朝5時頃にホテル前へ出るとマンダレー行きのバスが待っていた。
出発も覚えていないほど眠気に襲われていて, 気付いたら日もすっかり上りピンウールウィン付近でマンダレーまで後少しというところ。
途中小規模のバス停留所のようなところへ寄ってから
マンダレーのバスターミナルに到着。
途中には竹でできた橋が。
正面ゲートっぽいところから登ろうかと思ったが, 結構時間がかかるそうなので地元の人達と一緒に乗り合いトラックの荷台に上がる。
これが満員になるまで出発しないのだが, 待っている間にスコールがやってきて服の中までびしょぬれになってしまった。
屋根はついているのだが, 風が吹いていると横から雨がどんどん入って来るのだ。
日本の電車の一人分の席の半分ぐらいしか自分のスペースがないほど満員になってからトラックで山頂付近まで連れていかれ, そこから更に上へ階段を登っていく。
土足厳禁のため下駄箱に靴は預けていった。
この蛇は触るとご利益があるのか大人気であった。
頂上はこんな感じ。
絶景の眺望!と言いたいところだが, スコールを起こした雨雲に覆われてほとんど何も見えなかった。
それでもブラブラ時間を潰していると徐々に雲が薄れてきて, 眼下の街が見えるようになってきた。
各像にはお供え物が沢山だ。
ビルマ戦線は兵站を無視した無理な作戦のため前線の兵士は過酷な戦いを強いられた。
インド兵やミャンマー兵も日本軍により動員していたはずであるし, 巻き添えを食った一般人もいた事だろう。
今回はカンチャナブリの泰緬鉄道, 援蒋ルートのゴッティ鉄橋と続いてとかく過去の戦争と向き合わざるを得ない旅である。
墓守の方と一緒に黙祷を捧げる。
そして最後に墓守の方に少しばかりお金を包んでから, マンダレーヒルを下まで降りていく。
来るときは車で車道の頂上まで乗せて貰ったが, 帰りは靴を手に持ちながら, このまま自分の足でふもとまで下ってみることにした。
なにやら地獄寺のようなものも途中にはあった。
延々と続いていく階段を下っていく。
オセロのようなボードゲームを楽しむ地元の人達。
下の方は観光客が少ないためミャンマーらしいまったりした空間が広がる。
ただし, 途中で野犬が通路を阻んでいるためこれを乗り越えていくのが難点だ。
途中途中で遭遇する大仏。
そしてやっと下の正面玄関口のようなところへ到着だ。
巨大な獅子(狛犬?)が座すなかなか立派な門構えである。
到着したところでまた雨脚が強まってきたため, 雨宿りしているとタクシーを申し出るものが話しかけてきたので値段交渉。
25000キャットとミャンマーの物価を考えればとても高い値段設定だったが, ものすごいスコールの中で他のタクシーを探し歩くのも気がひけたため値段交渉の末で夜までのチャーターとして最終的にお願いすることとした。
チーク材による木造建築が印象的なシュエナンドー僧院
東南アジアらしさが出ているデザインがなかなか恰好良い。
東南アジアらしいレリーフ。
ここには靴を脱いでいかなければならなかったのだが, 雨の中土の上を歩いて行ったため, 汚れた足を井戸の水で洗い流す。
そしてまた少しばかり市内を走って, 翡翠市場へとやってきた。
門のところに外国人は入場料2500kyatsとデカデカと掲げられている。
それなりの数の旅行者が訪れるのだろう。
だが門を入っていくと, この日の午後は休みだったのか門番小屋のようなところにも誰もおらず, 特に取り立てられることもなかった。
市場の中の店は半分くらいは閉まっていたが, それでも一部開いている店があったので歩いてみて回る。
基本的には翡翠の原石からブレスレットのようなものに加工して販売しているようだ。
休みの日だけあって普段はここで働いている従業員が市場の中のビリヤード場などで遊んでいる。
なかには加工作業をしている職人たちの姿もあった。
なお職人は別として取引をしている商人たちはほとんど中国系の顔立ちをしていた。
一帯一路を掲げる中国の波が押し寄せてきているどころか, 飲まれつつあるほどの勢いを感じた。
これは人権問題で欧米が支援の手を引いてしまった事で中国の独壇場になってしまったのも大きな要因だろう。
だからこそどちら側でもない友好国である日本の独自の立ち位置が重要になってくるのだ。
サイコロをお椀に投げ入れて博打のようなことを楽しんでいる。
春巻きらしきものを食べて市場を後にした。