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【世界旅ブログ】アジアの辺境・奥地へ

【ブータン・インド国境を抜けて】ヒマラヤ南麓横断旅7:インドの鉄道に乗車してシリグリへ

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インドの国境管理所へと連れて行って貰う。係員が昼休みなのか, 不在で少し待ち時間はあったが, あらかじめ観光ビザをとっておいたので入国審査自体はスムーズに通過

最後にブータンから一緒に来たガイドがバスターミナルまで行くためのリキシャーをドライバーと交渉。

100ルピーとぼったくり価格を提示されてガイドが激しく交渉してくれていたのだが, ブータンのおおらかな雰囲気で慣れきってしまっていた自分は耐え切れずに途中で価格を受け入れてしまう失態。

 

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しかもそのオート三輪者を一人で独占できるわけでもなく, 途中で人を拾われる。

この時に乗ってきたのが, ブータン人とインド人の組み合わせ。

彼らに値段いくらだったと聞いたら自分の十分の一の10ルピー。

ブータン人にインド人は隙あらばだましてくるんだから, とめちゃめちゃ怒られてしまった。

彼らがドライバーと再交渉してくれたが, 流石に一度合意した価格は覆らない。 

 

しかも自分がインド紙幣を持ち合わせていなかったため, 彼らが立て替えまでしてくれたのだった。

いやもうほんと隣国なのに国民性が違いすぎるでしょと思う。

 

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バスターミナルまで着いてから, ハシムラ行きのバスに乗車。

そこでしばらく待っていたのだが, どうやら発車にはしばらく時間がかかるようだ。

三人で一台チャーターすれば, 安く済むからそれで駅まで行かないかと提案を受けて, 値段も一人40と安かったので快諾。

そして結局リキシャーで鉄道駅のあるハシムラまで移動した。

 

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同行したブータン人とインド人。

先ほどリキシャの代金を立て替えて貰っていたのでここで清算。 

このブータンの服装でインドにいるのは不思議な感じである。

駅にはサドゥーや物乞いの子供達もいてインドらしいブータンでは見られなかった光景だ。

 

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駅にて鉄道の発車時刻を確認。

窓口が閉まっていたのだが, 周りの人に聞いてくれたところによると一時間後くらいの模様。

 

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列車を待っている間は近くの売店へ。

何故か飲み物やタバコを同行の彼らがくれた。

二人はレストランで食事しに行ったのだが, 自分は暑さで食欲が湧かず, 売店や駅舎でブラブラして時間を潰す。

ここからシリグリまでバスがでているようなのでその手段も考えたが, 値段が鉄道のほうが30ルピーと遥かに安く結局バスも時間通りに来る気配がなかったため鉄道で行くことに。

 

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しばらくして食事から戻ってきた彼らと駅で合流。

適当に周りの紳士そうな人にシリグリで降りるから着いたときに彼に教えてあげてくれと頼んでくれた。

ブータンの人には最後まで助けられる

 

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列車の中にはインド人がいっぱい。

シリグリまでは2時間半ほどかかるようだ。

インドの鉄道というと人でギュウギュウのイメージもあるが, 何とか一席空いていたのでボックス席に座ることができた。

そして車窓の風景はいつの間にか茶畑に。

流石インド北部はダージリンアッサムで知られる茶の栽培地帯である。

 

 

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途中のジャングルで列車が徐行運転に。

周りの乗客に聞いてみると, この区間象が列車に突進してくるため徐行運転になるらしい。

えぇー、そんな事あるのかと驚く。

 

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そしてシリグリに到着。

到着の頃には陽もすっかり沈んだ7時頃。

1時間ほど到着が遅れただろうか。

 

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鉄道に乗車している間に予約しておいたホテルへと移動。

距離がそんなにないので駅前に溜まっているリキシャーはスルーしてホテルまで徒歩で向かうことを試みる。

が、ダメ!

ホテルは見える場所にあるのだが, 交差点を渡ることがとてもじゃないが不可能。

信号がなくて延々と車列が続き反対側へといけない。

ただ鉄道で席が一緒になった人が, 同じ方向だからという理由でリキシャーを捕まえてくれた。地元値段で交渉してくれたので安く10ルピー。

 

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ホテルへと到着。

宿泊したのは最近急成長しているホテルチェーンであるOYO

世界的に注目されているスタートアップ企業でもあり, ドバイにも沢山あるホテルだ。

 

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明朝はダージリンへと向かう日。

ホテルに荷物を置いた後, 念のため行き方を今日のうちに確認しておく。

 

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地理が分かってきたので自力で何とか駅前のバスターミナルへとやってきた。

沢山のバスが並んでいる。だが, どうにもダージリン行きバスが見当たらない

どうやらシリグリからダージリンまでの移動はバスではなく乗り合いジープが一般的のようだ。

 

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駅まで戻ってきた。

流石インドで駅の構内には地べたに寝そべる人々が沢山。

 

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駅前ロータリーには機関車が展示。

世界文化遺産にもなっている世界最古の山岳鉄であるダージリン・ヒマラヤ鉄道の機関車だ。

本来ならこれに乗ってダージリンまで行きたいところなのだが, とてつもなく遅いため移動するためにこれを使うのは一般的ではない。

 

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駅近くでダージリン行きのジープを確認。

ただ翌朝気が付くのだが, 別に心配する必要ないほど朝の駅付近にダージリン行きのジープが大量に溜まっていた

 

この辺は旅行会社が沢山あって他にもニューデリーカルカッタなど大都市行きのツーリストバスもある。

ちなみに旅行会社のブースでジープではなく, ダージリンまでのバスの値段を念のため聞くと十倍以上のぼったくり価格を提示されたので交渉すらせず無視。

 

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帰りに夕飯用に焼きとうもろこしを購入。20ルピー。

その場でとうもろこしを選んで焼いてくれ, かなりの塩が振りかけられた焼きたては美味しかった。

 

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ホテルの無料のティーバッグも当然ダージリン紅茶

いよいよ明日はダージリンへ向け出発だ。

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【天国から地獄へ】ヒマラヤ南麓横断旅6:霧の山道を抜けてブータンのインド国境へ

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さてこの日はブータンからインドへの陸路移動日。

朝起床して荷物をまとめ, ホテルをチェックアウトする。

初日にパロへと到着し, そこからティンプー・プナカ・パロと移動してきたが, この日は南のブータン・インド国境プンツォリンへと向かう。

 

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快適なリゾートヴィラともお別れ。

 

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さて朝8時頃に出発。

インドまでへの道のりを行く。

先ず気付いたのが路面状態。

パロからティンプーやプナカの三大市街地を繋ぐ道路は路面がよく整備されており, 全く不快感はなかったが, パロからインド方面へはコンクリートで整備されてはいるもののその前者程にはメンテされていないようで時折路面状態の悪い箇所が存在した。

前者はやはり海外からのVIPや政府要人も使用するルートだけあって最もよく整備されている箇所なのだろう。

そして気付くのが検問の多さ

どうやら街の出入り口毎にチェックポイントがあるようだ。

 

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途中で一度トイレ休憩。

場所は山のかなり標高の高いところにあるレストハウスだった。

 

 

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ブータンの道のりはやはりほとんどが山道である。

確か5時間以上走ったと思うが, その分景色は全く飽きさせない。

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時折崖崩れが発生している箇所に遭遇して徐行運転する事もある。

雨季は壊れる事が多いそうだ。ただ, 全体的には首尾よく進んだ。

このブータンとインドを結ぶ道自体は産業道路のようになっていて一般乗用車はほとんど見かけないのだが, インドナンバーの大型トラックとはしばしばすれ違う。

両国が経済的に深い結びつきがある証だろう。

 

しかも車輛のナンバープレートを見る限りどれもインドのトラックであった。

また道路へのダメージがパロからティンプー方向より目立つのは重量大型車が中心だからでもあるだろう。

 

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途中には大きな町はほとんどないが, 一つだけ国内で有名なブータン王立大学のキャンパスがあり学生が沢山いたGeduという街があった。

(下の動画に空撮映像あり)

www.youtube.com

 

ブータンでは高校までは無料だが, 大学は国内に多くないそうで, 学費の安いインドに留学する大学生が多いそうだ。 

そして最後の難関が, その街を過ぎたあたりからプンツォリンへと抜ける最後の峠のあるのだが, ここが霧に覆われていて視界が悪い。

ガイドによるとここの峠はしょっちゅう霧に包まれるそうだ。

徐行運転の前方のトラックの後ろについてしばらく走ることとなった。

 

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そして峠を越え視界も良くなるとプンツォリンの街へと入るための検問を通過

外国人を載せているため, こうした検問では毎回ストップしてパスポートなどを提示しガイドが通過許可をもらっている

 

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プンツォリンの街へと到着。

さっきまで涼しいくらいだったのだが, 標高が下がったせいで温度も大分高くなってきた

ブータンの他の街と比べるとゴミゴミ感が強めの国境沿いらしい街だ。

 

ただ感想はどっち側から来るかにもよるだろう。

インド側からこの街へと入ってくれば, 静かで雰囲気の良い街という感想を持つかもしれない。

 

国境のゲートが見えてきた、

 

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正午頃に国境のゲート手前のガソリンスタンドでストップ。

ここまで4時間程かかった。

ガイドにパスポートを渡し気付いたら出国手続きを済ませてくれていた。

ガソリンスタンドとゲートの間にあった建物が出入国管理所であった。

ちなみにブータンは水資源およびそれに伴う電力は豊富であるものの石油資源はないためガソリンスタンドはインド系企業のもののようだ。

 

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ブータンらしいゲート。

今回はちゃんと管理所で手続きを済ませたが, 実際には別にこの門のところで誰かが立ってチェックしているわけでもなく, 自由に行き来ができる状態だ。

実際インド人は手続き不要のためわざわざ立ち止まって手続きをするのは自分の車ぐらいである。

 

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ゲート隣の広場。

完全にブータン側とインド側は繋がっていて国境管理も何もない。

 

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そして国境ゲートをくぐった瞬間。

ゲートの反対側にはブータンらしい

 

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国境を越えて目に飛び込んでくるのはまさしくザ・インド

無数の人影。大量の排気ガス。けたたましいエンジンとクラクションの騒音

 

実はこの国境を通り超えたというブログ記事はインターネット上で結構確認できるのだが, そのほぼ全てがインド滞在バックパッカーが国境管理がなされていないのを良い事にブータンに入ってみたという記事

インド側から見たブータンの感想を書いているのだが, 自分の場合は逆ルート。

しかも自分にとってはこれが初インドである。

この時点でインドを知らず, ブータンを知っているというおそらく珍しいタイプの旅行者だ。

しかし, 初めてインドを知った瞬間の最初の感想としては気温の変化もあいまって, さっきまでいた素朴で穏やかな人々が静かに暮らす天国のような場所から, 人の熱気と騒音と動物だらけの地獄へと急に叩き落されたかのような感覚が正直なところである。
 

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【マリファナ生えてる?】ヒマラヤ南麓横断旅5:パロでアーチェリー

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山からパロの市街へと戻る途中。

ガイドがアレはガンジャ大麻という。 

え?まじでそんな事あるの??と思うのだが, 普通の道端に普通にマリファナが自生している。

 

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あまりに当たり前に生えているため周りの風景にも完全になじんでいる。

ガイドの話ではブータンでは国内そこら中で生えているとの事。

ただし, 伐採するのは違法。見つかったら重刑で9年ほど刑務所に入るそうだ。

とはいえ灯りも完全にはないブータンでは夜中に採ろうと思えばいくらでも採れる気がする。

確かに過去ニュースでもブータンのドラッグ問題がフォーカスされたことがあった。

一部若者の間には流行っているそうだ。

こういったドラッグはインドから来るそうでテレビやインターネットの影響もあるそうだ。

news.yahoo.co.jp

そして昼食。

例によってバイキング形式。

流石に一山上り下りしてきたばかりのグロッキー状態であまり食べられなかった。

 

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パロの街中心部。

ブータン風家屋が通り沿いに建ち並ぶ。

 

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お土産屋も多いため勿論例のアレも売っている。

 

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町の中心部から程近い場所に市場があった。

 

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市場は大人の仕事場でもあり子供の遊び場でもある。

 

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唐辛子や野菜など食料品以外にもパロのお土産屋などで売られているであろう特産品も並べられている。

おそらく街中で買うよりここの方がはるかに安く購入できるだろう。

とはいえ自分の場合はこれからまだまだ旅が続くため土産物の購入は我慢。

 

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さて, やってきたのはアーチェリー場。

 

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両脇の11人のチームが二矢ずつ放つ。

ブータンのアーチェリー場では競技者の他にも横で見学する人が多数。

しかし矢の軌道のすぐ横でのんびり見ているが, どうみても危ない。

 

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ブータンでのアーチェリーはダツェと呼ばれる。

驚きなのが的までの距離。

国際的なアーチェリー競技では中学生で18-30m程度, 大人でも70m程度だが, ブータンでは130m程度と圧倒的に長い

しかもスコープなしの肉眼で的のどこに当たったのか見えているようで視力も半端じゃない。 

的の板にあたると2点, 真ん中の円にあたると3点, いたから外れても近くなら1点入る。

そしてブータン流では矢が2点以上に入ると伝統ダンスが始まる。

 

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11人チームの各人が二矢ずつ放つが, 両方とも板にあたると派手目な特別なダンスになる。

ダンスがあるので見てて飽きずに一時間程過ごしてしまった。

皆のんびり過ごしているが日本国内でのアーチェリーといえば矢が明後日の方向に飛んで行っても人に当たらないよう配慮されているのだが, 明らかにここは危ないのがずっと気がかり。

 

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弦を引くときに背中を大きく反らせる人がいる。

そして狙いを定めるのに, 弦を西洋式アーチェリーのような鼻先ではなく弓道のように頬横に構えるのがブータン流のようだ。

 

的に当てた時の踊りは日本でいうところの田楽踊りみたいなもので, ここでも祭りの時だけでなく田植えや家造りをする際に唄う

 

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一時間程登山の休憩がてら見学して次の場所へと出発する。

 

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次にやってきたのが外国人にして初めてダショーの称号をブータン国王から授かった

ダショー西岡が記念されている西岡チョルテン

ja.wikipedia.org

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ダショー西岡は農業学者でブータンの農業振興に多大な功績を遺した人物。

国立農業機械化センター内に記念碑がある。

hashim.travel.coocan.jp

 

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ダショー西岡の説明文。

 

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ダショー西岡はリンゴと桃を掛け合わせたり, 違うリンゴを組み合わせたりして品種改良に取り組んだそうだ。

 

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施設の出入りゲート。

なんか工事していると思ったら, この作業は近々秋篠宮家ご訪問予定がありその準備作業をしている最中であった。

 

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景勝地

 

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街の学校が山中にあった。

 

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生徒の通学も坂道。

 

続く。

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【山登りの果てに寺院】ヒマラヤ南麓横断旅4:パロの山岳寺院

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プナカ市街から離れた山の中腹に市場があり訪問。

 

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どこの国でも売られているものからその国が見えてくるので市場の散策は面白い。

ロベサ市場というらしい。

 

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木造の小屋に並べられた商品。

唐辛子が目立つ。

 

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何か買おうかとも思ったが, 観光客に向けた軽くつまめるようなものを売っていない。商売の相手は地元の人達だ。

しかし, プナカの街中ではなくて山中にあるのが興味深い特徴であった。 

こんな場所にあって不便じゃないのかとも思うのだが, ブータンは都市化や都市部への一極集中が進んでおらず山村に住む人が多いからかもしれない。

ぶらさがっているのはチーズだそう。

 

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再びドチェラ峠を越えてパロを目指す。

パロはブータン到着初日で空港に降り立った場所だが, VIP対応で道路がじきに封鎖されるということで全く観られていなかったので, 実質今回が初めてだ。

道中は牛が道端で交尾をしていたりとのどかな空気。

 

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ドチェラ峠からの景色。

往路で止まったときは霧におおわれて景色どころではなかったが, 今度は晴れ。

木々の合間から見える景色はどこまでも続く山並み

 

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ティンプーの砦。

 

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パロに到着。

宿泊先として案内されたのは川沿いのリゾートペンションのようなところで部屋毎にロッジが割り当てられる。

普段こんなリゾートのような場所に泊まらないので不思議な気分だ。

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近くの丘に登ると空港が見渡せる。

 

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街を一望できるためか人も沢山。

アクセスが割と良いためかインド人観光客が結構目につく。

陽が落ちるまでぼーっとして過ごす。

 

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ティンプーはまだ夜中でも人の出入りがあったが, パロではもはや人影が見当たらず犬の遠吠えだけが谷に響く。

明日は山登りで早く起床することもあり, 早々にホテルへ戻ることとした。

 

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夕食はホテルバイキング。

プナカのゾンで出会ったガイドの友達と偶然一緒になった。

本当に世間の狭い国だ, ブータンは。

 

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翌朝ホテルで7時半にピックアップして貰い, パロの山へと移動。

途中通過するパロ市街でガイドをピックアップ。

昨晩はパロの友達の家に泊まっていたとの事。

 

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若者の通学風景馬の通勤風景を横目に目的の山の出発拠点へと移動。

 

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ここが本日の山登りの出発地点。

目指す山岳寺院はブータン観光のハイライトであるため入国するほとんどの旅行客が訪れていることだろう。

 

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奥に見える大きな山の斜面によく見ると小さく寺院が視認できる。

あんな離れた場所にあるのかとビックり。

8時頃に登山開始。

最初の区間は馬でも登ることができるが, 当然自分の足で進む。

 

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最初一時間程歩くと休憩所が出現。

ここで一服するのだが, 目指す寺院が近づいている気はしない。

 

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それから数時間, 結構なペースで登っていき朝のうちに寺が目の前に見える位置まで来た。

 

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最後の区間は滝の流れ落ちる谷間を通り超えていく。

 

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最後の階段を登りきると遂に寺院へ到着。

 

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ここはタクツァン僧院という場所で別名が虎の巣を意味するタイガーネスト

建物内部は残念ながら撮影はできないのでここまで。

 

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寺院内部はブータンの人達が沢山参拝に訪れていた。

身体を投げだす五体投地でお参りするのが正式な参拝方法のよう。

 

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寺院は過去1998年に一度火事で焼失したそうだが, この国を代表する寺院でもあり, 国をあげて再建したそうだ。

その際には物資運搬のためケーブルカーまで建設されたのだそう。

しかし, せっかくケーブルカーを作ったのならそのまま残しておけば良いものをと思ってしまうのだが, そこは自然の形に戻すことにこだわるのがブータン流だ。

 

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下山していくと自分のガイドがよくすれ違うツアーガイドと話を交わす。

狭い世界だから皆友達なのかもしれない。

ガイドの人達は口笛吹いて歩きスマホしながら登り降りする人もいて余裕の様子。

 

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途中の休憩所まで戻ってきた。

ここまで来れば後はもうすぐ。

 

休憩所で話したインド人家族の女の子に日本から来たというとしんのすけと言うではないか。

どこのしんのすけだ?と思っていたらクレヨンしんちゃんの事だった。

まさお君, ねねちゃん達も知っていてびっくりだ。

 

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最後の区間を降りていく。

ここは馬が人を載せて登ってくる区間なのでしばしばすれ違う。

 

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結局正午過ぎには出発点まで戻ってこれた。

 

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早朝着いた時は何だろうと思っていた木造の空間はお土産屋だったようだ。

ガイドに聞いたところ今までの旅行客で一番ペースが速かったとの事。

往復で合計4時間程度。ブータン人でも片道1時間半程度だそうなので休憩・見学を除けば地元の人と変わらないペースだ。

 

観光客は遅い人だと日没まで丸一日12時間程かかるとの事であった。ブータン旅行するのは年齢層が高めだからなのかもしれない。


続く

snowm-blog.hatenablog.com



 

【雄大な山岳国に聳える城】ヒマラヤ南麓横断旅3:古都プナカ

snowm-blog.hatenablog.com

 

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ブータン名物バター茶を飲みながらホテルで朝食。

 

このバター茶を一口飲むと体に衝撃が走る。

塩分濃度が高すぎて身体が拒否しているのが分かる。

とても水なしでは飲めなさそうだ。

ブータンチベットでは国民的に人気なバター茶だが, 確かに健康被害も出ている側面もあるようだ。

最近ではインドの影響もありチャイのような普通の紅茶も飲まれているそう。

 

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ガイドと待ち合わせて車に乗り込む。

この日は首都ティンプーを離れて, 古都プナカへと移動。

 

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道のりのほとんどはやはり峠道。

如何にこの国が山中にあることかがよく分かる。

 

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有名なドチュラ峠へと到着。

天気が晴れていればここから雄大な景色が見られるそうなのだが, あいにくの濃霧で視界がかなり悪い。

 

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峠にはチベット仏教の寺院的な施設。

沢山の小さな仏塔が建ち並ぶ。これは108もあるそうだ。

 

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社会科見学のような高校生集団とも遭遇。

かつての二首都を結ぶ道沿いにある峠なので有名な場所である。

 

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隣にレストランがありトイレ休憩。

日本なら利用もしないのにトイレを借りれば何か言われそうなものだが, そこはおおらかなブータン流で誰も気にする様子はなかった。

 

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プナカに向けて移動再開。

 

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道中には時折カラフルな五色旗がある。

これはチベット仏教の祈祷の旗でタルチョーと呼ばれるもの。

よくみると一つ一つにチベット語が書かれている。

 

ブータンのみならずチベットやヒマラヤ地域・ネパールのバックパッカータメル地区の象徴にもなっているものだ。

ja.wikipedia.org

 

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山がちなブータンでは川釣りも禁止されており魚はインドから輸入してくるそうだ。

ただ密漁する人は結構いるのだとか。

山中の道路では掃除している人達を結構みかけた。

 

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プナカにも程近い途中の村に到着。

 

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ここは有名なチミラカンという寺院へと続く道。

入るときにはマニ車という寺の鐘のようなものを回していく。

これを一度回すとお経を一度唱えるのと同じ効果があるそうだ。

 

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やはり外国人は多くなくて地元の人が多い。

しかし, ブータンの人達の見た目は日本人そっくり。

 

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しかも服装が昔の日本のようなので明治頃の日本ってこんな感じなのかなと思ってしまう。

寺院の建物の中は撮影禁止。

 

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入る時や出る時はこのマニ車を回してから。

 

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参詣道には土産物屋の露店。

ブータン名物の男根も売っている。

このお寺は女性が参拝すると子宝に恵まれるご利益があるため, この寺院周辺にはこうしたグッズが特に売られている。

 

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ガイドいわくブータンでは結婚式の文化が ないそうだ。

また夜這い文化がより田舎の東部ではまだ残っているのだとか。

 

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寺院前の集落。

壁のペイントが面白い。

男根のペイントは豊穣多産や魔除けの意味合いがあるそうだ。

hashim.travel.coocan.jp

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プナカのゾンへと向かう。

 

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直前で昼食。

そしてすぐに見えてきたのが雄大な自然の中に映える巨大な城。

ブータンでは各地にゾンと呼ばれる城があるのだが, ここのプナカ・ゾンはひときわ美しい。

 

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プナカはかつて冬の首都。

夏は涼しいティンプーで, 冬は温暖なプナカにて国王が政治を摂り行ってきた。

 

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入城には橋を渡って入る。

 

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僧侶の格好も絵になるが, 一般のブータン人もここに入るときは正装しなければならないのだそうでガイドも通常の服に加えて白い布を肩にかける。

 

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木製の橋を渡り城へと入る。

 

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伝統衣装と木製の伝統建築の橋と城。

現在でも国王のセレモニーはこのプナカゾンで執り行われ, 訪問中の秋篠宮家も宿泊予定なのだそうだ。

 

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他の建物も統一感があって観光には良い国だ。

確かに日本のインバウンドのように観光客がどっと押し寄せると, その弊害はゴミ問題やマナー, 交通機関のパンクなど随所に表れてしまうので, 最低料金を設定して客数を一定程度抑える政策は日本も参考にすべきかもしれない。

 

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建物は目の前で見ると巨大。

こんな山奥の辺鄙な国によくぞ建てられたと思うくらいだ。

しかも城が建っているので川のすぐそば, 物資の搬入も容易とは思えない。

 

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ブータンは小国ながら戦争経験は結構ある国。

こんな昔ながらの生活を守る国にも関わらず大英帝国の侵入を手こずらせたりと, その武勇でも知られた国なのだ。

その中心となるのがゾンと呼ばれる各地の町にある城。

険しい立地に建てられたゾンを拠点とした山岳戦は多くの外敵を苦しめた。

ネパールのグルカ兵といい, このヒマラヤ地域は険しい環境故にそういう性質が育まれる土壌があるのだろうか。

 

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川は他の大きな町とはつながっていないため船による水運は使われていないそうだ。ただ最近ではレジャー用に使われることがあるそう。

さて数キロ離れたところにある新市街へと移動。

ここには一般市民が住んでいるようで3-4階建ての建物がずらりと並ぶ。

 

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かつて首都だったとは思えない程のどかな街。

 

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パロへと続く。

snowm-blog.hatenablog.com

【VIPだらけの首都ティンプー観光】ヒマラヤ南麓横断旅2:信号機のない国に唯一ある信号とは?

snowm-blog.hatenablog.com

 

さてこれから秋篠宮インドのモディ首相が空港から首都まで移動するという事なので道路が封鎖される前に首都ティンプーへと移動。 

谷間を走る道路は景色が最高だ。

移動中に何度か橋を渡るのだが, しばしばインドの支援で建設されたという英語の看板を見かける。

両国の経済的な結びつきの強さがよく分かる。

反対側の中国とはヒマラヤ山脈がそびえており整備された道路も特にない。経済的にはインドにかなり依存しているだろう。

  

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移動中にすれ違った警察関係の車列。

これからVIPの移動があるのでその警護のためだろうか。

 

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首都ティンプーに到着。

先ずはお昼ご飯の時間。

あまりにも多くて実質バイキングのよう。

 

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レストランにはチベットらしき風景の絵やブータン王室の絵が飾ってある。

この二種類の絵はこの後の旅でもしばしば見かける写真だ。

 

食事後にようやく観光開始。

あんまり自動車の走っていないブータンだが, この日はVIPが来ていて交通規制があるため街中は渋滞気味であった。

ティンプー周りの行き先はガイドにお任せにしてみたところ最初に連れてこられたのが山の中腹にある巨大な仏陀がある寺院。

 

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とてつもなく大きいためインパクトはあるのだが, どうやら最近建てられたものらしく観光ガイドブックなどにも記載されていない。

 

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その後訪れたのが博物館。

ブータンでは必ずガイドを付けて観光しなければならず旅程表もビザ取得時に提出するのだが, 自分の場合はざっくり街の場所を指定しておいたぐらいで具体的な訪問施設は当日にガイドと相談して決定していった。

 

 

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博物館の建物もブータン風。

 

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ブータンの家庭での伝統的な暮らしぶりが展示。

ちなみに現代ではテレビでボリウッドが人気で文化的にもインドの影響が強いようだ。

それから何故か日本アニメのGENJI, CROW (多分クローズの事?) が少し前に流行していたのだそうだ。

 

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お米やワイン。

ブータン米食だ。

アルコールはアラという米からつくる米焼酎のような地酒が主流であるもののワインなど様々なものを作っているそうだ。

しかも家庭で醸造することも多いのだとか。

自家製なので当然各家庭で味が少し違うのだろう。

 

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トウガラシや織物

 

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建物内の展示は撮影禁止だったので途中省略。

次までの移動中に王宮があった。中には入れないようだ。

 

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見つけた注意喚起の看板。 

ドラッグはまだしもアルコール・タバコまでもが禁止されている。

ガイドはタバコはこっそり吸っているんだとか。

 

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やってきたのはこの国の名物であるターキンという国獣。
 

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なんかアルパカのようなゆるキャラ属性がある気がする。

 

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まったりした気分に浸ったら, また次の場所へと移動。

訪れたのは紙漉き工場。

 

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ここでは昔ながらの技法で紙を作っているようだ。

製紙作業における独特のにおいが立ち込める。

 

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自分以外にも欧米人のツアー客が訪問していた。

働いているのが皆女性だが, そういえばブータン世界的にも珍しい女系社会

しかも結婚を式として祝う文化がなく, 特により田舎な東部において夜這い文化があるのだ。

ただガイド曰く最近では近代化の影響で変わってきてはいるそうだ。

 

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ここまででガイドによる本日のツアーは終わり。

他にも国立図書館など行ってみたいところが多々あったのだが, VIP訪問のため閉まっている施設が多く断念

一旦ホテルで一休憩してから街ブラに出かける。

 

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ホテルの前が大きな時計台広場になっているのだが, ホテル下の階段のところが野犬の溜まり場と化していて外出するにも一苦労だ。

お昼前に両替したところ。

この国にはどうも両替所のような場所がないらしくレジすらない普通の雑貨屋みたいなところでおばちゃんが両替してくれる謎システム

ブータン以外の国の感覚だと怪しすぎて偽札なんじゃないかと疑ってしまうが, どうもこの国では日本の田舎町のような住人全員知り合いだから騙される事ないという感覚でやり繰りされているようだ。

 

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ブータンには信号機が存在しない

その代わりに唯一存在しているのがここ。

手旗信号で運営されていて国中で唯一信号のある交差点なのだ。

なんという辺境の国だろうか。

しかもこの交差点は奥が王宮になっていてVIPが通る場所なのだそうだ。

 

秋篠宮家の夏休みとインドのモディ首相訪問に偶然かぶってしまっため, この日も通るんじゃないかと薄々期待していたら本当にVIPの車列が通りがかった。

基本的に車の通行料が少ないため, 道路を横切る歩行者がひっきりなしにいるのだが, この時ばかりは大量の警察官により歩行者がちゃんと両側にある歩行者通路に押しやられていた。

 

そしてこの時通ったのはインドのモディ首相であった。

最初ありがちな黒い車が沢山通ったかと思いきや後ろからトラックが後から付いてきていてその上にスナイパーの警察官(もしくは軍人)数人が銃を構えながら襲撃してくるやつがいないか常時両側の人達に対し警戒している。

いくらVIPとはいえそこまでするのかと驚くあまり, その時の写真は撮り忘れてしまった。

 

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でもよくよく考えればブータンは対立するインドと中国に挟まれた国

しかも近年でも中国との領土紛争で軍事衝突が起きた場所だ。

www.epochtimes.jp

 

この感じだとおそらく国境管理もきっちりとはやっていないだろうから変な奴が潜り込んでくるリスクは当然あるだろう。

(この後に国境を通ったが, 実質やろうとさえ思えば自由に通行できる状況だった)

しかも中国の内政的には非常に不安定なチベット地域とも接するだけにそれだけセンシティブにならなければいけないのかもしれない。

なにせチベット仏教が多数派の唯一の国なのである。

 

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バスターミナル。

そしてそこ面するペットショップのかわいらしい子供。

 

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適当にブラブラ歩いていたところ見つけたのがアーチェリー場

ブータンでは国技ともいえる国民的スポーツである。

 

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ただ防護壁とか十分なスペースもなく非常に危険な環境ではある。

そして伝統的な暮らしを守るブータンの人達が西洋製のアーチェリーの弓矢を使いこなすのは違和感もあるが, 皆アーチェリーを楽しんでいる。

ちなみにブータンでは弓矢だけでなく地方の名家では帯刀している人もいるらしい。

アーチェリーについては後日しっかり見学する機会があったので後程そちらの記事でも記載する。

 

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この後やってきたのはアーチェリー場の隣にあったサッカー場

どうやらブータンにも国内リーグがあるようでその試合があるようだ。

しかも入場は無料

 

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一旦ホテルで晩御飯。

 

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夜中の信号の交差点。

地元の人は気にしていないようだが, 野犬がめちゃめちゃうろついている。

 

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多くはないがよくよく探すと国際的なチェーン店も存在。

といってもパクリ疑惑で叩かれている店だが。。

 

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一本それると電灯などなく真っ暗。

ただブータンの人達の気質もあるからか治安の悪さは感じられない。

 

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市場を発見。

 

 

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大きな建物がでてきた・・と思ったらこれがまさかの橋。

どうやらブータンの伝統的な建築様式で橋が架けられているようだ。

 

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木造でとても立派な橋。

しかし, 向こう岸へと渡っても特段何もなくひたすらシャッター街が続く。

どうやら時間帯によってはここも市場として開いているようだ。

 

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怪しい建物に潜入してみたが, 特に何もなかった。

 

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ビリヤードができる場所も

夜中は子供が道路の真ん中でサッカーをしているが, 特に誰も注意する事なくそれが当たり前であるかのように振舞っている。

 

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続く

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【秋篠宮家と同行する皇室の夏休み】ヒマラヤ南麓横断旅1:幸せの国ブータンに敷かれたレッドカーペット

2019年夏。ある旅を思い付く。

それがヒマラヤ山脈南麓地域である

ブータン・インド北部・ネパールの陸路旅だ。

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航空機代や時間の制約によりこれまでどうしても東南アジアの多かった自分にとっては本格的にそれ以外の地域に進出した旅となった。

そして最初に訪れるのが旅人に人気のインドでもネパールでもなく, ブータンである。

ブータンは国の規定によりバックパッカーのような格安旅行ができないため, ある程度の予算が必要だが, 幸せの国として2011年東日本大震災後に訪れた国王の国会での演説が日本人にとって印象的だった興味深い国である。


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そんな神秘の国へと旅立つ。

ただブータンへは航空路線が限られていてバンコクシンガポール・インドからの飛行機となるが日本からだと位置関係から遠回りを避ければバンコクから入るのが一般的。

バンコクを経由してスワンナプームにて搭乗する。

チェックインの際には僧衣を纏った僧侶が列に並んでいたのが既にブータンらしい。

しかも一般人とは別扱いでタイと同様に僧侶の社会的地位は高いようだ。

飛行機の出発は早朝で, 乗客は皆ぼーっとしながら待つ。

搭乗が始まっても並ばずに, 係員に呼びかけられてやっと皆動き始めていてとてもマイペースだ。

航空会社はロイヤルブータン航空

別名龍を意味するドゥルックエアーともいう。

 

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飛行機はブータンへ直接向かうのではなく, 一旦インドのバッグドグラ空港で着陸して更に客を乗せてから再出発。 

バッグドグラは空港の敷地で働いている人が自転車をこいでいてのんびりした雰囲気だった。

 

そしてブータンへ向かった飛行機はこれまで乗ってきた飛行機路線のどこよりもダイナミック

圧巻はブータンのパロ空港への着陸である。

雲に突き刺さるように聳える山々の間を縫うようにして曲がりながら飛行するのだ。

空を飛行するというより谷間を飛行しているという感覚である。

客席に座ってみていると, 飛行機の翼が山肌にぶつかってしまいそうで心配な感覚に襲われるのだが, 見られる景色は絶景そのもの。

 

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上空からは煌々と灯りに照らされる大都会は見当たらない。

冒険心がくすぐられるような見渡す限りの大秘境である。

 

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ブータンのパロ空港へと到着。

空港の建物は思いっきりブータンらしさ全快の建物だ。

 

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しかし, 駐機場で停止しても乗降が全く始まる気配がない。

不思議に思っていると, 自分の座る機内右側とは逆サイドの人達がざわざわ騒ぎ出す。

どうしたのだろうか?と自分も左側によって窓から見るとそこには飛行機のタラップ, そしてその先へと延びるレッドカーペットが。

 

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更にしばらく待つと出てきたのはまさかの秋篠宮ファミリー

そういえば来る直前にも日本のニュースで夏休みにブータンを訪問されるという報道をみていたがまさか同じ飛行機になるとは思わなかった。

www.yomiuri.co.jp

 

でも思い返すと座っていた機内前方で周りにやたらとスーツ着用の日本人が多かった。

ブータンには日本大使館もなく経済交流も活発とはいえない。訪れる日本人のほとんどが観光客のはずなのに何故スーツ?と思っていた。

しかも隣の人は何か段取りを確認するかのごとく前方のビジネスクラスの人と頻繁にやりとりをしている。便の時間が早かったので深く考えずに早々に寝てしまったが今考えるとあれは宮内庁の人達だったのだと気付く。

 

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傍にいたヨーロッパ人があの人達は誰だろうというので日本のロイヤルファミリー, エンペラーの義妹とプリンスだと伝えるとwowと驚いていた。

www.youtube.com

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パロ空港には谷間を縫うように飛行しながら時間をかけてゆっくりと降下していったが, やはりリスクがあるようで今回の訪問でも秋篠宮文仁親王は別便で訪問して現地合流する形となっていた。

さてセレモニーも終わりレッドカーペットが片付けられると, 一般客も降りていく。

タラップの階段を下って徒歩で空港の建物へと向かう。

www.tokyo-np.co.jp

www.sankei.com

 

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建物入り口にはブータン国王家族の写真。

建物内部にもブータンらしさがよく出ていて面白い。

空港の建物というと近代的な建物というイメージだが, こういったお国柄を前面に出す建物の方がツーリストには喜ばれるだろう。

 

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さて空港を出ると待ち合わせていた旅行会社のスタッフと合流。

先ほど日本からVIPが来ていたことも知っていた。

空港近くに行きたかった場所があるのでまずはそこへ行ってくれないかと伝えると今日はこれからインドのモディ首相も来る予定でこれから首都と空港を結ぶ道路が封鎖されるとの事。

 

 

なので先ずは道路封鎖前に首都ティンプーへと向かうとする。

一日に何人ものVIPを迎えるすごいタイミングと重なったがこの旅は幸運に恵まれているのだろうか。

 

続く

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