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【世界旅ブログ】アジアの辺境・奥地へ

【山岳少数民族の村へ】北部インドシナ半島縦断その3:チェンマイのグランドキャニオンをスルーしてモン族に会いに行く

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チェンマイのグランドキャニオンへ

ランプーンの町を回った後には, チェンマイのグランドキャニオンと言われるハーンドン・グランドキャニオンというところへ立ち寄る事とした。

レンタルしたバイクを走らせて, 西方へと向かってから, チェンマイへの4車線道路を北上していく。

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バイパスを北上していくと途中で見逃しそうになったが, 曲がる交差点を見つけた。

といってもあまり目立つものではなかった。

登っていくと人気がないので少々不安にはなるのだが, GPSを使いながら目的地へと到着すると駐車場の横には広大な窪地が存在する。

かつて鉱山開発の現場であったこの窪地に水が張っており, ウォーターパークとして運営されているのだ。

中に入り写真でも撮ろうかと思い値段を聞くと, 非常に高かったため, あきらめて帰る事とした。

 

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ところでパーイという近辺の町にもグランドキャニオンと呼ばれる場所があり, 夕日が綺麗なのだ。

本当はそこに行きたかったのだが, 場所を勘違いしてしまい, ここに行き着いてしまった。

その場所はどこなのかと, この辺りをバイクでしばらく探し回ってしまったが, 無駄足であった。

タイ国内には他にもグランドキャニオンと称される場所があり, もはやバーゲンセール状態だ。

タイにはグランドキャニオンが多すぎる!

タイ15日目 パーイキャニオン→モーペンの滝→カフェ→温泉!! - 『だから僕らは旅に出た。』

という事でウォーターパークは壁越しに写真を撮ったのみでスルーしたのであった。

山岳少数民族であるモン族の村へ

Google Mapでチェンマイ周辺を見ていた時に偶然に見つけたモン族の村(Mong Village)という場所へ行ってみることとした。まずは一度チェンマイ市街まで戻り, そこから西へチェンマイ大学の前を通り過ぎて, 山の上へと登ってゆく。

地図上ではチェンマイから結構近い場所に位置しているのだが, 実際に登ってみると結構な時間がかかってしまった。

道がつづら折りになっている上, 結構な勾配があるので原付バイクだと速度があまり出ないのだ。

途中観光スポットとなっている寺院があったので, 参道の屋台でパンケーキを購入し, 簡単な朝食以来何も食べていなかった腹を満たした。

この寺院は地元のタイ人に人気があるようで国旗も沢山掲げられており, 大変賑わっていた。

 

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それからぐんぐん登っていくとモン族の村らしきところに着いた。ところが地図を確認すると自分が目的としていた場所ではないようだ。中に入っていくと道の両脇にずらっと土産物屋が並んでいる。どうやらここは観光村のようだ。

タイ北部には少数民族の観光村が沢山あり, 中に入ると民族衣装に着飾った村人が土産物屋をやっている。

こういった商売目的に作られた村に入るためには相応の入村料を支払わなければならない。特に人気で有名なのは首長族の村である。

だが, こういった場所は元々タイ・ミャンマー国境付近に住んでいたカレン族商業目的に連れてきて, あるいは出稼ぎに来ている。写真を撮ろうとすれば, チップを要求してくる行為など, あまりに俗化しすぎてショックを受ける人も多いそうだ。

runbkk.net

 

首長族はミャンマータチレクにある観光村やインレー湖の観光コース等でも出会う事ができる。

シビアな話ではあるが, 世界的に知名度があり, 見た目のインパクトも大きい民族は観光誘客のために引っ張りだこなのだ。

こういった場所は大都市の近くにあればあるほど, 観光客の多さから俗化が進んでおり, 反対に行きにくい場所にある少数民族村ほど, 実態に近い生活を見ることができる。

アフリカのマサイなどといった部族が文明を享受しているにも関わらず, TVや観光客のためにわざと民族衣装を着たり, 舞踊をしたりとあえて原始的な行為をしてお金を請求するのと同様の現象が起きているのだ。

少数民族のリアルな生活に興味があった自分には, 観光用人工的地区には興味をそそられなかった。また観光用だとしてもあまりに規模が小さすぎて観光客を満足させるようなものではなかった。

 早々にここを跡にして, 更に山奥へとバイクを走らせるのだが, ここから急に路面状態が悪くなってしまった。道路のアスファルトが半分ぐらい剥がれかけており, 目を凝らしながら, 残ったアスファルト部分をできるだけ選びながら, 進まなければならない。

よけいに走るスピードも遅くなる。

どうやらこの先へ進んでいく者はあまり多くいないのかもしれない。

 

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ちょっとした辺境っぽい雰囲気で反対に俄然やる気が出てきた自分はできるだけガソリンの無駄使いはしないようにしつつも, ルートを選びながら, 道を行く。するといつの間にか下り道になっていった。この先に少数民族の村があった。

やっとこさ村へ着くと山の斜面一帯に見事に民家や商店が軒を連ねていた。

村の入り口では少数民族っぽい服を着た子供達が追いかけっこをして遊んでいる。

どうやら村の入り口近辺が土産物エリアとなっているようだ。

またタイ国王の絵も堂々と掲げられている。

そういえばタイ王室はタイ辺境地での産業育成などにも力を入れていたはずだからこのような僻地においても敬意の的なのだろう。

 

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入り口付近のお土産エリアを超えて丘を上がっていくと家畜小屋などより本来の生活を垣間見ることもできる。 

 

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そして反対に村の入り口から斜面を下っていくとなかなか立派な学校もあった。

そして何より日本人が寄付して建設された校舎もある。

こんな辺境地まで日本人の手が及んでいるのは不思議な発見だが, やはり誇らしい気持ちになる。

 

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ちょっと奥の路地裏へ入っていくと何だか絵になる子供達の遊んでいるシーンも。

門構えの雰囲気はタイの町では見かけない独特の様式である。

家の中では両親がTVを見ていて挨拶すると和やかに返事をしてくれた。

 

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最後に地元の商店で地域貢献を兼ねて買い物をしてからこの日は日没前にチェンマイの街へと戻っていった。

 

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【ランプーン街道の巨木並木】北部インドシナ半島縦断その2:天高くそびえるヤーンの並木道


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チェンマイにてバイクを借りてランプーンへ移動。目当ては、

ランプーン街道と称されるヤーンの巨木が連なる並木道

チェンマイ市内旅行者が集まるローイクロ通りのレンタルバイクショップにてまずバイクを一日借りる。

レンタル料金は一日200バーツ。

チェンマイ市内は一方通行が多いため、ある程度地図を頭に入れてから移動する必要があるが、ローイクロ通りからピン川を渡ったところを右折するだけでランプーンまで行く事ができるので迷うことはない。

 

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出発後すぐにランプーン街道に入れたが、並木道の前に途中の市場で朝飯を済ませる。

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タイでは市内中心部からちょっと外れた場所にこのような屋根付き市場をしばしば見かける。国王の写真が飾られているのもタイならではの光景だ。おそらく以前は前国王の写真が掲げられていたのだろう。

こういった観光客がめったに寄り付かない市場は地元値段で買うことができるので、面倒な交渉もなくリーズナブルで嬉しい。

 

ランプーン方面へ南下していくと直ぐに巨木の並木道があらわれる。

 

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ソンテウが走る二車線道路を挟み、天高く伸びるヤーンの巨木が道の奥まで連なっている。

これほど背の高い木々が連なる様子は圧巻である。たまに走る大型トラックの何倍もの高さである。

熱帯タイの陽射しは強いが、巨木が日陰を作ってくれており、ずっと過ごしやすくなる。

かといって木々の間隔はそれなりにあり、枝の位置が高く、木の高さの割には葉っぱの量が少ないからか、日本の日光杉並木街道のような薄暗い鬱蒼とした雰囲気はない

 

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途中でCafe Amazonを見つけたので, 立ち寄ってカフェインチャージ!

Cafe Amazonはタイで一番店舗数の多いチェーン店で国営石油会社が経営している。

そのためかStarbucksのように街中よりも, ガソリンスタンドに付設されている事が多い。値段はスタバのように高額ではなく, 地元値段なのが有難い。

しかもこの店舗はテーブルがガラスになっていて, 下に花が敷き詰められており, お洒落だった。

 

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 ソンテウサイドカー付きのバイクも頻繁に走る南国らしい並木道であり、世界の絶景道路写真集などでも紹介される道だから、走っているだけでも楽しい。

しばらく走っていたが、自分のように途中で写真を撮っている旅行者の姿は見かけなかった。まだまだ旅人には知られていない光景なのであろう。

発展途上のタイではこれからもどんどん自家用車が増え、インフラ増強も必要となっていくだろうが、なんとかこの並木道を未来へ保存していってほしいものだ。

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しばらく走り、チェンマイから20-30kmほど行くとランプーンの市街エリアへ辿り着く。郊外の小さな市場も地元民で賑わっていた。

www.thailandtravel.or.jp

 

ランプーンの歴史

このランプーンの町はかつてハリプンチャイ王国の首都として栄えた。

まだラオスやライの主要民族であるタイ族 (小タイ族やラーオ族)が現在の中国から南下してくる前の時代であり, ハリプンチャイ王国少数民族であるモン族の王国として栄えたのだ。

その後はクメール族との戦争やコレラの流行を経て, タイ族ラーンナー王国創始者であるマンラーイ王の攻撃により陥落したのである。以降はラーンナー王国が現在のタイ王国北部地域の基礎をチェンマイを中心都市として形作っていき, ランプーンも首都チェンマイの衛星都市として発展した。

チェンマイの象徴である広場に建つ三人王像の中心に立っているのが, マンラーイ王である。

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バンコクチェンマイ間の夜行列車で移動すれば途中でランプーン駅 (写真) に止まるのだが、この町で降りる旅人は少ないだろう。しかし、この並木道は一見の価値があるので、是非チェンマイ訪問者には足を運んでいって貰いたいものだ。

 

タイ族が南下してこのタイ北部地域を形作っていった一方で, それ以前に支配したモン族はミャンマー拠点を移してゆく事になる。

しかしながら, モン族はタイ王国の山岳部にも少数民族として残った者達がおり, チェンマイ郊外にもモン族の村が存在するのだ。

ランプーン市内にあるハリプンチャイ国立博物館を見てからは, この村を見に行く事とした。

chiangmai43.com

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【タイ国鉄の夜行列車】北部インドシナ半島縦断その1:バンコクからチェンマイへ

マレー半島縦断を含む南部インドシナ半島縦横断の旅から一年も過ぎることなく再び旅に出た。今度は北部を巡る旅である。

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JALマイレージを使って東京からバンコク

チェンマイ行き夜行列車の切符を購入

両替はタイで最も有名な両替所の一つであるVASUにて。

ここは平日のみで, かつ夜間は営業しないがレートが非常に良い事で知られている。 

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タイバーツをこしらえた後は, 鉄道切符を購入しに, フアランポーン駅へ向かう。

地下鉄MRTの終点であるフアランポーン駅で下車して, 歩いて5分程の乗り換えで行けるタイ国鉄クルンテープへ向かう。

乗り換える地下通路を歩いていくと, 旅行代理店と名乗る者達から声を掛けられるが, 全て無視して進む。

この駅では国鉄が運休になったなどと偽情報を流し, 民間バスをつかわせようとするボッタくり行為で有名なのだ。

 

ところでこの通路を進んでいくと, 下記のような記念盤がさりげなく壁に掲げられている。

地下鉄建設に日本が資金協力をしたようだ。 

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asenavi.com

 

地上に出ると, アジアらしく列車待ちの人々が床に座ったり, 寝転がったりしていて, 思い思いに過ごしている。

チケットカウンターは何か所も窓口があるのだが, 地元の人達や旅人で列ができていた。

外国人もそれなりに買いに来るからだろうか英語は問題なく通じたため, スムーズにチェンマイ行き寝台車両の切符を購入することができた。

 料金は800バーツである。

 

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列車の出発まで

切符を入手した後は, 街中で時間を潰して発車時間を待つ。

地元の市場に行ったり, 博物館を見て回った。

タイでの食事は大体いつも道端の屋台で済ます。

地元の人たちが気軽に買って帰るような屋台で小腹を満たすのによく食べるのだ。

串焼きをよく食べるが, お薦めはムーピンと言われる豚の串焼き。

甘いタレにつけられており, 柔らかく美味しいのに一串10バーツと激安なので見つけ次第, 買って食べている。

 

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夜が更けた頃にクルンテープへ再び向かう。

夜行列車が出発するのを待つ駅のプラットフォームは, 昼間ほど大勢の人はおらず, コンビニ以外の飲食店などは既に閉まっており, わびしさ・寂しさを湛える独特の旅情を醸し出しており, 心地よい気分になる。

タイでは改札は存在しないため, 自由にプラットフォーム内へ出入りする事ができる。トイレや夕食に売店で購入したカップヌードルを食べてから, いざ列車へ乗り込む。

 

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夜行列車に乗り込み, いざ出発

切符に記された座席番号を見ながら, 自分の席を探すのだが, 見つからないので地元の人に教えてもらいながら, 席を見つけた。

遅れることも多いと聞いていたが, ほぼ予定通りに出発した。ただ, 最初の街中の区間はなかなかスピードが上がっておらず, 列車はゆっくりと進んでいった。

自分は何をするでもなく, うとうとしていると, 気が付いたら列車も結構なスピードにあがっていた。

しかも, かなり揺れる

発展途上国は道路が整備されておらず, バス移動は揺れて酔ってしまう人が多いが, タイは発展も進んできているため酔ったことはなかった。

しかし, この鉄道は右に左に上に下にものすごく揺れるため, 少し気分が悪くなってきた。

列車が脱線するんじゃないかと心配になるような揺れ方である。

そんな状況ではあったが, 出来るだけ深く考えないようにし, どこででも寝れるという特技を活かして深夜眠りに着いたのであった。

 

バンコクチェンマイ鉄道の未来

以前より首都バンコクと古都チェンマイを繋ぐ鉄道路線は日本の新幹線システムを導入・日本が資金協力することで政府間協議が行われてきた。だが, なかなか計画が具体化されておらず, しばらくはこの鉄道が現役特急として使われる事になりそうだ。

www.mlit.go.jp

チェンマイに到着

朝日が昇ってから既に数時間は経っただろうか, 朝起きたら既にチェンマイ郊外にまで鉄道は走っていた。

思いの外長く寝てしまった。

途中の駅で止まると物売りが声を掛けてくるから, その度に起きて, また寝てを繰り返していたら, いつの間にかもうチェンマイである。

長時間の鉄道乗車であったが, あまり長くは感じられなかった。

(ほとんど寝ていたせいで, わざわざ窓付きの下段ベッドを指定した意味が。。。)

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時計台も建てられている立派な駅舎である。

駅に降り立ってからは, ホテルをドライバーに告げて街中へ行くソンテウへ乗り込む。

後で調べたところ大通りに出て流しのソンテウを捕まえれば, 随分安く済んだようなのだが, この時は知らなかったので, 外国人料金のソンテウに乗った。

ホテルはロイクーロ通りから一本路地に入った通りにあるお洒落なゲストハウス。

 

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ゲストハウスに着いた頃は14時頃だったろうか。まだ一息つくには早いので, 博物館巡りに出かける。この地域は少数民族が多く, 古くは別の王国であった事からラーンナー文化といわれ独特の文化を育んでいる。衣装の装飾などが大変興味深い。

夜はナイトマーケットをフラフラしてカフェで一服。久々のベッドでぐっすり眠るのであった。

 

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そして, 翌朝はバイクを借りてランプーン街道の巨木並木, そしてモン族の村を見に行くのである。

 

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【ヒッチハイカー出没の新東名120km/h解禁】新東名&新名神SA巡り

日本で最も重要な大動脈である東名名神

道央道東北道常磐道・関越道・中央道・中国道山陽道九州道など100km/hで走られる道路を一般的に高速道路と呼んでいる。

だが, 高速道路と実際に呼称されるのは東名高速名神高速・新東名高速新名神高速の4つだけだ。

 

今回はこの新東名新名神を愛車のロータリーエンジンと共に旅をした。

なお実際には新東名と新名神の名古屋区間を繋ぐ伊勢湾岸道も含まれている。

この道は景色がものすごく良く日本国内で最も好きな道である。

 

先ずは近年開通した圏央道から首都圏郊外を回っていき東名に入る。

圏央道はあらゆる方面に交通が良いため道路沿いには沢山の物流倉庫が立地している。

ただかなりの長区間ガソリンスタンドが存在しないのでガソリンの残りに気を付けなければならない。


東名に入る海老名ジャンクションから御殿場ジャンクションまではまだ新東名はできていない。

なのでここは自動車密度の高い区間でもあり渋滞が発生しやすい。

 

正確には自分の走った二週間後に一部区間で新東名が開通した。

response.jp


伊勢原JCTから御殿場までの残り区間も開通すれば渋滞は大幅に減る事だろう。

 

東名を西進して神奈川県と静岡県の県境付近では下り車線が二手に分かれる。

大抵の場合は右を選んでいたが, 今回は事故かなにかで渋滞していたようなので左を選ぶ。

www.us-vocal-school.com

 

御殿場で両ルートが合流した後に足柄SAでトイレ休憩をする。

でてからすぐに東名と新東名の二手に分かれるのだが, より速く行ける新東名を行く。

 

また別れてから程なくして現れる駿河湾沼津SAにて食事休憩をした。

写真を撮り忘れてしまったが, ここは駿河湾茶畑を眺められる風光明媚な場所。

富士山のお膝元であり更に近未来的なトイレや広大な公園がある。

海老名SA足柄SAのように混雑しておらず, お店もコンパクトにまとまっているので歩きやすくのんびりできる最もお気に入りのサービスエリアだ。

 

そして沼津から新東名を静岡・浜松方向へ走っていくと途中から制限速度120km/hの表示が。

さっきからやたら周りに速度を出す車が走っていたのだが, この日は2019年3月1日。

120キロ解禁の試行開始日であった。

jafmate.jp

 

試行といっても区間は50kmに及ぶため, かなり長い時間に渡って走ることができる。

確かに新東名と新名神は120キロ設計のため元から東名や名神より遥かに走りやすかったが, 解禁になった事でより実感することができた。

 

交通量がそれほど多くなかったこともあり気持ちよく快適に走行して浜松いなさSAで一休憩する。

ただ, この解禁で一点気を付けなければならないのはトラックは80km/h制限のままということだ。

普段はトラックは左車線を走るので問題ないのだが, 前のトラックを追い抜こうと追い越し車線へ出てくると速度差が40km/hあって一瞬で車間距離が詰まるためもの凄く危ない。

しかもトラックは90km/hの速度リミットもあり追い越しが非常に遅いため長い行列ができてしまう。

この日は交通量が少ないので時折こういった状態に遭遇する程度で済んだが, ある程度交通量が増えると大きな問題になりかねないと思われる。

ウェブで調べると同じことを感じている人の記事を発見した。

biz-journal.jp

 

さて浜松SAだが, ここは楽器の街らしくミュージックコーナーとして楽器が置かれていて, ちょっとした体験施設のようになっている。

下りがローランド。上りにヤマハがあるようだ。

 

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そしてこのSAで見かけたのが学生ヒッチハイカ

SAの駐車場から建物に入る前の道路脇で離れたところに二人立っている。

最初SAに入るときはスルーしたのだが, 帰り際この二人知り合いだろうか, 片方だけ乗せるわけにもいかないしと思いつつも声をかけた。 

 

とりあえず車に近い方に立っている若者に声をかける。

尋ねたらもう一人と一緒に旅をしているそうだ。

行き先は名古屋方面という事。

この日は名古屋近くの豊川の友達宅に宿泊する予定だったので二人とも乗せていくことにした

 

自分も何度か海外でやってみようかと考えたことはあったが実際にやったことはなかったし, 乗せたこともなかった。

でもこの時は初めて見て興味が湧いたので声をかけてみたのだ。

 

聞くとこの春休みが終わったら社会人になるので学生時代最後に愛知の同期を訪れる内定者仲間だそうだ。

 

彼らと旅トークをしながら愛知の名古屋近くに到着。

ここから電車で常滑まで最後は行くというので近くの駅で降ろした。

 

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そして友達宅にて宿泊した翌朝に伊勢湾岸自動車道から大阪を目指す。

この道は新東名・新名神を結ぶ道路であるため, 実質その一部といえる。

 

東名・名神は豊田JCTから北上して名古屋・岐阜をいき滋賀に西進するのだが,

伊勢湾岸道経由だと名古屋南部の伊勢湾沿いを西進して三重の四日市鈴鹿を通り滋賀に入っていくルートだ。

最初にストップした湾岸長島PAでは名古屋名物の天むすを朝食にする。 

 

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そして伊勢湾岸道を進んでいくのだが, ここは海沿いで非常に高い高度を走るため景色が非常に良い。

中京工業地帯工場群遊園地などが一望でき, 首都高の湾岸線よりもドライブには良い道だと思う。

 

ただ四日市JCTから亀山JCTまでが慢性的に渋滞しているポイントだ。

この道を通るときスムーズに走れたことがないので毎回嫌になってしまう。

だが, それも今回で最後からもしれない。

今回のドライブから二週間後, 遂にバイパスとなる新名神が開通したのだ。
trafficnews.jp

 

 これで屈指の渋滞名所が解消された。

新しい道路と合流する西亀山JCTを過ぎると滋賀県に入ったところで土山SAがある。

 

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この辺りは忍者の里

関西とも東海ともいえない地域区分だろうか。

高速道路上から地形を眺めていても山に囲まれた谷に小さな人里もあって秘境的雰囲気。忍者が育った場所というのも頷ける。

 

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それから名神草津JCTで合流して大阪環状線を経由して堺・神戸・宝塚あたりまでドライブして回った。

長方形の形をした大阪環状線は走りが独特で車線変更する車も多く初めて走った自分にはなかなかエキサイティングな都市高速であった。

自動車社会の名古屋で凄く走りやすく作られた名古屋高速とも江戸期の水路に沿って作られた首都高速とも異なる人工的な碁盤目上の街ゆえの都市高速であった。

 

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そして帰りにまた名古屋方面へ戻ってゆく。

途中では寄った大津SAはなかなか良いところであった。

関西で運転するのは初めてであったが, 琵琶湖を一望できる場所なのだ。

そしてここで買った豚まんが美味しいかった。

 

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しかも, ここのサービスエリアでも名古屋方面とか東京方面とかかれたスケッチブックを持った若者が複数立っていた。

これまでヒッチハイカーなんて見かけた事なかったが, 昨日に続いていきなり二度目だ。

ヒッチハイクが流行っているのだろうか

確かに大学が春休みの時期で学生には旅するのに良いシーズンである。

そういえば昨日乗せた若者も東名入り口の用賀や最初の大きなSAでは何人もライバルのヒッチハイカーがいたと言っていた。

そして実はこの後東京までの帰りのSAでも何度もヒッチハイカーをみかけることとなる。 

当たり前のように毎回立っているので驚かなくなってしまったが, 多くの若者がチャレンジしているという意味では学生意識の変化を感じてしまう。

 

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関西で大人気の551豚まん

大行列ができていたが並んだかいあって美味しかった。

 

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帰りにもよった土山SA

上り下りと共通の施設を使っており駐車場が別れている。

 

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刈谷PA

サービスエリアではなくパーキングエリアという扱いながらとても巨大な施設。

観覧車までついている。

 

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岡崎SAは味噌蔵の街らしい作りで雰囲気が良い。

鬼平犯科帳をテーマとしている東北道の羽生PAと似た雰囲気だろうか。

 

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八丁味噌味噌カツ矢場とんで食べる。

街中の店舗では並ばないといけない事も多いので高速にあるのは有難い。

 

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行きでも訪れた浜松SA上り。

こちらのミュージックコーナーはローランドではなくヤマハがやっている。

 

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静岡SAにも立ち寄り, そして高速で最後に訪れた有名な海老名SAは流石の人ゴミ。

正直歩くのに疲れるし, あまり休憩した気分にはならない。 

 

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そして最後の最後に首都高の箱崎パーキングエリアで休憩だ。
箱崎PAこそパーキングの王様だと個人的に思っている。

休憩所としての施設はトイレと自販機くらいしかないのだが, PAの前がロータリー式になっているため, ここで来た方向と同じ方向に出ていき高速道路上での転回も可能なのだ。

そして辿り着く事自体が極めて難しいため幻のパーキングエリアとも呼ばれている。

首都高を走っているところでパーキングへの案内標識などないため, あらかじめ存在を認識して行き方を知っていない限り入ることはできないのだ。

そして下りの場合は二車線分を短い距離で車線変更しなければならない。

上りの場合はロータリーに入っていく際に一時停止がある。

基本的に常にここの一時停止は死角から警察のパトカーが見張っているので, 高速道路に一時停止などあるはずないとか思って, 徐行程度で済ませるとすぐにつかまる。
この光景はパーキングエリアから見えるのだが, よく捕まっている車をみかける。

またロータリーに入ってからも首都高にも関わらず信号がついているので注意が必要だ。

 

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そして最後に日本橋

中央分離帯には日本道路源標を示す標識がある。
かつて江戸時代にはここが江戸五街道の出発点となっていた。

もちろん道路が高架上にあるという事はこの下の日本橋そのものは道路高架下という事にほかならず景観破壊の問題は常につきまとってしまう。

だがそれも地下化して日本橋に青空を取り戻すという検討も近年なされているようだ。

www.kensetsunews.com

 

そして何よりここはアジアハイウェイ一号線の起点でもある。


イスタンブールまでの道の始点がこの場所として指定されているのだ。

バスで渡り歩いたアジアまで道が繋がっているかと思うとあまりに壮大過ぎて想像が追い付かず不思議な気分でもある。。

【青函連絡船にのり大都会へ】インドネシア横断旅:前編その九:ジャカルタ

遂に長かったスマトラ島を抜けてジャワ島にやって行く日が来た。

バンダアチェから始まり長距離バスによってロクスマウェ・メダン・ブラスタギ・パラッパ・ブキティンギ・パレンバン・そしてバンダルランプンとやってきたが今日は首都ジャカルタへと行く日である。

 

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結局インドネシア横断旅と称してバリ島や欲を見てチモール島を目指すと豪語した今回の旅も思いのほかスマトラ島が大きくて時間がかかってしまいジャカルタで一旦旅は終わりである。

とはいえジャカルタと言えば人口過密の超巨大都市である。

ゆったりしたスマトラ島とは異なり犯罪の匂いもする場所だから気を引き締めなければならない。 

先ずバンダルランプンからバスで郊外のバカウニ港へ行く。ここからジャワ島行きのフェリーが発着しているのだ。

 

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前日ホテルでバウカニ港への行き方をロビーで確認していたのだが最初きいたときは150,000ルピアで車を出してくれると聞いていたのに、次に確認で聞いた時には200,000ルピアに、その次には500,000ルピアにまで上がったのでやめにした。

行き方はネット上で検索しても出てこないがとりあえずバスターミナルまで行けば何とかなるだろうと信じていくこととした。

14,000ルピアのバイタクでやってきたバンダルランプンのラジャバサバスターミナルはなかなか大きな施設。

これまでこの島で訪れた中では一番しっかりした作りである。

入口で降ろされたらバスを探すのに相当時間かかっただろうが, 

ちゃんと目的のバスのところまで送って貰えて助かった。

 

バカウニ港行きは頻繁に発着しているようで,

同時に何台かが待機していて先に出るバスから順番に乗客が乗せられていく。

出発時刻は7時10分頃。

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最初料金が分からずぼったくられるのではないかと警戒していたのだがバスの中にはデカデカと固定料金が掲示されていた。

30,000ルピアなので日本円にして200円程である。

昨夜宿泊したホテルでも送迎サービスをやっているというので値段を確認したところ提示された500,000ルピアとは大きな違いである。

(最初150,000ルピアというので利用しようかと思ったが, 次に聞いたら200,000ルピア, 最終確認ではもっと高かった事が発覚)

 

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海沿いの道に沿って何事もないのどかな道のりを行く。

しかし後で気づいたのだが, この場所先日発生したスンダ海峡地震津波被害エリアに含まれていた。

あまりに牧歌的な雰囲気に油断していたが, ここもまた災害と共に生きる地域だ。

とはいえ道路から見える範囲では被害の様子は確認できずじまいであった。

(今回は対岸のジャワ島側での被害が目立ったようだ)

 

ja.wikipedia.org

  

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一部港近くでは高速道路も敷かれている。

スマトラ縦貫高速道路というのを建設しているはずなのでその一環だろうか。

今はごくわずかな区間に過ぎないが, おそらくバンダルランプンの街までいずれ延ばしてゆく計画だろう。

ローカルバスで一般道を走るのには非常に時間がかかったが, 高速は流石に早い。

この道の先には海が広がっている。

 

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バスはフェリーチケット売り場の真ん前に停車した。

皆大きな荷物を抱えて中に入っていく。

 

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中へ入るとカウンターの前で6レーン程に分かれて列がなされている。

自分も並び30分程経ってやっと自分の番が回ってきたかというところ。

ところがカードは持っていないかと聞かれる。

いやそんなものはないぞと答えるとスタッフが代わりに買ってきてくれた。

どうやら専用カードを購入してから並ばなければならなかったようだ。

もう一度並びなおす手間を考えるとこの対応は有難い。

カードは別にしてフェリー代は15,000ルピアである。

 

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ちゃんとしたゲート式になっていて無賃乗船ができないようになっている。

階段を上がり船へ向かっていく。

 

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途中のカープールは広大な敷地。

これだけ多くの車が乗船待ちする事があるのもインドネシアで最も多くの人口を抱える二つの島を結ぶ航路ゆえだ。

 

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前方の大きな船が今回乗船するフェリーだ。

あまり期待していなかったが見かけはなかなか格好良い。

 

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乗船客エリアへ入ると売店が。

日本と同様船の中では相場よりも値段は高め。

 

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中には日本語で書かれた図面が掲示されている。

この船が実は青函連絡船として日本で運航されていたフェリーである。

外観などは塗装しなおしたのだろうが船の中にはところどころ日本語が残っている

下写真のドアノブ上に書かれているおすという字もその一つだ。

 

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冷房の効いた船内で横になれるスペースや椅子のあるエリアは乗船料とは別に客室料金(10,000ルピア)を徴収される。

といっても70程度だから多くの地元の人も利用している。

 

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船内では水着の美女が躍っている謎の映画が上映されていた。。。

外は流石に暑いが, 景色は雄大

この海峡ではこの船以外にも本州と四国を結んだ本四連絡船など多くの中古日本船が航行しているそうだ。

 

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対岸には二時間程度で到着か。

船着き場からは小山の斜面まで住宅が建てられている様子が見える。

ジャワ島の人口密度の高さが感じられた。

 

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このラクからジャカルタまでは鉄道が走っている。

といっても一日に数本だ。

昼間の便には残念ながら間に合わなかったのでバスを探す。

 

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地元の人に付いていけばジャカルタ行きのバスへたどり着けるかと思い進んでいく。

途中の大きな建物の中も通り過ぎて進み屋台通りのようなところも超えていくと・・

 

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アスファルト舗装もままならない雑なバスターミナルっぽい空き地に停まっていたバスに乗り込む。

最初ジャカルタ行きかどうかよく分からなかったのは, ジャカルタ市内のどこのバスターミナル行きかで沢山種類が分かれているからであった。

ジャカルタ周辺の地名もこの時点でよく分かっておらず, とにかくジャカルタにさえ辿り着けば良いので地元の人が沢山入っていくバスに乗り込む。

バス料金は50,000ルピア(400円程)だった。

 

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途中の街のバスターミナルにも寄ってから高速道路ジャカルタを目指す。

ここのバスターミナルでは物売りの兄ちゃんから400円でイヤホンを購入した。

ちゃんとした長距離の高速道路が整備されているのはジャワ島ならでは。

スマトラ島ではせいぜい空港と街中を結ぶ程度のものであった。

 

面白いのは一度高速道路に入るとインターチェンジを降りて人を降ろすのではなく, 高速道路の途中で停車するのだ。

降りた人は明らかに正規ルートではなかろうが高速道路の側壁と急な斜面を下って下道に入っていく。

下の写真は分かりにくいがその様子である。

バスの乗客が壁を乗り越えてゆく

 

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そして夕方頃にジャカルタへ到着である。

バスターミナルや鉄道駅ではスリがたむろしているという情報があったので終点まで行かず直前のショッピングセンターで下車。

そこでトイレ休憩してからバイクタクシージャカルタ中心部のホテルを目指す。

400円程度。

ジャカルタでは知り合いと会う予定だったので近くのホテルをこの時予約した。

 

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ジャカルタ鉄道も日本の中古車輛が多い。

平日の通勤時間帯だったので渋滞も激しい。

バイクタクシーでなかったらスピードは半減しただろうと思う。

とはいえバスターミナルは郊外の空港近くで中心部からは離れていたので向かっているうちにどんどん日が暮れていく。

しかも途中でガソリンがなくなりかけて給油する。

(ここでも給油待ちの行列が)

 

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なんやかんやあって約束の時間から大分遅れつつも無事にジャカルタのホテルへ辿り着いて友人と合流。

高級ホテルで食す久しぶりの日本食は最高だった。

 

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ジャカルタではこれまでの貧乏旅行から打って変わって4000円くらいの食事をしたり、バイタクが捕まらないので代わりのタクシーが700円くらいしたりと一転豪華な生活を送ってしまった。この後は空港までの鉄道が出るBNI駅までバイタクで移動して(15,000ルピア)鉄道で一時間ほどかけて空港へ移動して(70,000ルピア)帰国。待っている間にタイティー(25,000ルピア)やミートスープ(50,000ルピア)を買ったりしていたがこれらも少し割高だ。

これでこの旅も一旦おしまいである。

バンダ・アチェから始まって長かった道のりを超え遂に首都ジャカルタまで辿り着いた。

これまでの自分の旅の中では最も旅行者が行かないところを旅しただけに感慨も一塩である。

とにかく無事に帰途に着けたことに, そして仲良くしてくれた途中で出会った人達に感謝したい。

自分が今まで気にもかけていなかった土地に情に熱い人達が沢山いた事を発見できたのは大きな収穫である。

いずれまた彼らとも再開してみたいものである。

 

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 終

【スマトラ鉄道に乗って】インドネシア横断旅:前編その八:遂にスマトラ最後の町バンダルランプンへ

snowm-blog.hatenablog.com

 

スマトラ北端のバンダアチェからバスによる長い道のりを経て遂に南部のパレンバンまで移動してきた。

そして今回はスマトラ島で初めて本格的に鉄道を使って南端の都市バンダル・ランプンへ鉄道で移動だ。

(メダンでも鉄道を使用したが郊外の空港と街の中心部を結ぶもので都市間の移動用ではなかった)

 

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8時半発の鉄道に乗るため朝8時頃にグラブタクシー(36,000ルピア)でパレンバンへ向かう。

到着したとき小銭が足りない事に気付いたのでドライバーには待っていて貰い近くの売店でタバコを買って(36,000ルピア)お金を崩した。

そんな事をしていたら出発まじかの8時20分頃に。

 

待合室に進むには係官のチェックが必要である。

前日に発行してもらった紙を見せて中に入ろうとすると,

チェックインを済ませて来いという。

 

ここでは飛行機のように搭乗直前にチェックインするシステムであった。

昨日買っておいたのはチケットそのものではないようで予約券を当日チケットに引き換えなければならないようだ。

 

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チェックインには機械ですぐに済んだので出発には余裕で間に合った。

待合室は広く近代的な雰囲気である。

アジアの駅では床に寝ている人をしばしばみかけるがそんな人達もここにはおらずアジア的光景に慣れ親しんだ自分には少々ショッキングであった。

 

更に駅のプラットフォームへ入っていくと謎のマスコットが鎮座する。

そしてその奥にあるプラットフォーム横に列車が停車している。

始点・終点となるターミナル駅の雰囲気はどこの国でも旅情を誘う。

列車の上にはパンタグラフも電線もない。電車ではなくディーゼル列車だろう。

 

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 列車の中はボックスシートである。

今回は4人用のボックス席をインドネシア人の男一人と一緒に広々と使って座った。

  

便利だったのが各ボックスの窓側にコンセントが備わっていた事。

旅している間は携帯電話が情報源でホテル予約や位置情報確認など携帯が必需品だ。

そのため盗難を警戒するのはもちろんだが, 電池の消耗が早いと電池切れが怖いところである。

なので充電ができて電池の心配をする必要がないのはありがたい

しかもコンセントのタイプが日本と同じなのでそのまま使う事ができる。

コンセントが日本式という事は日本が車輛を提供しているのかもしれない。

実際ジャカルタでは日本の中古車輛が沢山走っている

   

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パレンバン中心部は都市的空間だが, 少し郊外に行けば田園風景が直ぐに広がる。

更に離れると農耕地というよりもありのままの自然といった様子だ。

 

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時折小さな町があり駅で停車する。

当初は窓際に陣取りずっと外を眺めていたのだが,

車掌が回ってきて窓のカーテンを閉めろという。

理由もわからず言われた通りにしていたが, 向かいのインドネシア人に理由を聞くとこの辺りで列車を見ると石を投げてくる子供達がいるのだそうだ。

それで窓ガラスが割れて中に入ってくると危ないからカーテンを閉めるのだとか。

 

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とはいえカーテンを閉めるとかなり閉塞感がある。

なので車掌が通り過ぎてしばらく経つと結局皆少しずつカーテンを開けて外を眺め始めるのだ。

 自分も周りと同じように外を眺めていたのだが, 結局列車に向けて石を投げつけてくるような輩は見ずじまいであった。

 

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途中途中に結構大き目の駅も挟む。

鉄道路線は国道から離れた山間部を走るのだが, この地域で中心となる町だろうか。

このエリアで印象的だったのは, 建物の屋根だ。

 

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中部スマトラや北スマトラで見かけた特徴的な建物の屋根とはまた違った特徴が備わる建築である。スマトラ島の文化圏は屋根の建築で区別されるのかもしないなと思った。

 

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田園風景はなんとものどかな光景だ。

途中には旅客列車よりも遥かに長い車両数を持つ貨物列車も見かけた。

鉱山や油田の多いスマトラ島ではやはり貨物輸送が鉄道の中心となるようだ。

 

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この旅の出発直前にスマトラ島とジャワ島の間スンダ海峡にて地震があった。

ニュースでは津波の被害により死者もかなり出ていると聞いていた。

 

www.afpbb.com

www.bbc.com

 

日本のニュースでは詳細はつかめておらず勿論状況によっては海峡を渡るのをやめる事も選択肢に入れていたのだが,

向かいのインドネシア人に被害状況を聞いてみると被害はあったがスマトラ島とジャワ島を結ぶフェリーは問題なく動いていのだそうだ。

鉄道の終点であるバンダル・ランプンの街も被害はなかったそうだ。

 

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相変わらず続く特徴的な建築物。

鉄道からだと少し高い位置から見下ろす形となるためジャングルの中にこういう建物があるとなかなか景色が映える。

 

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日没が近づいてきて, そろそろ終点のバンダル・ランプンに近くなると駅の間隔が狭まる。

バンダル・ランプンはあまり知名度の高い街ではないが, 100万人以上の人口を抱える大きな町。

スマトラ島ではメダン・パレンバンに次ぐ三番目の都市だ。

 

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18時15分到着予定だっただが, 日も暮れてすっかり暗くなった7時頃ついに終点に到着だ。

名前はタンジュンカラン駅という。

バンダル・ランプンは元々二つの街に分かれていたが, その一つがタンジュンカランという街だった名残である。

 

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 この街は特に観光するところもなさそうで, 近くのショッピングセンターでご飯を食べて床に着いた。

 

snowm-blog.hatenablog.com

【伝統家屋を見ながらバス飛び乗り】インドネシア横断旅:前編その七:そしてパレンバンで軍歌を聴く


snowm-blog.hatenablog.com

今回はブキティンギを出発してジャンビを経由しパレンバンを目指す。

  

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前日にチケットを買ったブキティンギのバスターミナルまでGOJEKでバイクタクシーを呼び向かう。

出発時刻9時の15分前には着いていられるよう30分前には宿を出たのだが,

バイクがなかなか来ずに結局着いたのが5分前ぐらいになってしまった。

 

バスターミナルに入るとヨアンダプリマのバスはあっちと言われたので

そのまま向かうと途中で止められて別の人がこっちへ来いというので降りて付いていった。

 

しかし, これが全く関係ないチケットを売り込む客引きであった。

どうやらヨアンダプリマというのはバスを運営している会社で, そのバスを手配する代理店がバスターミナルには沢山あるようだ。

 

いやチケットは既に持っているんだという事を伝えると放り出されてしまい,

どこに行けば良いのか分からなくなったので急いで昨夜チケットを買った元の代理店へ戻るとバスが出発するところへ連れて行ってくれた。

 

しかし, なんとバスが既に出発したところだった。

とりあえずそこにいたバス会社の人に事情を話をすると,

バイクに乗せて追いかけてくれることになった。

 

バイクに飛び乗って走らせること5分程度だったろうか,

途中でバスに追いつき乗せて貰い助かった

 

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ブキティンギのバスターミナルを出てしばらくはパダン方向へ向かう。

この辺は鉄道も走っているようで線路を見かける。

 

最初バスがガラガラだったのでやけに人が少ないなと思っていたところ途中でパダン郊外のバスターミナルに止まり人が更に乗ってきた。

 

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ミナンカバウ文化の残るパダン地方は車窓を見ているのが楽しい。

街並みの中に時折特徴的な屋根を持った建築物が結構な頻度で見られるから飽きないのだ。

基本的にこの建築は観光用あるいは学校や役所など公共施設が多いようだが,

生活している家族がいるのであろう住居用とみられるものも中にはあった。

 

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もう一つ印象的だったのがこの地方の食文化。

パダン料理としてインドネシア国内でも有名なのだが, レストランのシステムが独特

初めにあらかじめ盛り付けられた皿から好きな分だけとり, その種類と料理に応じて値段が決められるのだ。

 

理解していなかった頃は値段も分からないので食べるのを躊躇していたのだが, 慣れると実物を見て適量とる事ができるので大変便利なシステムである事に気づいた。

値段が不明瞭とはいえ飲み物50円、1食100-200円程度である。

 

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バスの車内は座席の横幅が結構広く一番後ろでリクライニングも自由に倒せたので快適だった。夜もぐっすりである。

もちろん今では見慣れたインドネシアバス後方の喫煙室も健在である。

 

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夜のトイレ休憩では売店が並んでいる区画があったので毎度のPoP MEを購入。

夜行バスの休憩や船旅で食べるカップヌードルは不思議といつもの何倍も美味しく感じる。

前回同様で旅芸人にもまた遭遇した。

バスは結構揺れるため寝つつも時折壁に頭をぶつけていたら気付いたら大きなたん瘤ができてしまっていた。

  

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ブキティンギを出て国道をずっと走ってきたが, 途中でそれてスマトラ島の中堅都市であるジャンビを翌朝に通過。

国道を逸れてから少し道の舗装が雑になった気がする。

バスの振動で頭をよくぶつけ気が付いたら大きなたんこぶができてしまっていた。

 

インドネシアの中では一地方都市に過ぎないこの周辺で話されるマラッカ海峡言語インドネシアの統一言語となっている。

ジャンビから更に走り, ついに9時頃予定より三時間早くパレンバンに到着した。

  

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このヨアンダプリマというバス会社はスマトラ中にバス網を張り巡らしているようだ。

配車アプリのゴジェで100円程でパレンバン中心部に行きホテルを確保した。 

 

ここはメダンに次ぐスマトラ第二の都市である。流石に街並みは都会的だ。

  

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パレンバンは大きな街。

都心部に立地しており部屋のグレードの割に値段が安く済んだと喜んでいたら安い理由が夜に判明した。

 

ともかくホテルに荷物を置いてから先ずはパレンバンへ向かう。

グラブタクシーを使用した。39,000ルピア。

パレンバンから次の目的地であるスマトラ南部バンダル・ランプンへはバスでも勿論行けるだろうが鉄道も走っていると聞いていたからだ。

  

途中ではこの街のシンボルであるアンパン・ブリッジを渡る。

  

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鉄道駅ではこの前まで開催していたAsian Games 2018のペインティングが。

またクリスマスの飾りつけも。

 

スマトラ島の鉄道網は3つに分けられる。

メダンを中心とした北部・パダンを中心とした中部・そして南部である。

北部と中部が都市の中心部と郊外を結ぶ鉄道なのに対して南部は大きな都市を結ぶ路線である。

だから今回は鉄道を使ってみようと考えていたのだ。

 

鉄道駅は川沿いでフェリー乗り場も併設されている。

 

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無事に明朝のチケットを購入して再びアンパン・ブリッジの袂に戻ってきた。

この周辺には公園や博物館や市場があって市民や観光客が集まる場となっている。

すると謎の体操集団に出くわした。ダンスサークルか何かだろうか。。。

 

何をしようかとブラブラ考えていると川沿いにたむろする船頭が話しかけてきた。

話を聞くと船によるムシ川ツアーをやっているそうだ。

 

値段が1,300円(200,000ルピア)程だったし, なんかよく分からなかったので最初断ったのだが, 結局やることが特になかったのとネットで調べたらこのツアーなかなか面白そうなので1,000円程(150,00ルピア)に値切ったうえで乗ることにした。

 

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川沿いには中小サイズの船が並ぶ他アジアでは定番の水上家屋が見られる。

もう色んな場所で見てきたので驚くことはないが, 近くに小規模の造船所もあるところを見ると単なる貧しい水上スラムというわけでもなさそうだ。

 

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アンパン・ブリッジから離れていくほどに段々と工業的な景観になっていく。 

日本でも川崎や四日市など工場夜景萌えが流行ったが, この町でもこういった川から見る工場見学が観光の一つとなっていて時折観光客を乗せた船とすれ違う。

 

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パレンバンのムシ川沿いは産業が発達していて船が頻繁に行き交っている。

何より驚いたのは水上ガソリンスタンドがあった事だ。

それだけ多くの船がこの川を航行していくという事だろう。

 

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ムシ川沿いの工場の景観は圧巻。

巨大な肥料工場や製油所などが立ち並び数多くの荷揚げ用クレーンが立っている。

ここにいるとインドネシア後進国だという事も忘れてしまうほどだ。

 

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数キロメートル程行った先には中華様式の寺院がある。

ここは観光スポットらしいのだが, 興味ないのでスルー。笑

もう少し川をフラフラ見て回り戻る事にした。
 

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反対岸には浮遊式の水上家屋もあった。

そしてアンパン・ブリッジに戻る。

 

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アンパン・ブリッジの袂には海軍施設もあった。

ここは戦時中は日本軍に使われていたとか。

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そして公園の隣にあった博物館を訪問。

入館料は20,000ルピア(154円程)。

ここが中の展示はそうでもないのだが, ガイドが面白かった。

 

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ましろきくじのー

日本軍の軍歌を歌って見せたのだ。

日本軍の教育を受けた叔父から日本語を少し習ったそうだ。他にも『とてた兵隊さんがやってきた』(名前の聞き違い・覚え違いがあるかもしれない)などいろいろ歌えるそうだ。

しかもシンガポールの事を戦時中の呼び名である昭南島という言い方をしていた。

ガイドの叔父が戦前の欧米石油メジャーが操業していた時代から油田開発に携わっており, 戦中は日本軍部隊のサポート(プルソ部隊といっていた)戦後はプルタミナに働いていたそうだ。

 

戦争時ここは空の神兵と謳われた落下傘部隊が降り立った町である。

話を聞いてみると実際に降ってきた落下傘のほとんどは人形だったそうだ。

ダミーを作らないと地上から狙い撃ちされるからだろう。

 

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その辺で捕まえたバイクタクシーに10,000ルピアで乗ってホテルに戻る。

夜はショッピングセンターで近代的な食事。

50,000ルピア(400円)と流石にこれまでと比べると高くついてしまった。

 

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ホテルに帰り出しておいた洗濯を受け取る。(52,000ルピア)

寝ようとしていた真夜中頃にホテル中に大音量が響き渡り建物が揺れる。

どうやらこのホテルにはディスコが備わっていて寝られなくなるから値段が安かったようだ。

後で地元の人に聞いてみるとこの町では有名なクラブなんだそう。

それでもいつの間にか無事に寝付いていた。

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