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【世界旅ブログ】アジアの辺境・奥地へ

【ヤンゴンのスラム街ダラを訪問】ビルマ縦断の旅:本編その12:日本の船に乗りスラムへ

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待合室で待っていると来た時は船が出たばかりだったからかガラガラにもかかわらず 5分も待っているとすぐに一杯になった。

そこに対岸からの船がやってきて大量の乗船客が降りてくる。

 

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乗船客が降りゲートが開くと, 乗船者が一斉に乗り込む。

思っていたよりもずっと大きな船であった。

これなら一気に大量の人数を載せられる。

自分は写真を沢山撮りたかったので, 2階の端に陣取る。

出航してからヤンゴン川の景色を必死にとっていると, 隣の人が日本人かと日本語で話しかけてきた。

 

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船からはヤンゴンの港に沿ってタンカーなどが並ぶ様子が見て取れた。

どうして日本語が話せるのだと尋ねると, 友達が日本大使館で働いているとの事だった。

何で船に乗っているのか, 仕事は何しているのかと聞くと,

普段は向こう岸でシクロドライバーをやっており, 子供の送り迎えでヤンゴンに来ていた帰りであるとの事だった。

 

本当は今日乗り物に乗るつもりは全くなかったのだが, 落ち着いた語り口調で自分から営業をかけてこない姿勢に好感を覚え, 自分から家を訪問させて貰えないかとお願いした。

1時間9,000kyatsでどうだと言ってきたので, 相場はよくわからなかったが, さっき広場で話したインド系の女は20,000kyatsぐらいじゃないかと言っていたから, 安いもんかと思い, 8,000kyatsにだけまけてもらい合意した。

 

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日本とミャンマーの国旗マークが記された向こう岸に着くと, 沢山のドライバーから声を掛けてきたが, 彼らを無視して先ほどのドライバーのシクロに乗る。

彼自身はビルマ人のようだが, ここのドライバーはムスリムが多いそうだ。 

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自転車のサイドカーに乗って, 10分程走ると彼の自宅に到着した。

ここまでの道中話に聞いていた通り, この国のどこで見たものとは明らかに異なる圧倒的な貧困地帯が広がっていた。

家はボロボロだし, 狭いところに沢山の人が肩を寄せ合って暮らしているようであった。

細い道端には狂犬病を心配してしまうような野良犬が沢山寝ていた。

とはいえ, ドライバー達は住民一人一人を見知っているようで, 声をかけあっており, その見かけとは裏腹に悲壮的な雰囲気は全く感じられなかったのも印象的であった。

 

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彼の家に到着した祖母と子供に挨拶をする。

椅子に座らしてもらい, よくよく話を聞くと家は海外によくある違法建築かと思いきや, ちゃんと家賃があり, 払って生活しているという。

飲料水は井戸水の水質が悪いため飲むことができず, 雨季は雨水を, 乾季はヤンゴンから500チャットで飲料水を購入しなければならず家計を圧迫する原因となっているとの事であった。

 

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子供はタナカを付けている。男も18歳くらいまではタナカを付けるそうだ。

家にはTVは備わっていた。

東南アジアの田舎ではクーラーなど他に必要そうに思えるものよりもTVが優先的に備わっている事が多い気がする。

 

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またダラでたまに見かけた水田はここの住人のものではなく, 持ち主はヤンゴンに住んでいるという話であった。

結局住人の数に対して稼げる仕事が不足しているのが, この町の問題点になっているようだ。

  

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街中には学校のような建物もちらほら。

大きな通りには商店も建ち並ぶ。

 

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 彼らの話を聞いていると, 最も深刻なのは医療関係のように思われた。

ダラにも病院があるようで無料で利用できるようだが, 信用されていないそうだ

 

彼の祖母も病気で視力を失ったそうで, 子供は9か月早く生まれて病院通いだそうなのだが, 高額ではあるものの, ヤンゴンの病院に行っているそうだ。

おそらく医療保険に入っていないからだろうか1万円近くかかるそうで月収が非常に低い彼らにはとてつもなく大きな負担である事が察せられた。

 

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自宅訪問の後, 時間がまだ余っていたので, バンブービレッジという津波で大きな被害を受けた村へ寄ったのだが, この村はダラの中でも更に貧困が酷い場所であり, 子供達の多くがサンダルさえ履いておらず裸足で道を歩いていた

 

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一通り村を見て回った後, 近くの米屋で自分も米を購入して寄付させてもらった。25,000キャット分で俵に自分の名前を記した。

ダラに住むドライバー自身も年に一度子供達のためにサンダルを寄付しているそうだ。

貧しい者同士でも助け合いながら生きていこうとする姿勢にはなんとなく昔の日本のイメージとも重なり, 今の日本人も見習わなければならないところも多々あると感じられた。

 

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結局なんだかんだ時間を食ってしまい埠頭に戻る事には1時間過ぎていたのだが, 寄付をして, もう10,000kyatsしか残っていないから足りないなら歩いて帰るよと伝えたのだが,

お前は自分の家に来てくれたんだ, お金の事は気にしなくて良いから, との男前発言。

 

ここまで言わせて遠慮するのも無粋に思えたので, 遠慮なく乗せてもらい, スコールが降り注ぐ中埠頭まで走った。結局着いた頃には1時間半ぐらい経っていたと思うが, 10,000kyatsだけ支払って, 彼らと記念撮影を沢山とった。

残念ながら彼らはfacebookなどをやっておらず写真は渡せなかった。

 

到着した頃には全身ずぶ濡れだったのだが, 不思議とそんな事も全く嫌な気がせず, ほっこりとした気持ちでヤンゴンに戻っていったのであった。

印象に残ったのは彼ら自身が貧しい生活をしているにも関わらず, より貧しい住民を助けながら, 声を掛け合い生きていく姿であったと思う。

この旅の中でも忘れられない経験であった。

 

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大型フェリー以外にも小舟が庶民の足となっているみたいだ。

 

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ダラ自体にはほとんど仕事がないのであろう, 多くの在住者は対岸のヤンゴンで様々な仕事をしているようだ。

 

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対岸のヤンゴンに戻ると再びの大雨に見舞われたので銀行らしき大きな建物が雨宿り。

 

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そして雨が止んだ頃ガイドブックにも掲載されている近くの有名なティーハウスへと行ってみた。


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値段もミャンマーにしては割高で素晴らしいカフェなのだが, ある意味植民地文化の象徴のような場所でもあり, 華麗な上級社会を彷彿とさせる場所とこの日訪れたスラム街の二つの対比があまりに大きくなんだか不思議な感覚であった。

 

ミャンマーのスラム街ダラ地区には日本としても大型フェリーを寄付するなど歴史的に協力してきた経緯もあり, 今後発展していくミャンマーに取り残されないよう引き続き支援していって欲しいと思っている。

 

 

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