ミャンマーの鉄道駅へ
朝目が覚めると, ホテルの食堂へ行き朝食を摂った。
流石に評価が高いだけあって, 食事もそれなりにちゃんとしたものを味わうことができた。
身支度を済ませてチェックアウトすると, 駅までバイクで無料で送ってくれるとの事。昨夜駅まで歩いた時は25分くらいかかったので, こういったサービスはありがたい。
到着してお礼を言ってから, 駅舎へ入ると既に欧米人のバックパッカーがおり, 切符を購入するところであった。どうやら自分と同じティーボーが目的地のようだ。
駅での購入は窓口でやるものと思い, 入った時は閉まっているじゃないかと不思議に思ったが, 駅員が働く部屋に入って, 直接買うのがここでは流儀のようだ。
(マンダレーではちゃんと窓口で皆購入していた)
行き先を告げる際に, ティーボーと言っても一瞬通じない様子だったのだが, 何度か連呼すると理解して貰えた。後で調べたところによると現地の人にはシーポーと言われているようだ。
切符を購入してから, 出発までは30分程あったので, 駅の周りの市場をブラブラする。昨夜行った時はところどころで営業していたものの, なにせ真っ暗であったから全然様子が分からなかったが, 明るいところで見て, やっと規模感などが理解できた。
駅前通り沿いに広がる食事屋台とそこから少し路地へ入ったあたりに売り場が広がっていたようだ。
ミャンマーの人たちが男女を問わず着ているロングスカート, ロンジーは色使いもお洒落でカラフルな市場の雰囲気によく合う。
あまりゆっくりもしれいられないので, 一通り見て回ってから, 何も買わず駅へ戻る。
マンダレーからの列車は大分前に到着していたようで, この駅で1時間近く停車していたようだ。この駅から乗り込むのは地元民と同じぐらい欧米人バックパッカーが多いみたいだ。
(何故か欧米人とミャンマー人で別々の場所に固まって待っている様子が印象的であった)
ミャンマーの鉄道に乗車!
列車に乗り込んで, 駅とは反対方向を見渡すとアジアのご多聞に漏れず, この国でも線路の上は普通に歩ける道と化している。緑のロンジーは学生だから, 通学路の一部になっているのだろうか。。。
動き出して速度が出るとやはりそれなりに揺れるが, これは想定済みである。ただし, 驚いたのは窓の外の茂みが近すぎるどころか, 列車に接触してくるため窓枠に腕を休めていると, 容赦なくぶつかり腕が傷だらけになるのだ。また毎回葉っぱが入ってくるため, 降りる頃には床が葉っぱだらけとなっていた。。。
町の近くでは道路を通過する際に踏み切りもあるのだが, これは電化されておらず, 人力で開け閉めしていた。最も印象的だったのは竹製の踏切である。長い竹の先端に結んだ紐を手繰り竹をしならせて踏切を閉め, 通過したら紐を放すと踏切が開く仕組みのようだ。
町近辺以外にも風景の素晴らしい場所が多く, 朝から夕方まで乗車していたのだが, 全然飽きる事のなかった。別に鉄道好きというわけでもないのだが, のどかで良い鉄道旅となった。
自分が乗車している一般クラスは, 自分以外の全員が地元民であった。特に年配の女性が多く, 彼女たちが漏れなくタバコの煙をくゆらせているのが印象的であった。
ただ, このタバコは自分が運んでいる食料に虫が集まってこないようにする役目もあるようだ。
なお帰ってから気付いたのだが, この路線沿いのティーボーやラーショーといった町近辺以外では外務省安全渡航情報HPにおける区分がレベル2となっている。
ビルマ族エリアではないシャン州は独立戦争も過去に起きていたからだろう。
もっとも乗車していた身としてはそんな危険性は思いもよらず, 終始のどかな時間を過ごした。
遂にゴッティ鉄橋へ
朝8時半に乗車してから4時間程経っただろうか, 遂にゴッティ鉄橋近くまで来た。面白いのは列車の進む先に鉄橋を初めて見てから, 結構な時間がかかる事だ。それまでは結構標高の高い場所を走ってきたのか, 鉄橋の標高まで下がるためにつづら折りに進むため, すぐ近くに見えているようでなかなか近づかないのだ。
また渡る直前にも停車駅があり, 道中の景色として楽しませてくれる。
しかも中には銃を持った兵士らしき人の姿もあった。
そうして遂に鉄橋へ入っていくのだが, この頃になると欧米人バックパッカーだろうが, 地元の人だろうが, 関係なく皆手にスマホやカメラを持って撮影をしている。
以前までは世界第二位と言われており, 現在はよく分からないのだが, 世界有数の高さを誇る鉄橋であることは間違いない。
何より驚くべきは, この鉄橋が19世紀に建設されて1900年には開通していたという事実である。
列車は鉄橋の健全性を確かめるように足音を確かめながらゆっくりと進んでいくから, 観光する者にとっても有難い。
反対側の山は崖のようになっており, 景色の雄大さを引き立たせてくれる。鉄橋の下では途中, 河も流れており雄大な大自然に対して, 往時に築いた人類の技術が挑んでいくようでもある。
歴史を背負った鉄橋
なにせ築かれたのは太平洋戦争以前であるし, そもそもこの路線はミャンマーから当時大日本帝国と戦闘をしていた中国への英国からの物資援助に用いられた側面があり, 日本とも浅からぬ因縁を持った建造物でもあるのだ。
戦場にかける橋で高名なタイはカンチャナブリ地域にある泰緬鉄道は中国への物資輸送ルート(援紹ルート)を断ち切ろうと, ミャンマー・インドへ侵攻するための日本軍の移動手段として建設されたが, その用途からいって対極に位置する鉄道と言うこともできよう。
当時ミャンマーの支配者であった英国は, 下ビルマのインド洋に程近い港町ラングーン(ヤンゴン)から建設した鉄道を使い, 上ビルマのマンダレー, そしてこの鉄橋を通り中国国境方面のラーショーへと鉄道輸送し, 更に道路で中国国内へ戦闘のための物資を送り込んでいたのである。
また日本軍がミャンマーへ攻め込んでからは, その機能を破壊せんと攻撃の対象にもなった場所であり, 日本軍占領後は日本の技術者が修理を施した。
そうした経緯を思えば, 世界史においても少なからず重要な舞台になった鉄道路線でもあったのだ。
なお間違っても停車駅で降りて, この鉄橋の足元を歩いてはならない。どうやら地雷がまだ埋まっているそうだ。
ゴッティ鉄橋のこれから
ここで眺められる壮大な景色やその背負っている歴史と比して, ガイドブック等での扱いはあまり大きくないようだが, ミャンマー東北部有数の観光資源と捉えることもできるし, 平和な時代の今となってはミャンマーの今後の発展のためにも大いに活用していってもらいたいと思えるスポットであった。
建設物としての安全性が心配になる人もいるかもしれないが, JICAや日本の橋脚技術者の支援でこういった鉄橋の安全検査には支援を受けており, 命の心配はない。
先に紹介したピンウールウィンの町などと合わせて是非これからその雄大な景色と歴史を楽しんでもらえる行き先の一候補とする事をお薦めしたいと思う。