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【世界旅ブログ】アジアの辺境・奥地へ

【ヤンゴン街歩き】:本編その13:NLDのアウンサンスーチー、麻薬撲滅博物館

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翌朝はホテルで朝食を摂る。 

 

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この日はヤンゴン市内で興味のある場所を回る。

しかも市内バスを使用してみた。

使い方は専用アプリをインストールして行先を指定すると最寄りのバス停からの出発時刻・バス番号・到着時刻が表示されるので初心者にも分かりやすかった。

 

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バス停にて搭乗。

仏教グッズが運転席付近を埋め尽くすのはタイと同様だ。


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直行のバスがなかったため途中で乗り換え。

次のバスが道の反対側であったために大量の車が流れている大通りを必死になって渡る

そして反対側でバスを待っていると突然のスコール

きちんと雨宿りできるところもなかったのだが, 屋台の狭い屋根を皆で共有してなんとか凌ぐ。

 

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30分以上待ってやっと来たバスに乗り旧アウンサン邸宅を訪問。

バスから降りる頃には豪雨は止んでいた。

 

ミャンマー独立の英雄であるアウンサン将軍が暗殺されるまで過ごした邸宅であり, 当然ながらその娘アウンサンスーチーの家でもあった。

 

この邸宅は現在はボージョーアウンサン博物館として公開されている。

 なお現役のアウンサンスーチーも中には入れないが, 門の前で記念撮影をするのが人気らしい。

 

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若かりし頃のアウンサン一家の写真が並ぶ。

 

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またバス亭に向かうため街中を歩いていると掲示板には東京オリンピックの宣伝が。

何故だろうかと首を傾げていると, よく見たらここは日本大使館の前であった。

しかも目の前を公用車が通り過ぎようとしているところであった。

 

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そして現在アウンサンスーチーが所属して民主化の原動力となっているNLD党の本部へとやってきた。

別にここで何をするわけでもないのだが, なんとなくインターネットでヤンゴンの名所を調べていて気になっていたのだ。

びっくりする事にセキュリティはかけらもない

扉は解放されていて誰でも入れる雰囲気であった。

 

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建物の中はアウンサンスーチーの写真や似顔絵が沢山。

 

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訪問者が多いのか建物の隣の道端には屋台がありアウンサンスーチーのTシャツなどが売られている

 

アイドルじゃあるまいしとも思うのだが, 

ともするときな臭いイメージもあるミャンマー政治からは想像もできない緩さの空間でほっと安心する。

 

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日本食料理屋にて久々の日本食

流石に日本人駐在員の多いヤンゴンだけあって本格的。

近年ミャンマーは急速に産業が成長していて日本人駐在員の増加率も非常に高い国だ。

 

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この後麻薬撲滅博物館というところに行ってみた。

 

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広々とした敷地に大きな建物が。

ミャンマーはかつて黄金の三角地帯ことゴールデントライアングルの一角を形成しアヘン栽培が盛んな国であった。

 

ラオスやタイと共に現在は沈静化はしているものの収入減に乏しい地方の産業からこれを撲滅するのは大変だったであろうことが想像できる。

そんなミャンマーの歴史が分かるこの博物館である。

 

ちなみにゴールデントライアングルのへそとも言える三つの国の国境地点は現在観光地化されていて沢山の旅行者を引き付けている。

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ちなみに博物館での写真撮影は有料である。

 

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海外でドラッグを吸っていた欧米人によるヒッピー文化の展示もあった。

もちろん危険な文化を持ち込んだというネガティブな意味においてである。

 

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博物館を出てダウンタウンへと戻る。

 

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続く

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【ヤンゴンのスラム街ダラを訪問】ビルマ縦断の旅:本編その12:日本の船に乗りスラムへ

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待合室で待っていると来た時は船が出たばかりだったからかガラガラにもかかわらず 5分も待っているとすぐに一杯になった。

そこに対岸からの船がやってきて大量の乗船客が降りてくる。

 

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乗船客が降りゲートが開くと, 乗船者が一斉に乗り込む。

思っていたよりもずっと大きな船であった。

これなら一気に大量の人数を載せられる。

自分は写真を沢山撮りたかったので, 2階の端に陣取る。

出航してからヤンゴン川の景色を必死にとっていると, 隣の人が日本人かと日本語で話しかけてきた。

 

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船からはヤンゴンの港に沿ってタンカーなどが並ぶ様子が見て取れた。

どうして日本語が話せるのだと尋ねると, 友達が日本大使館で働いているとの事だった。

何で船に乗っているのか, 仕事は何しているのかと聞くと,

普段は向こう岸でシクロドライバーをやっており, 子供の送り迎えでヤンゴンに来ていた帰りであるとの事だった。

 

本当は今日乗り物に乗るつもりは全くなかったのだが, 落ち着いた語り口調で自分から営業をかけてこない姿勢に好感を覚え, 自分から家を訪問させて貰えないかとお願いした。

1時間9,000kyatsでどうだと言ってきたので, 相場はよくわからなかったが, さっき広場で話したインド系の女は20,000kyatsぐらいじゃないかと言っていたから, 安いもんかと思い, 8,000kyatsにだけまけてもらい合意した。

 

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日本とミャンマーの国旗マークが記された向こう岸に着くと, 沢山のドライバーから声を掛けてきたが, 彼らを無視して先ほどのドライバーのシクロに乗る。

彼自身はビルマ人のようだが, ここのドライバーはムスリムが多いそうだ。 

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自転車のサイドカーに乗って, 10分程走ると彼の自宅に到着した。

ここまでの道中話に聞いていた通り, この国のどこで見たものとは明らかに異なる圧倒的な貧困地帯が広がっていた。

家はボロボロだし, 狭いところに沢山の人が肩を寄せ合って暮らしているようであった。

細い道端には狂犬病を心配してしまうような野良犬が沢山寝ていた。

とはいえ, ドライバー達は住民一人一人を見知っているようで, 声をかけあっており, その見かけとは裏腹に悲壮的な雰囲気は全く感じられなかったのも印象的であった。

 

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彼の家に到着した祖母と子供に挨拶をする。

椅子に座らしてもらい, よくよく話を聞くと家は海外によくある違法建築かと思いきや, ちゃんと家賃があり, 払って生活しているという。

飲料水は井戸水の水質が悪いため飲むことができず, 雨季は雨水を, 乾季はヤンゴンから500チャットで飲料水を購入しなければならず家計を圧迫する原因となっているとの事であった。

 

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子供はタナカを付けている。男も18歳くらいまではタナカを付けるそうだ。

家にはTVは備わっていた。

東南アジアの田舎ではクーラーなど他に必要そうに思えるものよりもTVが優先的に備わっている事が多い気がする。

 

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またダラでたまに見かけた水田はここの住人のものではなく, 持ち主はヤンゴンに住んでいるという話であった。

結局住人の数に対して稼げる仕事が不足しているのが, この町の問題点になっているようだ。

  

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街中には学校のような建物もちらほら。

大きな通りには商店も建ち並ぶ。

 

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 彼らの話を聞いていると, 最も深刻なのは医療関係のように思われた。

ダラにも病院があるようで無料で利用できるようだが, 信用されていないそうだ

 

彼の祖母も病気で視力を失ったそうで, 子供は9か月早く生まれて病院通いだそうなのだが, 高額ではあるものの, ヤンゴンの病院に行っているそうだ。

おそらく医療保険に入っていないからだろうか1万円近くかかるそうで月収が非常に低い彼らにはとてつもなく大きな負担である事が察せられた。

 

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自宅訪問の後, 時間がまだ余っていたので, バンブービレッジという津波で大きな被害を受けた村へ寄ったのだが, この村はダラの中でも更に貧困が酷い場所であり, 子供達の多くがサンダルさえ履いておらず裸足で道を歩いていた

 

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一通り村を見て回った後, 近くの米屋で自分も米を購入して寄付させてもらった。25,000キャット分で俵に自分の名前を記した。

ダラに住むドライバー自身も年に一度子供達のためにサンダルを寄付しているそうだ。

貧しい者同士でも助け合いながら生きていこうとする姿勢にはなんとなく昔の日本のイメージとも重なり, 今の日本人も見習わなければならないところも多々あると感じられた。

 

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結局なんだかんだ時間を食ってしまい埠頭に戻る事には1時間過ぎていたのだが, 寄付をして, もう10,000kyatsしか残っていないから足りないなら歩いて帰るよと伝えたのだが,

お前は自分の家に来てくれたんだ, お金の事は気にしなくて良いから, との男前発言。

 

ここまで言わせて遠慮するのも無粋に思えたので, 遠慮なく乗せてもらい, スコールが降り注ぐ中埠頭まで走った。結局着いた頃には1時間半ぐらい経っていたと思うが, 10,000kyatsだけ支払って, 彼らと記念撮影を沢山とった。

残念ながら彼らはfacebookなどをやっておらず写真は渡せなかった。

 

到着した頃には全身ずぶ濡れだったのだが, 不思議とそんな事も全く嫌な気がせず, ほっこりとした気持ちでヤンゴンに戻っていったのであった。

印象に残ったのは彼ら自身が貧しい生活をしているにも関わらず, より貧しい住民を助けながら, 声を掛け合い生きていく姿であったと思う。

この旅の中でも忘れられない経験であった。

 

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大型フェリー以外にも小舟が庶民の足となっているみたいだ。

 

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ダラ自体にはほとんど仕事がないのであろう, 多くの在住者は対岸のヤンゴンで様々な仕事をしているようだ。

 

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対岸のヤンゴンに戻ると再びの大雨に見舞われたので銀行らしき大きな建物が雨宿り。

 

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そして雨が止んだ頃ガイドブックにも掲載されている近くの有名なティーハウスへと行ってみた。


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値段もミャンマーにしては割高で素晴らしいカフェなのだが, ある意味植民地文化の象徴のような場所でもあり, 華麗な上級社会を彷彿とさせる場所とこの日訪れたスラム街の二つの対比があまりに大きくなんだか不思議な感覚であった。

 

ミャンマーのスラム街ダラ地区には日本としても大型フェリーを寄付するなど歴史的に協力してきた経緯もあり, 今後発展していくミャンマーに取り残されないよう引き続き支援していって欲しいと思っている。

 

 

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【ヤンゴンのスラム街への道】ビルマ縦断の旅:本編その11:ヤンゴンの街中歩きから

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お昼過ぎに陽の光で目を覚ました。

ヤンゴンの街中へ

ヤンゴンのホテルは地方とは違い, どこも値段の高いところばかりであり, 自分の泊まったホテルはヤンゴンの中では格安に近い料金だったので, どんな場所か心配もしていた。

しかし, 思っていたものより, よほど立派な宿泊場所であった。

部屋はきちんと掃除が行き届いており, 水回りも綺麗にされていた。広さも十分で廊下やロビーは厳かな雰囲気もあって, 大満足であった。

そのホテルはダウンタウンの中でも北端のヤンゴン中央駅近くにあったので, 少し外をブラブラ歩いてみる事にした。

駅に向かう陸橋の歩道はミャンマー風の屋根が特徴だ。

特に目指す所もなかったので, ダウンタウンのシンボルでもあるスーレーパゴダに向かっていくこととした。

 

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道中はこの国最大の街のダウンタウンらしく, 今までミャンマーで見た事ないほどの人が行きかっており, 人々の話し声で騒がしかった。

騒々しさは以前に通ったタチレクの国境のようでもあったが, 異なるのは街そのものの発展度である。

3,4階建て以上の建物が見渡す限りそびえており, それぞれの部屋は幅が狭く, 通りに灯りが十分にないため見かけはスラムのような感じもある。

しかし, 危ない雰囲気は一切なく, 頻繁に見かけたのは映画館であり, この国での娯楽施設としては映画館が人気があるのかなと思ったものだ。

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またこの国でもタイと同じように宝くじが人気あるのか, 宝くじ商店もしばしば見かけた。

スーレーパゴダ一つ手前の交差点では自動車交通量が多すぎて, 徒歩では渡る事ができない代わりに, 立派な歩道橋が架かっていた。

上ると渡る人も多いのだが, 何をしているのか, ただ立っているだけの人も多くいた。

また他の街ではあまり見かけなかった物乞いもちらほらいたのだ。 

 

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ダウンタウンで目立つスーレーパゴダ。

消防署の前を通り向かっていく。

 

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パワースポットにあやかっているのか手相占いの店が立ち並ぶ。

 

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入り口には参拝客を相手にした花売りが待つ。 

国内最大であり, イギリス統治時代に発展した港街というだけあって, 外国人というだけで特別扱いされる訳でもないのは流石ヤンゴンといったところだ。

スーレーパゴダの写真を外から撮って, 広場に行くと物売りが何人かいた。

そういえば朝から何も食べていない事を思い出し, 300キャットのうずらの卵を買って食べた。

この国ではうずらの卵やそれをたこ焼きのようなもので揚げたものが人気なのか売られている光景をよく見かけた。

 

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観光名所でもある独立記念塔のある公園にて上手く殻を剥くことができず, 時間をかけて食べていると, 一人の女が話しかけてくる。私が川の対岸にあるダラという町を案内するよとの事。

このダラという場所はヤンゴンの最貧困地区として知られ, 自分も今回の旅で行こうと思っていたところの一つであったため, 話を聞いてみる事とする。

記念碑の近くに並んで座り, 話を聞くと彼女はダラに住んでいる学生であり, いつも船で川を渡り, バスで学校に通学しているとの事。

 

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川を渡る船賃は現地の人でも有料なのだが, 日本人が寄贈した船と整備した埠頭で運航されているため, 日本人は無料であるとの事。

 

対岸ではトゥクトゥクをチャーターして, BambooVillageやRice field, Snake Pagoda, 陶器の町などを回ると言う。

だが, ここで心配なのはお金の面である。ガイド料はとらないというのだが, ネットで調べるとトゥクトゥク料金を巡ってトラブルが続発しているようだった。

また外務省の海安全渡航情報でも同様の警告が出ていた。

 

彼女が言うには旅行者が直接交渉すると外国人相手にトラブルが発生するが, 地元の私がいれば大丈夫との事だったが, どこまで信用してよいのか不明だったために, とりあえず今日はやめて, 明日にすると伝え別れた。

 

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ただトゥクトゥクを使わなければ, 船賃も無料だし, 渡るだけ渡って歩いてプラプラして良ければ, また明日来ようと思い, 埠頭に向かってみる事とした。

途中にヤンゴン証券取引所があったので5分間ほどついでに立ち寄る。

 

ダラ行きフェリーに向かう歩道橋や埠頭では対岸住民の人々が激しく行き交っている

彼らの流れに沿って, お金を払うところで日本のパスポートを見せると, あっちの窓口へ行けと言われたので, 行ってみると名前の記帳を求められたので記入する。

どうやら外国人はそうしないといけないようだ。

またガイドは必要かと問われたが, 今日はブラブラ歩くだけと答えたら, それ以上は何も言われず通して貰えた。

事前情報通り日本人は無料であった。

 

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そしてスラム街ダラへと続く。。

 

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【交通事故とヤンゴン日本人墓地】ビルマ縦断その10:ネーピードーの休憩で別の行き先のバスと間違えて・・

バガンで交通事故

陽も沈んだ頃パガンのホテルにバスターミナルへ移動するための迎えのバスが来た。

バスといってもトラックの荷台である。このトラックがバスに乗る旅行者を集めるため色々なホテルをしばらく回っていく。

 

 

自分は荷台の後方に腰を降ろしていた。そしてニャウンウーの近くで比較的広めの道路にて一時停止していた時, 突然真後ろから強烈なドーンという音とともに衝撃がトラックに響き渡る

乗客全員が後ろを振り向くとそこには二台のバイクが横たわっていた。

 

どうやら一台は観光客のレンタルバイク, もう一台は地元民のバイクで両者が交通事故を起こして片方のバイクがトラックに後方から突っ込んできたようだ。

トラックの荷台に乗った我々乗客には怪我はなかったものの, 事故を起こしたバイクのの方にはかなりの衝撃力があったもようで, 何とか周りの助けで本人は立ち上がったものの, バイクの方はフレームが曲がったのかタイヤが回らない状況になっていた。

もの凄い音がしたしとても不安であったが, 本人は大丈夫だという素振りなので道路横に休ませて運転手の友人に任せてバスターミナルへと進んでいった。

 

バガンからヤンゴン

小雨が降り注ぐ中でヤンゴンに到着したのは, 朝6時半頃であった。

元々の予定ではバガンからインレー湖方面や首都のネーピードーに立ち寄っていくつもりであったが, 日数が足りなくなってしまったので, 結局どちらも飛ばしてミャンマー最大都市ヤンゴンへ行く事としたのだ。

ミャンマーのバスは意外にも快適であり, 自分が乗ったのは3列シートのVIPバスではなかったのだが, それでもシートは横幅が十分に広く, リクライニングも結構できるし, 軽食も配られ, スマホの充電用USB端子まで付いているなど, 日本の長距離夜行バスよりよほど心地よく移動する事ができた。

 

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利用したのは大手バス会社であるE-lite社のバスである。旅行者にも人気のバス路線のようだ。

 https://www.facebook.com/Elite.Express.Com.Mm/

 

一点気を付けなければならないのは, 大手だけあって様々な路線を走らせているため, 深夜二時頃 ネーピードーでトイレ休憩した際に同じ会社のバスが何台もあり, しかも目的地を書いていないため(書いてあるものもあるが間違っていたどのバスに乗ってきたのか分からなくなってしまう事だ。

(しかも深夜なので寝ぼけている)

 

最初全く別路線のバスに乗り込んでしまい, 危うく他の町に連れていかれそうになったので利用する者がいれば気を付けてもらいたい。

(バスを覚えない自分が悪いのだが。。)

 

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そのネーピードーの休憩所だが, 高速道路を降りたサービスエリアのような場所になっている。

建物やトイレはすごくきれいで, 日本における高速道路のサービスエリアのような近代的な建物であった。

また道路もこれまでとは打って変わって振動もあまり気にならず, ミャンマー最大の都市であるラングーンことヤンゴンと, 首都を結んでいるだけの事はあるなと感じさせられるこの国で最も良い整地状態であった。

 

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噛みタバコのキンマも販売。

 

ヤンゴンへ到着

さてヤンゴンの北に位置する長距離バスターミナルに到着すると, あらかじめ調べていたある場所へ向かう事とした。

そこは地図上で1, 2kmと歩けなくはない距離であったため, バスターミナルに着いたらどっちの方角へ向かったら良いか, 確かめようと思っていると案の定タクシードライバーが沢山集まってきた。

彼らはダウンタウンへ行くのか, とか20,000kyatsでどうだとか話を持ち掛けてくるが, 何となく憶えていた相場より大分高いので, これから近くまで歩いていくんだと何度か繰り返し答えると大方は去っていってしまった。

(ちなみにヤンゴンについて2番目に止まるバスターミナルが終点。最初に停車したバスターミナルは規模が小さいので注意)

 

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最後に一人だけ残った人の良さそうなドライバーがその場所へ寄ってからダウンタウンへ向かうなら乗せて行ってやるぞと言うので待機時間料金も含めて15,000kyatsで合意して向かう事とした。

さて, この時に向かった場所だが, それはイエイウェイ墓地という場所であった。

バスターミナルを出て, 大通りを少しだけ走ってから, 人や自転車が行きかう通りに入っていった。どうやら朝市のようなものが開かれていたようだ。時間帯柄か通学中の女学生を多くみかけた。

 

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そこを10分程走っただろうか, 外れの方まで来ると墓地の入り口に来た。入り口にはヤンゴン日本人墓地と記されている。

 

 

 

中に入っていくと, 結構広い敷地内に墓石や石碑が沢山並んでいる。石灯籠もある。

元々調べてはいたのだが, ガイドブック等に出ているのはいつも一番大きな慰霊碑のみであったので, これほど沢山のものが並んでいるとは思ってもみなかったのだ。

 

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一つ一つ見ていくと実に様々なものがあるという事が分かった。

ビルマの竪琴の主人公のモデルとなった人の墓など太平洋戦争に関するものからJICAの飛行機事故犠牲者まで様々な人の物語が感じられた。

 

 

 

途中で雨が小雨から本降りになってきたので, 一番大きな屋根付きの慰霊碑に入り, 雨宿りをしながら, 訪問者ノートに記帳をする。

この慰霊碑には供えられた花瓶の他にも千羽鶴が吊られている。

 

 

墓地に入った時から何となく人の気配を感じていたが, 彼らはどうやらこの墓地の掃除をしてくれている地元の方だったようで, 気付いたら一緒に雨宿りをしていた。

他国の人の墓のために, こんな朝早くから墓地の清掃をしてくれるなんて有難い事である。

 

記帳する所の前方にある桶には彼らに対するお金を寄付する事ができるようで, 自分も10,000kyats置いておいた。記帳ノートを見ると,  結構な数の日本人が訪れているようで毎日平均して7人ぐらい訪れていた。

そういえば日本の閣僚もミャンマーのこの場所を訪れていたなと思いだし, 訪問日を調べてみたが, どうやら記帳はしていかなかったようだ。

 

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雨がおさまるまで30分程待ってから, ようやく出る事とした。

ホテルを予約していなかったので, 雨宿りしている間に調べておいた評判が良くて部屋の空きがあるヤンゴン中央駅近くのダウンタウンのホテルまで行ってもらう。

 

 

朝8時頃の道中は通勤ラッシュの時間だったようで, 沢山の自動車とバスが渋滞の中走っている。

この国ではバイクは流行っていないのか, ベトナムやタイほどは多く見かけなかった。

その代わり日本の中古車を多く見かけた。

そのため, 日本車用の右ハンドルと左ハンドルが混在するというカオスな状態であった。

公共バスもかつては日本の中古車が多かったようだが, 近年に自動車は右側通行に変更されたためであろうか, 左ハンドル仕様である韓国の中古車を多く見かけた。

 

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渋滞を抜けてダウンタウンの大きなパゴダも見えてきて, ようやくホテルに着くと, まだ朝の8時半くらいであったが, 親切にも部屋に入れてもらう事ができたので, シャワーを浴びてから昼まで少し睡眠をとる事とした。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ビルマの村と少数民族】ビルマ縦断の旅:本編その9:パガンで村巡り

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若者達と別れて散策を続ける。

パガン地域で面白いのは仏教遺跡だけでなく途中途中に村があって地元の人達の生活の場所があるところ。

主要な道から一本それればすぐにそういった光景に出くわすのだ。

 

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トイレらしき小屋?

道端では子供達が遊んでいるのが定番だ。

この村はオールドパガンとニューパガンの間にあるため一番有名だろう村。名前をミィンカバー村という。

 

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お祭りなのか儀式で使うのか鶏の巨大模型を作成中だ。

 

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適当に進んでいたら何やら藪の中の道に迷い込んでしまったようだ。

 

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そんな道なき道を進んでいってもパゴダが当たり前のようにあるのがパガンの凄いところでもある。

 

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ちゃんとした道にでてきた。

ミャンマーのローカルなバスはこんな風にトラックの荷台一杯に人が敷き詰まるまで乗せられる

自分がマンダレーで体験したようにこの状態でスコールに襲われると横からの雨でびしょびしょになってしまうのだ。

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そしてミャンマー英雄アウンサン将軍

アウンサンスーチー女史の父親にしてミャンマー独立の志士である。

ミャンマー少数民族問題で騒がれる事も多いが各地の少数民族からミャンマー国家形成の合意を取り付けたのも元はこの人の力によるものだ。

(死後にミャンマー政府が約束を破ったりしたため関係がこじれるのだが。)

 

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ニューパガンを通過して内陸側からニャウンウー方向へ進む途中に横道へそれると沢山の村がある。

その一つがタテェーカン村である。

 

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東南アジアで縦床式住居を見かける事は決して珍しくない。

縦床式住居における床下は家畜がいたり, 主婦達が談笑していたりと有効に使われている事が見ていて多い気がする。

タイのように進んでいる国の地方では床下に自動車が置かれている事もある。

 

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手作りの揺り籠で幼子があやされている。

こういったところで村人に挨拶すると笑顔で返してくれるのもミャンマーを好きになった理由の一つだ。

 

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村にはやはりパゴダもあるし, 小学校もあった。

次にまた別の村であるミンナントゥ村へ。

 

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良い感じの喫茶店を発見したのでしばし一休憩。

観光業に従事する人も多いのか英語が達者な人もいた。

 

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茶店の横には絵画が販売されている。

 

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昨晩パガンへ入った時の検問らしきところ。

ここで入域料をとられた。

適当にブラブラしていると, 村の奥で何故だか近代的な団地のようなところにきた。

人はほとんど住んでいないようだが, まだ工事中の感じだったので, こうした居住区が今建設されているのだろうか。

ただし車庫の屋根だけ何故か茅葺きなのが面白い。

 

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色々な側面を見せてくれる国である。

この後はニャウンウーという町にある市場を訪問。

 

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食料品から雑貨やらお土産物まで。

市場の床はキンマという嗜好品の噛みたばこを吐いた後で赤く染まる。。。

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この地域で造ったタバコを売っているというのでお土産にいくつか購入。

 

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適当に進んでいたら川まで出てきてしまった。

ここでも子供や若者が遊んでいる。

 

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村には図書館もあった。

残念ながらこの時間は閉館しているようで中は見られなかった。

図書館を出ようとしたら子供が通せんぼ。

 

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場所に乗る白人達。こんな村にも少数だが観光客は来ているようだ。

 

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広場では凧揚げをする子供達。

あるあるトラブルである電線に凧を引っかけてしまったようだ。

 

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日本も昔は子供が子供(弟・妹)の世話をする国として知られたが, 今のミャンマーもかつての日本さながらに子供達の面倒を見てあげている。

 

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村の働き者。

 

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夕焼けの中でバレーボール。

自分は村を出ていく方向に進んでいくのだが, 昼間は遺跡周辺で働く人達や馬車の馬達が仕事を終えて続々と村へと帰っていく。すれ違っていく。

 

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首長族の女性が布を織りながら販売している。

ただこれについては大変複雑な気分でもある。

首長族を輩出する部族は元々ミャンマー・タイ国境付近に居住している。

ほかにも国境付近には沢山少数民族がいるのだが, 首長族だけ国際的な知名度が圧倒的に高いため観光資源にもなる存在なのだ。

そのためこのパガンチェンマイなど観光客が集まるような場所では見世物かのごとく働いている様子をしばしば見かける。

  

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【ビルマの合コン】ビルマ縦断の旅:本編その8:ミャンマーの若者達との交流

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街を電動自転車で回りつつ気になっていた船着き場に行ってみた。

そこはマンダレー等からのボートが発着する場所。

マンダレーから船で移動する事も考えていたので気になったのだ。

 

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船は地元の人達の足となっているようだ。

行商なのか沢山の食料を抱える人も。

 

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道中には軍事学校のようなところもあった。

 

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そして道端の小さなパゴダが何となく気になってふらりと寄ってみた。

そこではパゴダの前で地元の若者たちが円になって座っている。

何をしているのかと尋ねると仕事の休憩時間なので皆でゲームをしている最中なのだそうだ。

 

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はじめ何のルールか分からなかったが, どうやら音楽が鳴り響く間に順番に帽子を渡していって音楽が止まった瞬間に持っていた人が罰ゲームを受けるルールのようだ。

ロンジーを履いているのでこういった日常風景が物凄く絵になるのもミャンマーの良さである。

 

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罰ゲームの内容は色々あるみたいで愛の告白らしき事をしたり, 結婚式の再現をしたりオカマのマネをしたり異性に食べ物を食べさえてやるなどのようだった。

ただし女の子側には拒否権もあるみたいで断ると代わりにほっぺたに絵を描かれるみたいだ。

それではあまり罰ゲームの代わりにならないような気もしたが。。。

 

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純朴なミャンマー人らしく素朴ながらもワクワクする青春を感じさせられるひと時であった。

若者同士のお遊びとはいえ結婚時期の早いミャンマー人にとってはこういうところから生まれる夫婦もあるのかもしれない。

 

小一時間ほど輪の中に滞在したが最後には自分もビルマ美女に指名されて結婚式の入場シーン社交パーティの再現をやらせてもらい時間を忘れて楽しんだ。そして皆と記念撮影, 連絡先を交換してお別れしたのであった。

 

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【世界三大仏教遺跡】ビルマ縦断の旅:本編その7:パガンで再びの慰霊碑

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マンダレーからバスに揺られて日付けが変わる頃の深夜, パガンに到着した。

街に入る前の検問のようなところで観光客として入域料を支払ったのを覚えている。

ホテルの予約などしていなかったため他の人達が降りた場所で一緒に降りてみた。

受付で尋ねると空き部屋があるそうなのでチェックイン。

深夜はよく分からなかったが朝になるとお洒落な中庭もあってなかなか良い場所だ。

 

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次の目的地としてネーピードーへ行こうかと考えていたのだが, 

ヤンゴンと大差ない料金と残りの日数と出発時間を勘案して結局当日夜のヤンゴン行きバスチケットを購入した。 

 

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ホテルで電動自転車を借りて街を散策。

パガン地域はオールドパガン, ニューパガン, ニャウンウー及びその他の村々で構成される。

各地が微妙に距離が離れているため電動自転車が人気の足となっている。

そしてこの地域一帯に仏教遺跡が点在しているのだ。

 

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電動自転車で走ればすぐに仏教遺跡が見つかる。

上に登れるパゴダがあるから連れて行ってやるよとよく声が掛かるのだが, 絵描きのようで頂上で絵を販売していてそれを買ってもらいたいようだ。

別に押し売りというわけではないようだが, 案内して貰うと断りづらくなるので遠慮しておいた。

ピンウールウィンでは珍しがられて大歓迎されたものの, 一大観光地のパガンでは流石に日本人だからといって特段珍しいわけではないようだ。

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大きい寺院の中へ入ってみる。

寺院の入り口は土産物コーナーだ。

 

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一角には本屋もあった。

性教育の必要性を訴えたマララヒラリー・クリントンなど女性の本が目立つ中, 最も多いのはやはりミャンマー民主化の象徴であるアウンサンスーチ女史の本だ。

観光客向けに英語の本が販売されている。

 

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東西南北四方向それぞれに表情の異なる大仏が建つ。

 

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そして寺院の裏庭的なところで発見したのが日本兵の墓

マンダレーヒルで昨日見かけたので二日間連続での遭遇だ。

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こんな観光地においても, やはりミャンマーでは日本との深く複雑な歴史的つながりを感じざるをえない。 

  

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