバスが出発するところへ連れて行ってくれた。

 

しかし, なんとバスが既に出発したところだった。

とりあえずそこにいたバス会社の人に事情を話をすると,

バイクに乗せて追いかけてくれることになった。

 

バイクに飛び乗って走らせること5分程度だったろうか,

途中でバスに追いつき乗せて貰い助かった

 

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ブキティンギのバスターミナルを出てしばらくはパダン方向へ向かう。

この辺は鉄道も走っているようで線路を見かける。

 

最初バスがガラガラだったのでやけに人が少ないなと思っていたところ途中でパダン郊外のバスターミナルに止まり人が更に乗ってきた。

 

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ミナンカバウ文化の残るパダン地方は車窓を見ているのが楽しい。

街並みの中に時折特徴的な屋根を持った建築物が結構な頻度で見られるから飽きないのだ。

基本的にこの建築は観光用あるいは学校や役所など公共施設が多いようだが,

生活している家族がいるのであろう住居用とみられるものも中にはあった。

 

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もう一つ印象的だったのがこの地方の食文化。

パダン料理としてインドネシア国内でも有名なのだが, レストランのシステムが独特

初めにあらかじめ盛り付けられた皿から好きな分だけとり, その種類と料理に応じて値段が決められるのだ。

 

理解していなかった頃は値段も分からないので食べるのを躊躇していたのだが, 慣れると実物を見て適量とる事ができるので大変便利なシステムである事に気づいた。

値段が不明瞭とはいえ飲み物50円、1食100-200円程度である。

 

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バスの車内は座席の横幅が結構広く一番後ろでリクライニングも自由に倒せたので快適だった。夜もぐっすりである。

もちろん今では見慣れたインドネシアバス後方の喫煙室も健在である。

 

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夜のトイレ休憩では売店が並んでいる区画があったので毎度のPoP MEを購入。

夜行バスの休憩や船旅で食べるカップヌードルは不思議といつもの何倍も美味しく感じる。

前回同様で旅芸人にもまた遭遇した。

バスは結構揺れるため寝つつも時折壁に頭をぶつけていたら気付いたら大きなたん瘤ができてしまっていた。

  

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ブキティンギを出て国道をずっと走ってきたが, 途中でそれてスマトラ島の中堅都市であるジャンビを翌朝に通過。

国道を逸れてから少し道の舗装が雑になった気がする。

バスの振動で頭をよくぶつけ気が付いたら大きなたんこぶができてしまっていた。

 

インドネシアの中では一地方都市に過ぎないこの周辺で話されるマラッカ海峡言語インドネシアの統一言語となっている。

ジャンビから更に走り, ついに9時頃予定より三時間早くパレンバンに到着した。

  

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このヨアンダプリマというバス会社はスマトラ中にバス網を張り巡らしているようだ。

配車アプリのゴジェで100円程でパレンバン中心部に行きホテルを確保した。 

 

ここはメダンに次ぐスマトラ第二の都市である。流石に街並みは都会的だ。

  

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パレンバンは大きな街。

都心部に立地しており部屋のグレードの割に値段が安く済んだと喜んでいたら安い理由が夜に判明した。

 

ともかくホテルに荷物を置いてから先ずはパレンバンへ向かう。

グラブタクシーを使用した。39,000ルピア。

パレンバンから次の目的地であるスマトラ南部バンダル・ランプンへはバスでも勿論行けるだろうが鉄道も走っていると聞いていたからだ。

  

途中ではこの街のシンボルであるアンパン・ブリッジを渡る。

  

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鉄道駅ではこの前まで開催していたAsian Games 2018のペインティングが。

またクリスマスの飾りつけも。

 

スマトラ島の鉄道網は3つに分けられる。

メダンを中心とした北部・パダンを中心とした中部・そして南部である。

北部と中部が都市の中心部と郊外を結ぶ鉄道なのに対して南部は大きな都市を結ぶ路線である。

だから今回は鉄道を使ってみようと考えていたのだ。

 

鉄道駅は川沿いでフェリー乗り場も併設されている。

 

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無事に明朝のチケットを購入して再びアンパン・ブリッジの袂に戻ってきた。

この周辺には公園や博物館や市場があって市民や観光客が集まる場となっている。

すると謎の体操集団に出くわした。ダンスサークルか何かだろうか。。。

 

何をしようかとブラブラ考えていると川沿いにたむろする船頭が話しかけてきた。

話を聞くと船によるムシ川ツアーをやっているそうだ。

 

値段が1,300円(200,000ルピア)程だったし, なんかよく分からなかったので最初断ったのだが, 結局やることが特になかったのとネットで調べたらこのツアーなかなか面白そうなので1,000円程(150,00ルピア)に値切ったうえで乗ることにした。

 

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川沿いには中小サイズの船が並ぶ他アジアでは定番の水上家屋が見られる。

もう色んな場所で見てきたので驚くことはないが, 近くに小規模の造船所もあるところを見ると単なる貧しい水上スラムというわけでもなさそうだ。

 

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アンパン・ブリッジから離れていくほどに段々と工業的な景観になっていく。 

日本でも川崎や四日市など工場夜景萌えが流行ったが, この町でもこういった川から見る工場見学が観光の一つとなっていて時折観光客を乗せた船とすれ違う。

 

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パレンバンのムシ川沿いは産業が発達していて船が頻繁に行き交っている。

何より驚いたのは水上ガソリンスタンドがあった事だ。

それだけ多くの船がこの川を航行していくという事だろう。

 

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ムシ川沿いの工場の景観は圧巻。

巨大な肥料工場や製油所などが立ち並び数多くの荷揚げ用クレーンが立っている。

ここにいるとインドネシア後進国だという事も忘れてしまうほどだ。

 

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数キロメートル程行った先には中華様式の寺院がある。

ここは観光スポットらしいのだが, 興味ないのでスルー。笑

もう少し川をフラフラ見て回り戻る事にした。
 

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反対岸には浮遊式の水上家屋もあった。

そしてアンパン・ブリッジに戻る。

 

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アンパン・ブリッジの袂には海軍施設もあった。

ここは戦時中は日本軍に使われていたとか。

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そして公園の隣にあった博物館を訪問。

入館料は20,000ルピア(154円程)。

ここが中の展示はそうでもないのだが, ガイドが面白かった。

 

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ましろきくじのー

日本軍の軍歌を歌って見せたのだ。

日本軍の教育を受けた叔父から日本語を少し習ったそうだ。他にも『とてた兵隊さんがやってきた』(名前の聞き違い・覚え違いがあるかもしれない)などいろいろ歌えるそうだ。

しかもシンガポールの事を戦時中の呼び名である昭南島という言い方をしていた。

ガイドの叔父が戦前の欧米石油メジャーが操業していた時代から油田開発に携わっており, 戦中は日本軍部隊のサポート(プルソ部隊といっていた)戦後はプルタミナに働いていたそうだ。

 

戦争時ここは空の神兵と謳われた落下傘部隊が降り立った町である。

話を聞いてみると実際に降ってきた落下傘のほとんどは人形だったそうだ。

ダミーを作らないと地上から狙い撃ちされるからだろう。

 

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その辺で捕まえたバイクタクシーに10,000ルピアで乗ってホテルに戻る。

夜はショッピングセンターで近代的な食事。

50,000ルピア(400円)と流石にこれまでと比べると高くついてしまった。

 

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ホテルに帰り出しておいた洗濯を受け取る。(52,000ルピア)

寝ようとしていた真夜中頃にホテル中に大音量が響き渡り建物が揺れる。

どうやらこのホテルにはディスコが備わっていて寝られなくなるから値段が安かったようだ。

後で地元の人に聞いてみるとこの町では有名なクラブなんだそう。

それでもいつの間にか無事に寝付いていた。

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