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【世界旅ブログ】アジアの辺境・奥地へ

【再びの国境越え】ヒマラヤ南麓横断旅9:ブータン・インドそしてネパールへ

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ダージリンにステイした翌日インドを抜けてネパールを目指す。

目指すはパニタンキ・カーカルビッタ

 

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朝7時前にダージリンの路地を抜けていきジープの溜まり場にて適当にすぐ発車しそうなやつを見つけて乗車。150ルピー。

 

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昨日来た道を反対方向へ。

と思ったらどうやら別の道を使って山を降りているようだ。

広大な茶畑の間を抜けていく。

 

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途中何故かご飯休憩が入り時間がかかったものの午前10時前にシリグリへ到着。

シリグリからネパール国境行きのバスは事前にネットで調べて番号は分かっていたが, 乗り場がいまいちよく分かっていなかった

なのでその辺の人に聞きまくって乗り場を探していたら50m程離れた道の反対側にまさにそのバスを発見。

何時に発車するのかよく分かっていないので念のため走ってバスに飛び乗ったところちょうどいま出るところだった。30ルピー。

 

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そしてしばらく平坦な道を走ってパニタンキに到着。

まさしくインドらしいちょっとスラム的な雰囲気。

 

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鉄道の線路を超えてインド・ネパール国境のメチ川へ。

 

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市場を抜けて国境メチ川の前にあるだろう国境管理所を探す。

ここのパニタンキやシリグリなどの地域は歴史的にネパール領域だったこともあるが, イギリスとネパールのグルカ戦争でインド側に渡った地域でもある。

 

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国境のメチ川を超える橋脚に入る前の道の脇に国境管理の建物を発見。

バラック小屋のような建物が並ぶ中にあって際立つ白と緑のコンクリートの建物。

 

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国境メチ川に架かる橋はなかなか長いので適当にリキシャーを捕まえて乗る。

自分以外はインド人・ネパール人で国境審査は必要ないが, 日本人の自分はちゃんと出国手続きを済ませたことを示すため橋に入るところで立っている軍人にパスポートのスタンプを見せる。

 

それから五分程走って対岸ネパールの国境管理所で降ろしてもらい, ここで入国手続きを済ませる。

ドライバーには20インドルピーと余った小銭を渡す。

 

ネパールは日本人ならアライバルビザをとれる国なのでこの際にビザを取得。

両替できるチャンスがなくて必要な米ドルを保持してなかったがネパールルピーでも支払い可能だった。30米ドルに相当する3600ネパールルピーを支払う。

特に賄賂を請求されるなどのトラブルもなく, 他に手続きする人が全くいないため, 椅子に座って待っている間にいつの間にか入国スタンプを押されて戻ってくるというおおろかな入国手続きだった。

 

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ネパール側のカーカルビッタの街。

 

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国境の荷物検査で話しかけてきた人と交渉してバスチケットを購入。

値段の相場はよく分からなかったが後で確認したところ高めだったようだ。

ただバスはエアコン付き。

交渉して600インドルピーと600ネパールルピーで支払い。

 

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バスターミナルにてカトマンズまでの値段を聞いたところ自分の買ったものより安かった。ただし, 冷房がついていないようだ。

 

バスが出発するまで三時間程あるので食堂でご飯を食べて待機。

このレストランは小さなホテルの中に入っており, この街ではほかに無さそうなクーラーの効いた店だったので, この場で夕方までかなりの時間を過ごした。

 

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ブータンからインドへと国境を越えた際には天国から地獄へと落とされた気分と形容したが, インドを抜けてネパールへ入ると人々も急いでおらず落ち着いていてまったりした雰囲気に再び変わった。

ブータンほど涼しくはないものの, 地獄から地上へと這い上がってこれたみたいだ。

 

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【紅茶のダージリン】ヒマラヤ南麓横断旅8:山岳鉄道を横目にジープ登山

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シリグリから更に北部に位置するダージリンへと向かう。  

 

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駅前付近にはそこかしこにダージリンシッキムガントク行きのジープが待機している。

交差点の反対側へと渡るのも大変だし前夜に相場は確認しておいたので一番最初に話しかけたドライバーのジープにて待機。

アジアではよくみかける席が埋まったら出発する方式だ。

 

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30分程待機して朝9時頃出発。値段は150ルピー。

道路沿いには横にダージリン岳鉄道の線路が敷かれている。

しかし線路幅が異常に小さい。

それ故機関車も小型で速度は非常に遅い

トイ・トレインと呼ばれるゆえんである。

 

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途中途中で人を拾ったり, ガソリンスタンドで給油したり, インド軍の敷地らしきところを通過したりしながら山を目指す。

 

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後半は山の斜面を登っていく。

標高が上がるにつれ徐々に霧が出てくる。

 

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ダージリン岳鉄道の軌道は完全に地元の人達の生活空間に紛れている。

 

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途中にあったチベット仏教の寺院。

インドでも中国に隣接するこの北部地域はチベット系が多いのだろうか。

時折地元の人達が線路の土木工事をしている。

 

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ダージリンに到着。

インドらしい古びた数階建ての建物が山の斜面に沿って多数あり狭い路地の多い街だ。

 

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適当に見つけて予約しておいたホテルに荷物を置いてから散策を開始。

 

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先ずは腹ごしらえ。

やってきたのはGLENARY'Sというダージリンで有名なレストラン。

 

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店の中にはイギリスのような赤い電話ボックスやパイやパンを売るベーカリーの店舗が入っている。

そして地下にはパブもある。

イギリス植民地時代からのコロニアル文化という事だろうか。

 

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レストラン店内も機関車の模型が天井からつるされていたり昔のダージリンの白黒写真や昔のレジの機械があったりとレトロ感満載だ。

 

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お店がダージリンの街の山側に位置するためテラス席からは街並みがみえる。

 

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せっかくここまで来たのでパイと一緒にダージリン紅茶アフタヌーンティー

300ルピーなのでインドの物価から考えると高価な食事だ。

 

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食事の後に街の高台にある広場までいくと霧は更に濃くなってくる。

広場にはインドの修行僧であるサドゥーの姿も。

 

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本屋があったので中を覗いてみた。

名前からしオックスフォードだし, 完全にイギリス式だ。

欧米系の人が多いからなのか。

ダージリンは避暑地でもあるし, 外国人にもインド人にも人気の観光地だ。

特に訪れた夏の時期はインドの暑さや喧騒を避けて快適に過ごすことのできる場所。

避暑地欧米系文化が栄えるのは日本の軽井沢のように世界共通なのだろうか

 

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霧は濃くなっていくばかり。

広場横には屋台の通りも。

 

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広場から更に上へと登ってみたらチベット仏教寺院を発見。

 

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ブータンに引き続き, チベット仏教の五色旗でいっぱいだ。

 

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そしてその近くには教会も。

狭いエリアにインドの主要な宗教であるヒンドゥー教寺院, チベット仏教寺院, キリスト教, イスラム教モスクが存在するようだ。

 

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次にダージリンの谷側まで降りてくると標高が下がり霧も晴れてきた。

ダージリンは細い路地が沢山ある街だ。

売店の売り物は食べ物だけでなく雑貨も多い。

 

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谷間には学校もあって学生達が学校から家に帰るところであった。

 

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ジープの溜まり場付近には肉市場も。

 

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更に下っていくと住宅地。

 

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ダージリン鉄道の終着駅へとやってきた。

 

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ちゃんとした駅のようになっている。

 

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しばらくこの駅周辺でブラブラしていると, 機関車が発着する。

 

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線路の上は完全に学生の通学路となっているようだ。

 

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機関車から出る蒸気が良い感じ。

ただ, この鉄道でシリグリからダージリンまで登ってくるには10時間以上かかるため実用的とはいえない。

それでも世界の鉄道ファンがこの機関車に乗りに来るそうだ。

 

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偶然見つけたショッピングモール。

建物は結構大きいのだが, 人があまりおらず閑散としている。

 

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夜はケンタッキーで食事。久々のファストフード200ルピー。

 

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この先で移動するネパールでは到着ビザを国境で取得可能だが米ドルが必要なので, 途中両替所でかえようとするも米ドルが足りないといわれ, 結局両替できなかった。

 

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この日の夜は10ルピーのダージリン紅茶で締めくくった。

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【ブータン・インド国境を抜けて】ヒマラヤ南麓横断旅7:インドの鉄道に乗車してシリグリへ

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インドの国境管理所へと連れて行って貰う。係員が昼休みなのか, 不在で少し待ち時間はあったが, あらかじめ観光ビザをとっておいたので入国審査自体はスムーズに通過

最後にブータンから一緒に来たガイドがバスターミナルまで行くためのリキシャーをドライバーと交渉。

100ルピーとぼったくり価格を提示されてガイドが激しく交渉してくれていたのだが, ブータンのおおらかな雰囲気で慣れきってしまっていた自分は耐え切れずに途中で価格を受け入れてしまう失態。

 

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しかもそのオート三輪者を一人で独占できるわけでもなく, 途中で人を拾われる。

この時に乗ってきたのが, ブータン人とインド人の組み合わせ。

彼らに値段いくらだったと聞いたら自分の十分の一の10ルピー。

ブータン人にインド人は隙あらばだましてくるんだから, とめちゃめちゃ怒られてしまった。

彼らがドライバーと再交渉してくれたが, 流石に一度合意した価格は覆らない。 

 

しかも自分がインド紙幣を持ち合わせていなかったため, 彼らが立て替えまでしてくれたのだった。

いやもうほんと隣国なのに国民性が違いすぎるでしょと思う。

 

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バスターミナルまで着いてから, ハシムラ行きのバスに乗車。

そこでしばらく待っていたのだが, どうやら発車にはしばらく時間がかかるようだ。

三人で一台チャーターすれば, 安く済むからそれで駅まで行かないかと提案を受けて, 値段も一人40と安かったので快諾。

そして結局リキシャーで鉄道駅のあるハシムラまで移動した。

 

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同行したブータン人とインド人。

先ほどリキシャの代金を立て替えて貰っていたのでここで清算。 

このブータンの服装でインドにいるのは不思議な感じである。

駅にはサドゥーや物乞いの子供達もいてインドらしいブータンでは見られなかった光景だ。

 

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駅にて鉄道の発車時刻を確認。

窓口が閉まっていたのだが, 周りの人に聞いてくれたところによると一時間後くらいの模様。

 

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列車を待っている間は近くの売店へ。

何故か飲み物やタバコを同行の彼らがくれた。

二人はレストランで食事しに行ったのだが, 自分は暑さで食欲が湧かず, 売店や駅舎でブラブラして時間を潰す。

ここからシリグリまでバスがでているようなのでその手段も考えたが, 値段が鉄道のほうが30ルピーと遥かに安く結局バスも時間通りに来る気配がなかったため鉄道で行くことに。

 

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しばらくして食事から戻ってきた彼らと駅で合流。

適当に周りの紳士そうな人にシリグリで降りるから着いたときに彼に教えてあげてくれと頼んでくれた。

ブータンの人には最後まで助けられる

 

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列車の中にはインド人がいっぱい。

シリグリまでは2時間半ほどかかるようだ。

インドの鉄道というと人でギュウギュウのイメージもあるが, 何とか一席空いていたのでボックス席に座ることができた。

そして車窓の風景はいつの間にか茶畑に。

流石インド北部はダージリンアッサムで知られる茶の栽培地帯である。

 

 

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途中のジャングルで列車が徐行運転に。

周りの乗客に聞いてみると, この区間象が列車に突進してくるため徐行運転になるらしい。

えぇー、そんな事あるのかと驚く。

 

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そしてシリグリに到着。

到着の頃には陽もすっかり沈んだ7時頃。

1時間ほど到着が遅れただろうか。

 

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鉄道に乗車している間に予約しておいたホテルへと移動。

距離がそんなにないので駅前に溜まっているリキシャーはスルーしてホテルまで徒歩で向かうことを試みる。

が、ダメ!

ホテルは見える場所にあるのだが, 交差点を渡ることがとてもじゃないが不可能。

信号がなくて延々と車列が続き反対側へといけない。

ただ鉄道で席が一緒になった人が, 同じ方向だからという理由でリキシャーを捕まえてくれた。地元値段で交渉してくれたので安く10ルピー。

 

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ホテルへと到着。

宿泊したのは最近急成長しているホテルチェーンであるOYO

世界的に注目されているスタートアップ企業でもあり, ドバイにも沢山あるホテルだ。

 

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明朝はダージリンへと向かう日。

ホテルに荷物を置いた後, 念のため行き方を今日のうちに確認しておく。

 

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地理が分かってきたので自力で何とか駅前のバスターミナルへとやってきた。

沢山のバスが並んでいる。だが, どうにもダージリン行きバスが見当たらない

どうやらシリグリからダージリンまでの移動はバスではなく乗り合いジープが一般的のようだ。

 

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駅まで戻ってきた。

流石インドで駅の構内には地べたに寝そべる人々が沢山。

 

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駅前ロータリーには機関車が展示。

世界文化遺産にもなっている世界最古の山岳鉄であるダージリン・ヒマラヤ鉄道の機関車だ。

本来ならこれに乗ってダージリンまで行きたいところなのだが, とてつもなく遅いため移動するためにこれを使うのは一般的ではない。

 

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駅近くでダージリン行きのジープを確認。

ただ翌朝気が付くのだが, 別に心配する必要ないほど朝の駅付近にダージリン行きのジープが大量に溜まっていた

 

この辺は旅行会社が沢山あって他にもニューデリーカルカッタなど大都市行きのツーリストバスもある。

ちなみに旅行会社のブースでジープではなく, ダージリンまでのバスの値段を念のため聞くと十倍以上のぼったくり価格を提示されたので交渉すらせず無視。

 

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帰りに夕飯用に焼きとうもろこしを購入。20ルピー。

その場でとうもろこしを選んで焼いてくれ, かなりの塩が振りかけられた焼きたては美味しかった。

 

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ホテルの無料のティーバッグも当然ダージリン紅茶

いよいよ明日はダージリンへ向け出発だ。

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【マリファナ生えてる?】ヒマラヤ南麓横断旅5:パロでアーチェリー

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山からパロの市街へと戻る途中。

ガイドがアレはガンジャ大麻という。 

え?まじでそんな事あるの??と思うのだが, 普通の道端に普通にマリファナが自生している。

 

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あまりに当たり前に生えているため周りの風景にも完全になじんでいる。

ガイドの話ではブータンでは国内そこら中で生えているとの事。

ただし, 伐採するのは違法。見つかったら重刑で9年ほど刑務所に入るそうだ。

とはいえ灯りも完全にはないブータンでは夜中に採ろうと思えばいくらでも採れる気がする。

確かに過去ニュースでもブータンのドラッグ問題がフォーカスされたことがあった。

一部若者の間には流行っているそうだ。

こういったドラッグはインドから来るそうでテレビやインターネットの影響もあるそうだ。

news.yahoo.co.jp

そして昼食。

例によってバイキング形式。

流石に一山上り下りしてきたばかりのグロッキー状態であまり食べられなかった。

 

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パロの街中心部。

ブータン風家屋が通り沿いに建ち並ぶ。

 

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お土産屋も多いため勿論例のアレも売っている。

 

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町の中心部から程近い場所に市場があった。

 

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市場は大人の仕事場でもあり子供の遊び場でもある。

 

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唐辛子や野菜など食料品以外にもパロのお土産屋などで売られているであろう特産品も並べられている。

おそらく街中で買うよりここの方がはるかに安く購入できるだろう。

とはいえ自分の場合はこれからまだまだ旅が続くため土産物の購入は我慢。

 

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さて, やってきたのはアーチェリー場。

 

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両脇の11人のチームが二矢ずつ放つ。

ブータンのアーチェリー場では競技者の他にも横で見学する人が多数。

しかし矢の軌道のすぐ横でのんびり見ているが, どうみても危ない。

 

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ブータンでのアーチェリーはダツェと呼ばれる。

驚きなのが的までの距離。

国際的なアーチェリー競技では中学生で18-30m程度, 大人でも70m程度だが, ブータンでは130m程度と圧倒的に長い

しかもスコープなしの肉眼で的のどこに当たったのか見えているようで視力も半端じゃない。 

的の板にあたると2点, 真ん中の円にあたると3点, いたから外れても近くなら1点入る。

そしてブータン流では矢が2点以上に入ると伝統ダンスが始まる。

 

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11人チームの各人が二矢ずつ放つが, 両方とも板にあたると派手目な特別なダンスになる。

ダンスがあるので見てて飽きずに一時間程過ごしてしまった。

皆のんびり過ごしているが日本国内でのアーチェリーといえば矢が明後日の方向に飛んで行っても人に当たらないよう配慮されているのだが, 明らかにここは危ないのがずっと気がかり。

 

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弦を引くときに背中を大きく反らせる人がいる。

そして狙いを定めるのに, 弦を西洋式アーチェリーのような鼻先ではなく弓道のように頬横に構えるのがブータン流のようだ。

 

的に当てた時の踊りは日本でいうところの田楽踊りみたいなもので, ここでも祭りの時だけでなく田植えや家造りをする際に唄う

 

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一時間程登山の休憩がてら見学して次の場所へと出発する。

 

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次にやってきたのが外国人にして初めてダショーの称号をブータン国王から授かった

ダショー西岡が記念されている西岡チョルテン

ja.wikipedia.org

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ダショー西岡は農業学者でブータンの農業振興に多大な功績を遺した人物。

国立農業機械化センター内に記念碑がある。

hashim.travel.coocan.jp

 

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ダショー西岡の説明文。

 

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ダショー西岡はリンゴと桃を掛け合わせたり, 違うリンゴを組み合わせたりして品種改良に取り組んだそうだ。

 

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施設の出入りゲート。

なんか工事していると思ったら, この作業は近々秋篠宮家ご訪問予定がありその準備作業をしている最中であった。

 

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景勝地

 

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街の学校が山中にあった。

 

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生徒の通学も坂道。

 

続く。

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【石油の国の泥火山と拝火教】アゼルバイジャンの旅後編:古代神話を巡る旅

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バクーから南部の泥火山世界遺産のあるゴブスタン

石油の国だけあり道の途中には沢山の石油井が凄い密度で存在する。

  

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カスピ海沿いを走ると井戸だけでなく海洋掘削リグも見えてくる。

 

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首都バクーから離れると建物が段々と無くなり荒野が広がる。

ただ, ところどころに工場など産業施設が建てられている。


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ゴブスタンに到着。

ここで泥火山への行き方が分からなくなり地元のタクシードライバーに道順を尋ねる。

 

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泥火山への道のりは完全なるオフロード

ガタガタと揺れる道を数十分走り続ける。

周りは荒々しい自然の広がるなかなかの景色。

 

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到着した山の頂上には泥が岩から湧き出ている

アゼルバイジャンには地球に存在する泥火山の半分程度が集中している国。

たまに自然災害並みの巨大な炎を噴き上げる事もあるそうだ。

泥火山はよくも悪くもこの国の名物である。

ちなみに泥火山は地表面上だけでなく周辺カスピ海地域の海底面下にも存在している。

また拝火教の生まれた地域でもあるのだが, このような自然環境と無関係ではないだろう。

 

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岩に囲まれた小さな火口には泥がたまっていて中からガスが出てきているのかコポコポと大きな泡のようなものを作っては消えていく

外に出た泥は時間とともに固まっていくようだ。

 

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荒々しい乾いた大地。

 

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傍にある池からも天然ガスが湧き出ているようだ。

そして, ゴブスタンの博物館へと移動する。 

入場料を支払って博物館の中へ。

 

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ゴブスタンは戦士舞踏隊商など先史時代の様子が壁画として残されている場所だ。

 

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ゴブスタンの壁画と奇岩。

 

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この日は平日。

学校として来ているのか, 小中学生も沢山見学に来ていた。

 

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再びカスピ海をを眺めながらバクーへと戻っていく。

 

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新旧の街並みが入り混じったバクーの光景。

 

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バクーを通り過ぎてアブシェロン半島の先端方向へと進む。

 

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スラハニという地域にある拝火教寺院へとやってきた。

ドライバーいわくかつてはこの国にもゾロアスター教徒がいたそうだが, 今ではイスラムシーア派が主で観光以上の意味を持って訪れる現地の人はいないそう。

 

しかしながら, インドなどには一部ゾロアスター教徒が残っており(ペルシャにいた教徒がインドへと移動していった)彼らはよく見にここへやってくるのだそうだ。

ちなみにインドで有名なタタ財閥はこの系統である。

 

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太古の昔よりガスが地下から発生して燃え続けている場所

今回は訪れなかったが, 現在も実在していて訪問する事ができる。

 

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この後地元の人の暮らしが見たくてドライバーの家に連れて行って貰った。

家は丘の上にあって丘の斜面に沿って一軒家や集合住宅が建ち並ぶ団地のような場所。

そんな生活感溢れる地域にも石油井が日常風景に溶け込んでいるのが面白いところでもある。

 

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現地の人にとってはなじみ深いアゼルチャイでおもてなしして貰った。

ちょっとした現地のお菓子と一緒に飲むのがアゼル流だ。

父親と息子二人, そして孫と三世代にわたって一緒に住んでいる。

そして家畜の鶏とペットの犬も一緒だ。

 

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犬はイスラム圏では忌避されていて中東ではほとんど見かけないだけに意外であった。

ソ連時代の長かった事による宗教色の薄れがなすものだろうか。

snowm-blog.hatenablog.com

 

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地下からガスが出てくる泥火山アゼルバイジャン国内で進められる油ガス田開発, そして拝火教ことゾロアスター教,

これらアゼルバイジャンという国を特徴づける存在は偶然ではなくすべてこの地域の地球環境が生み出した当然の帰結なのであった。



















 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【火の国と風の街】アゼルバイジャンの旅前編:カスピ海のバクーへ

バクーのヘイダルアリエル空港に到着。

空港から市内へと向かう。


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空港から市内への道路沿いには奇抜なデザインの建物が並ぶ。

上写真は国営石油会社SOCAR本社,

下写真はヘイダルアリエフセンターという観光名所

国立競技場の当初設計で有名になったザハ氏により設計さけている。

 

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ヨーロッパ調の建物と広々とした道路沿いに団地が並ぶ旧ソ連の雰囲気が漂う市内の様子。

 

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市内には広場が多くて広々とした都市空間となっている。

イスラム教(しかも珍しくシーア派が多数)の国だが, 女性たちも含めて抑圧的な雰囲気など一切ない

この国でよく飲まれるアゼルチャイは紅茶にジャムのかかったコンポートやレモンと一緒に飲むのがアゼル流だ。

 

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夜の大統領官邸

流石に周辺は警察による警備が厳しいようだ。

 

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近くにあったショッピングセンター。

近未来的雰囲気の建築物が多いのがアゼルバイジャン流で第二のドバイ, コーカサスのドバイなどとも言われる。

この国の陸上やカスピ海上で採掘できる原油による経済力を背景としている。

 

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バクーの旧市街へとやってきた。 

バクー第一の旧跡である乙女の塔

かつて望まぬ結婚を強いられた王女塔の上から身を投げた逸話で知られている。

現地の友達の話によると今でも時折恋愛感情のもつれから女性が身を投げる事があるそうだ。

下は近くの旧ソ連時代の建築物。

バクーは隊商宿だった頃から続く旧市街の雰囲気, 旧ソ連の雰囲気, そして近代的雰囲気からなっていると思う。

更に地理的にはヨーロッパ的, ロシア的, 中央アジア的, ペルシャ的雰囲気がまじりあった感じであった。

しかも共通言語のアゼル語トルコ語にかなり近いという複雑な状態にあり, そんな文化的・政治的・資源経済的要衝であるが故に小国ながら地政学を解説する本ではよく題材として取り上げられているように思う。

 

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かつてシルクロードを駆けるキャラバンサライ隊商宿であったバクー旧市街は迷路のようだ。

 

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そして旧市街の奥に見えるフレイムタワー。

 

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建物が美しいだけあって夜のライトアップでは良い雰囲気になっていく。

 

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まるでディズニーリゾートのようだ。

 

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イスラム教の国だが, 開放的であるためクリスマスもイベントとして公然と楽しまれている。

下写真の旧市街への門は夜中になると幻想的にライトアップされる。

 

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ご飯も美味しい。カスピ海沿いだけあってヨーグルトも有名だ。

また古代からのワインの産地としても有名である。

 

 

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バクーは近年F1の開催地でもありこの時期は市内がサーキットと化す。

 

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大通りがフェンスで囲まれ, 大統領官邸前にはピットが付設される。

 

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世界遺産でもある旧市街の城壁横をF1マシンが高速で走り抜けるのもバクーGPの醍醐味である。

 

 

アゼルバイジャンの旅ー続く

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【ヤンゴンのスラム街ダラを訪問】ビルマ縦断の旅:本編その12:日本の船に乗りスラムへ

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待合室で待っていると来た時は船が出たばかりだったからかガラガラにもかかわらず 5分も待っているとすぐに一杯になった。

そこに対岸からの船がやってきて大量の乗船客が降りてくる。

 

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乗船客が降りゲートが開くと, 乗船者が一斉に乗り込む。

思っていたよりもずっと大きな船であった。

これなら一気に大量の人数を載せられる。

自分は写真を沢山撮りたかったので, 2階の端に陣取る。

出航してからヤンゴン川の景色を必死にとっていると, 隣の人が日本人かと日本語で話しかけてきた。

 

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船からはヤンゴンの港に沿ってタンカーなどが並ぶ様子が見て取れた。

どうして日本語が話せるのだと尋ねると, 友達が日本大使館で働いているとの事だった。

何で船に乗っているのか, 仕事は何しているのかと聞くと,

普段は向こう岸でシクロドライバーをやっており, 子供の送り迎えでヤンゴンに来ていた帰りであるとの事だった。

 

本当は今日乗り物に乗るつもりは全くなかったのだが, 落ち着いた語り口調で自分から営業をかけてこない姿勢に好感を覚え, 自分から家を訪問させて貰えないかとお願いした。

1時間9,000kyatsでどうだと言ってきたので, 相場はよくわからなかったが, さっき広場で話したインド系の女は20,000kyatsぐらいじゃないかと言っていたから, 安いもんかと思い, 8,000kyatsにだけまけてもらい合意した。

 

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日本とミャンマーの国旗マークが記された向こう岸に着くと, 沢山のドライバーから声を掛けてきたが, 彼らを無視して先ほどのドライバーのシクロに乗る。

彼自身はビルマ人のようだが, ここのドライバーはムスリムが多いそうだ。 

jbpress.ismedia.jp

自転車のサイドカーに乗って, 10分程走ると彼の自宅に到着した。

ここまでの道中話に聞いていた通り, この国のどこで見たものとは明らかに異なる圧倒的な貧困地帯が広がっていた。

家はボロボロだし, 狭いところに沢山の人が肩を寄せ合って暮らしているようであった。

細い道端には狂犬病を心配してしまうような野良犬が沢山寝ていた。

とはいえ, ドライバー達は住民一人一人を見知っているようで, 声をかけあっており, その見かけとは裏腹に悲壮的な雰囲気は全く感じられなかったのも印象的であった。

 

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彼の家に到着した祖母と子供に挨拶をする。

椅子に座らしてもらい, よくよく話を聞くと家は海外によくある違法建築かと思いきや, ちゃんと家賃があり, 払って生活しているという。

飲料水は井戸水の水質が悪いため飲むことができず, 雨季は雨水を, 乾季はヤンゴンから500チャットで飲料水を購入しなければならず家計を圧迫する原因となっているとの事であった。

 

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子供はタナカを付けている。男も18歳くらいまではタナカを付けるそうだ。

家にはTVは備わっていた。

東南アジアの田舎ではクーラーなど他に必要そうに思えるものよりもTVが優先的に備わっている事が多い気がする。

 

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またダラでたまに見かけた水田はここの住人のものではなく, 持ち主はヤンゴンに住んでいるという話であった。

結局住人の数に対して稼げる仕事が不足しているのが, この町の問題点になっているようだ。

  

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街中には学校のような建物もちらほら。

大きな通りには商店も建ち並ぶ。

 

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 彼らの話を聞いていると, 最も深刻なのは医療関係のように思われた。

ダラにも病院があるようで無料で利用できるようだが, 信用されていないそうだ

 

彼の祖母も病気で視力を失ったそうで, 子供は9か月早く生まれて病院通いだそうなのだが, 高額ではあるものの, ヤンゴンの病院に行っているそうだ。

おそらく医療保険に入っていないからだろうか1万円近くかかるそうで月収が非常に低い彼らにはとてつもなく大きな負担である事が察せられた。

 

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自宅訪問の後, 時間がまだ余っていたので, バンブービレッジという津波で大きな被害を受けた村へ寄ったのだが, この村はダラの中でも更に貧困が酷い場所であり, 子供達の多くがサンダルさえ履いておらず裸足で道を歩いていた

 

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一通り村を見て回った後, 近くの米屋で自分も米を購入して寄付させてもらった。25,000キャット分で俵に自分の名前を記した。

ダラに住むドライバー自身も年に一度子供達のためにサンダルを寄付しているそうだ。

貧しい者同士でも助け合いながら生きていこうとする姿勢にはなんとなく昔の日本のイメージとも重なり, 今の日本人も見習わなければならないところも多々あると感じられた。

 

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結局なんだかんだ時間を食ってしまい埠頭に戻る事には1時間過ぎていたのだが, 寄付をして, もう10,000kyatsしか残っていないから足りないなら歩いて帰るよと伝えたのだが,

お前は自分の家に来てくれたんだ, お金の事は気にしなくて良いから, との男前発言。

 

ここまで言わせて遠慮するのも無粋に思えたので, 遠慮なく乗せてもらい, スコールが降り注ぐ中埠頭まで走った。結局着いた頃には1時間半ぐらい経っていたと思うが, 10,000kyatsだけ支払って, 彼らと記念撮影を沢山とった。

残念ながら彼らはfacebookなどをやっておらず写真は渡せなかった。

 

到着した頃には全身ずぶ濡れだったのだが, 不思議とそんな事も全く嫌な気がせず, ほっこりとした気持ちでヤンゴンに戻っていったのであった。

印象に残ったのは彼ら自身が貧しい生活をしているにも関わらず, より貧しい住民を助けながら, 声を掛け合い生きていく姿であったと思う。

この旅の中でも忘れられない経験であった。

 

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大型フェリー以外にも小舟が庶民の足となっているみたいだ。

 

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ダラ自体にはほとんど仕事がないのであろう, 多くの在住者は対岸のヤンゴンで様々な仕事をしているようだ。

 

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対岸のヤンゴンに戻ると再びの大雨に見舞われたので銀行らしき大きな建物が雨宿り。

 

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そして雨が止んだ頃ガイドブックにも掲載されている近くの有名なティーハウスへと行ってみた。


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値段もミャンマーにしては割高で素晴らしいカフェなのだが, ある意味植民地文化の象徴のような場所でもあり, 華麗な上級社会を彷彿とさせる場所とこの日訪れたスラム街の二つの対比があまりに大きくなんだか不思議な感覚であった。

 

ミャンマーのスラム街ダラ地区には日本としても大型フェリーを寄付するなど歴史的に協力してきた経緯もあり, 今後発展していくミャンマーに取り残されないよう引き続き支援していって欲しいと思っている。

 

 

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