スマトラ北端のバンダアチェからバスによる長い道のりを経て遂に南部のパレンバンまで移動してきた。
そして今回はスマトラ島で初めて本格的に鉄道を使って南端の都市バンダル・ランプンへ鉄道で移動だ。
(メダンでも鉄道を使用したが郊外の空港と街の中心部を結ぶもので都市間の移動用ではなかった)
8時半発の鉄道に乗るため朝8時頃にグラブタクシー(36,000ルピア)でパレンバン駅へ向かう。
到着したとき小銭が足りない事に気付いたのでドライバーには待っていて貰い近くの売店でタバコを買って(36,000ルピア)お金を崩した。
そんな事をしていたら出発まじかの8時20分頃に。
待合室に進むには係官のチェックが必要である。
前日に発行してもらった紙を見せて中に入ろうとすると,
チェックインを済ませて来いという。
ここでは飛行機のように搭乗直前にチェックインするシステムであった。
昨日買っておいたのはチケットそのものではないようで予約券を当日チケットに引き換えなければならないようだ。
チェックインには機械ですぐに済んだので出発には余裕で間に合った。
待合室は広く近代的な雰囲気である。
アジアの駅では床に寝ている人をしばしばみかけるがそんな人達もここにはおらずアジア的光景に慣れ親しんだ自分には少々ショッキングであった。
更に駅のプラットフォームへ入っていくと謎のマスコットが鎮座する。
そしてその奥にあるプラットフォーム横に列車が停車している。
始点・終点となるターミナル駅の雰囲気はどこの国でも旅情を誘う。
列車の上にはパンタグラフも電線もない。電車ではなくディーゼル列車だろう。
列車の中はボックスシート式である。
今回は4人用のボックス席をインドネシア人の男一人と一緒に広々と使って座った。
便利だったのが各ボックスの窓側にコンセントが備わっていた事。
旅している間は携帯電話が情報源でホテル予約や位置情報確認など携帯が必需品だ。
そのため盗難を警戒するのはもちろんだが, 電池の消耗が早いと電池切れが怖いところである。
なので充電ができて電池の心配をする必要がないのはありがたい。
しかもコンセントのタイプが日本と同じなのでそのまま使う事ができる。
コンセントが日本式という事は日本が車輛を提供しているのかもしれない。
実際ジャカルタでは日本の中古車輛が沢山走っている。
パレンバンも中心部は都市的空間だが, 少し郊外に行けば田園風景が直ぐに広がる。
更に離れると農耕地というよりもありのままの自然といった様子だ。
時折小さな町があり駅で停車する。
当初は窓際に陣取りずっと外を眺めていたのだが,
車掌が回ってきて窓のカーテンを閉めろという。
理由もわからず言われた通りにしていたが, 向かいのインドネシア人に理由を聞くとこの辺りで列車を見ると石を投げてくる子供達がいるのだそうだ。
それで窓ガラスが割れて中に入ってくると危ないからカーテンを閉めるのだとか。
とはいえカーテンを閉めるとかなり閉塞感がある。
なので車掌が通り過ぎてしばらく経つと結局皆少しずつカーテンを開けて外を眺め始めるのだ。
自分も周りと同じように外を眺めていたのだが, 結局列車に向けて石を投げつけてくるような輩は見ずじまいであった。
途中途中に結構大き目の駅も挟む。
鉄道路線は国道から離れた山間部を走るのだが, この地域で中心となる町だろうか。
このエリアで印象的だったのは, 建物の屋根だ。
中部スマトラや北スマトラで見かけた特徴的な建物の屋根とはまた違った特徴が備わる建築である。スマトラ島の文化圏は屋根の建築で区別されるのかもしないなと思った。
田園風景はなんとものどかな光景だ。
途中には旅客列車よりも遥かに長い車両数を持つ貨物列車も見かけた。
鉱山や油田の多いスマトラ島ではやはり貨物輸送が鉄道の中心となるようだ。
この旅の出発直前にスマトラ島とジャワ島の間スンダ海峡にて地震があった。
ニュースでは津波の被害により死者もかなり出ていると聞いていた。
日本のニュースでは詳細はつかめておらず勿論状況によっては海峡を渡るのをやめる事も選択肢に入れていたのだが,
向かいのインドネシア人に被害状況を聞いてみると被害はあったがスマトラ島とジャワ島を結ぶフェリーは問題なく動いているのだそうだ。
鉄道の終点であるバンダル・ランプンの街も被害はなかったそうだ。
相変わらず続く特徴的な建築物。
鉄道からだと少し高い位置から見下ろす形となるためジャングルの中にこういう建物があるとなかなか景色が映える。
日没が近づいてきて, そろそろ終点のバンダル・ランプンに近くなると駅の間隔が狭まる。
バンダル・ランプンはあまり知名度の高い街ではないが, 100万人以上の人口を抱える大きな町。
18時15分到着予定だっただが, 日も暮れてすっかり暗くなった7時頃ついに終点に到着だ。
名前はタンジュンカラン駅という。
バンダル・ランプンは元々二つの街に分かれていたが, その一つがタンジュンカランという街だった名残である。
この街は特に観光するところもなさそうで, 近くのショッピングセンターでご飯を食べて床に着いた。