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【世界旅ブログ】アジアの辺境・奥地へ

【日本軍トンネルをくぐった絶景】インドネシア横断旅:前編その六:ブキティンギ

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遂にスマトラ中部のブキティンギへとやってきた。

 

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少し休んで外を歩くと街のメイン通りには豪華な歩道橋が建っている。

後で分かったが, これは街の動物園の中にある施設だった。

 

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メイン通りから雰囲気のある路地裏を抜けていくと特徴的な屋根の家が。

この建築様式はこの地域一帯の伝統的なものミナンカバウ文化と言われるものだ。

路地ではちょっとおしゃれな落書きも発見した。

 

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ちょっと君の名は的な雰囲気もある階段を上がった通りは動物園に繋がっていた。

道路に面した入り口から混雑していて観光客用の馬車の列がもできている。

 

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外国人客用は少し高めの値段設定だが, それでも150円程度の入場料である。

 

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やはりスマトラ島といえばスマトラトラ

中の動物園はそこまで大きくない。

しかし動物展示だけでなく, 博物館遺構が展示されていてピクニックしている人も多い。 

単純に動物を見る目的というよりも公園として市民の憩いの場になっている感じだ。

 

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美しいミナンカバウ様式の建築物が公園の中心となっていた。

建物の内部は文化博物館となっていて昔の白黒写真や民族衣装等が展示されている。60,000ルピア。

訪れている地元の人は王族の衣装を着て記念撮影にいそしんでいる。

 

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これまたミナンカバウ様式の門を抜けると最初に道路から見た歩道橋を渡れる。

この上からだと町全体が見渡せる。背後に山が控えていて高原地帯の様相だ。

 

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歩道橋を渡った先にはオランダ統治時代の遺構であるコック要塞だ。

といっても建物自体は大したものは残っておらず, ちょっと名前負けしている。

 

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ここの周りでは乗馬体験を楽しんでいる人たちが大勢いた。

コック要塞側の出入り口から動物園を出て下町の路地を下っていくと, ちょうどゲストハウス前の通りに出てきた。

 

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一旦ホテルに戻り, 一休憩してから再び外出。

こちらは商店街だ。田舎町だがSHARPLGなど海外企業の看板も。 

 

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奥には通路が狭いが更にローカルな市場もある。

壁側の向こう側には広範囲に市場が広がっていたそうだが, 大火事で焼けてしまい今は閉鎖しているそうだ。

 

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上も市場の一角だが, 赤い屋根で統一されて赤い傘が吊るされていてお洒落な通りになっている。

 

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インドネシアにおける独立の英雄と言えばデビ夫人の旦那である

スカルノハッタの二人だ。

 

ジャカルタにあるスカルノ・ハッタ国際空港の名前の由来である。

 

そのうちの一人ハッタは故郷がブキティンギであり, 生家がハッタ博物館として残されている。

 

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そしてグラブのバイクタクシーで100円程払って, いよいよパノラマ公園

ここが一番面白かった観光地だ。

 

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150円払って入場すると, いきなり絶景が目の前に広がる。

更に日本軍トンネルの入り口を発見。

 

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でかでかとLobang Jepangと表示されている。

LobangトンネルJepang日本を意味する。

入口の前にたむろしているのは記念写真を撮る観光客と外国人相手にガイドをして生活の糧にする人達だ。

彼らいわくこの中のキッチンでインドネシア人が殺されていたという話が伝わっているそうだ。

(ただし最近の事実検証によりそういった説明文は撤去されたそう)

 

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トンネルの中は結構深い

降りていくのは良いのだが帰ってくるのは息が切れる。

よくこんな深い場所を掘ったなと感心するのだが, 作業をしたのは駆り出された地元の労務だそうです。

なおインドネシアではロームシャとしてそのまま通じる。

 

中はかなり広く相当な人数が動員されていたと思われる。

 

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トンネルを出た反対口には休憩所があったのでコーヒーを一杯飲む。

近くにいたガイドの人と話をした。

38歳でジャカルタに子供もいて時々会いに行くそうだが旦那とは離婚しているそうだ。

旅行代理店に勤めていたので多少の日本語を介する。

今は外国人相手にフリーのガイドをして稼いでいるそうだ。日本人も一日一人くらいくるそうだ。

 

200円程度で売店で買ったタバコとコーヒーを勧めるとタバコは甘みのついたインドネシアのものしか吸わないそうだ。 

この人が地元の逸話を紹介してくれた。

昔はロウムシャとして多くの人が亡くなったが, 今も日本人に一日一人インドネシア人が殺されているんだとか, トヨタさんやホンダさんやスズキさんに。。。

(注:インドネシアでは交通事故で亡くなる人が多いというブラックジョーク)

 

 

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トンネルを通って入口に戻らず, 丘を越えていくルートで帰っていたところ途中に墓地があった。

 

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そして展望台からは渓谷の光景が。

 

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それからゴジェのバイクタクシー100円程でバスターミナルへ行ってパレンバンまでの長距離バスチケットを2500,000ルピア(1800円程)で購入した。

夜中で暗かったため結構危なっかしい雰囲気もあったが, 問題なく購入できた。

ただし, どうやら実際に乗るバス会社はここの店とは別のようだ。

夜はここしか開いていないのでしょうがないが, 昼間に直接バス会社で購入していればもっと安く済ませられただろう。

 

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この日は晦日時計塔の前には多くのインドネシア人が集まってきている。

地元の人はここの時計塔広場で年越しをするのが定番だそうだ。

 

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自分は周りと一緒に年越しまでしたかったが, 前日からの夜行バスの疲労と明日からまた夜行バスに乗らなければならないので早めに宿に戻って休むこととした。

 

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【皆でトラックを押してバス移動】インドネシア横断旅:前編その五:ブキティンギまでの悪路を行く旅

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 今回はトバ湖畔の町パラッパから,

一気にスマトラ中部のブキティンギを目指す。

 

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パラッパの旅行代理店で購入したチケットはパラッパのバスターミナルまでの送迎付きである。

350,000ルピアなので2,500円程度。うち700円ぐらいは仲介した旅行代理店の取り分だ。

街中からバイクで10分程度であった。

 

バスターミナルはかなり広大だが, 土地の広さに見合わず中に停まっているバスは少ない。 f:id:snowm-blog:20190221205128j:plain

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到着した時は出発5分前頃の16時55分。

代理店の前では既に乗客達が床に座ってバスを待っていてギリギリであった。

年末なので逃したら次バスに乗れるのはいつになるか分からない。

 

代理店の中にはチケット表が掲示されている。

ジャカルタ行きやバンドゥン行き超長距離バスもある。

流石に腰がぶっ壊れそうである。

またフライトチケットも扱っているようだ。

 

そして掲示板の前には立派なマリア像が置かれている。

やはりキリスト教文化圏である。

 

隣の店舗ではミシン作業をしている。内職中だろうか。

店舗の前で子供は伝統的な楽器なのだろうか, ミニ太鼓でリズムを奏でながら, 遊んでいる

 

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乗り込んだバスは下記のような大型のもの。

ツーリストバスではなくローカルバスなので値段は安く, 乗るのもかなり年季の入ったバックパッカーらしき一人の老齢の白人を除いて全て地元の人達である。

 

パラッパからトバ湖周りに南下する道路は帰宅時間帯だったのだろうか結構交通量が多く,

時折渋滞もしていてスムーズには進んでいなかった。

こんな少数民族の住む山奥の辺境地でまさか渋滞と遭遇するとは思っていなかったので驚きであった。

  

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深夜に目を覚ますと夜11時を回っておりトイレ休憩の時間だった。

いつの間にか教会よりもモスクが目立つ地域に入っている。

 

夕食はインドネシアでよく売られているPoP MIEというカップ

この日まともにご飯を食べていなかったので, 久々の食事だ。

値段は80円程度と安い。味もピリ辛だが, 日本人でも食べられる程度なのでなかなかいける。

 

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トイレ休憩の折には深夜ゼロ時を過ぎた真夜中にも関わらず何故かギターを持った若者達がいるものだから不思議に思っていたが, どうやら彼らは旅芸人のようだ。

トイレ休憩からバスが出発すると10分程バスの中でギターを弾きながら歌を歌う

これがお世辞にも上手いとは言えないのだが。。)

 

一通り曲が終わるとチップを貰いに乗客を回るのだ。

自分が座っていた窓際の席は届きにくいためマシなのだが,

通路側だと断りにくい雰囲気もある。

 

この後のバス旅行でも彼らのような流しのギタリストを沢山みかける事となる。

 

また何故かドリアンを購入した猛者がいてしばらく激臭が車内に蔓延するなど単にバスに乗っているだけでも色々なイベントが発生するからこの国は面白い。

 

まだ朝までには時間があり再びバスの中で眠りにつこうとする。

しかし鶏の鳴き声が時折聞こえてくる。どうやら深夜バスに鶏を持ち込んでいる乗客がいるようだ。。

 

トバ湖からブキティンギまでの道はパックパッカーの神様とも呼ばれる作家の下川裕治をして世界四大悪路と言わしめたルート。

 

確かに揺れはあるのだが, どこでも寝られる体質が幸いしていつの間にか熟睡していた。朝5時ぐらいの途中休憩も降りずに寝続けた。

 

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しかし朝9時頃太陽の光に目を覚ますとバスが止まっていた

北スマトラ州から西スマトラ州に入る州境を超えた頃だったと思う。

 

道が曲がりくねっているため先まで見えないのだが,

どうやらバスやトラックの長い列ができているようだ。

 

列の先まで歩いて行ってみると, そこにはスタックするトラックの姿が。

バイクや自動車は横から通り過ぎて行く道幅があるのだが, バスやトラックは曲がり切れないので立往生していたようだ。

 

集まった人達が協力してトラックの荷台に積まれた土嚢のような荷を一つ一つ降ろしていく

そして荷が空になったところで・・・

  

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 1・2・3を意味するサトゥ・ドゥア・ティガーの掛け声で皆でトラックを押し込む。

 

・・・が、ダメ!

 

コンクリート破損部にタイヤがスタックしたトラックは人の力ではなかなか抜け出せない

  

皆困って騒いでいる一方で, インドネシアらしい光景だなと一人感慨にふけっていた。

日本でも東名高速道路ができる前はこんな感じだったのだろうかとか考えてしまう。

 

でもこのままでは自分も次の町へ辿り着けそうもないのでインドネシア人に混じって一緒にトラックを押す国際協力をする。

 

 

でも国際協力の甲斐なく, 離脱する事はできなかった。

結局別のトラックにワイヤーで引っ張って貰う事でようやく脱する事ができた。

最初からそうすれば良かったのにという気もするが。。。)

 

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そして正午を回った頃ようやくブキティンギに到着である。

ここまで来ればスマトラ島も半分程を南下した事になる。

 

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ブキティンギは観光の町だけあってよく整備されていて気持ちの良い街だ。

高原地帯だから空気も良いのだろうし, 気温も心地よい。

外国人対応のゲストハウスも中心部に複数あって探すのにも困らなかった。

今回は下のHello Guest Houseに到着。

少し休んでから街に繰り出す事にした。

 

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【バタック文化】インドネシア横断旅:前編その四:スマトラ島少数民族との出会い


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バンダアチェからロクスマウェメダンを経由してブラスタギへ到着した。

その翌日となる今回は移動距離こそ短いが, 少数民族文化を堪能しながらスマトラ島随一の観光地であるトバ湖を目指して移動する。

 

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ブラスタギのシンボルであるこの塔は昨夜はよくわからなかったが, 朝見るとなかなか立派であった。独立戦争のモニュメントのようだ。

 

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すぐ近くの果物市場を訪れてみる。

広くはないが, 地元の食材に彩られて非常に絵になる。

 

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市場を出たところにあった町の博物館。

朝早かったので開館時間には早いようだ。

 

この近くの観光案内所でトバ湖への行き方を尋ねようと思っていたのだが, ここも日曜日で残念ながら休みであった。

観光案内所なのに週末が休みなのに若干の理不尽さを感じるが, 仕方ないので町のバスターミナルへ行ってみる事とする。

 

町の大通りに沿った中心部を抜けて, 別の市場に行く。

ここの門前がバスターミナルとなっている。

といってもターミナルというよりはバスの発着場と言った方が良いかもしれない。

停まっているバスも大型ではなく, 中型車ばかりだ。

 

市場とごちゃまぜになっていて, どこにどこ行きのバスがあるのか全く分からない

 

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市場の中はこんな感じ。果物以外が中心となっているようだ。

子供が一生懸命に店の手伝いをしていて, それを周りの子供達が眺めている。

アジアの市場や商店は家族経営が多いので, 子供が店の手伝いをしている姿をよく見かける。

 

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奥の青い籠には生きた鶏が数えられない程いて喧騒がすごい

アスファルト舗装もきちんとしておらず足元が汚いから歩きにくい。

 

結局ここからトバ湖のパラッパ行きバスは出ていないようなので一旦ホテルに戻る。

 

ホテルの人に今日どうするのか聞かれたのでトバ湖へ移動する事を伝えるとタクシーを薦められた。

このタクシーが600,000ルピア(約4,600円)とインドネシアの物価を考えれば非常に高い

(それでも宿泊者には安くしているそうなのだが)

 

ここで手配するには凄く高いので最初は断った。

 

ただローカルバスで行くにはバスを何度も乗り継いでいかなければならなく難易度が高い。

 

それでもトライしてみようとゲストハウス前を通るローカルバスを待っていたのだが, 結局どれがそのバスなのか全く分かりそうもない

 

仕方ないのでタクシーで行こうか迷っていると, よく聞けば伝統的な家屋が残る村と観光スポットのにも寄っていくツアータクシーだった。

 

時間もトータルで6時間はかかるそう。移動距離で考えれば割高と思っていたが, 拘束時間で考えればGrabと大きく変わらない

 

値段は高いが, 結局これで行く事にした。

 

車を用意してくると言うので隣のカフェでインドネシア語の勉強をしながら, ドライバーを待つ。

 

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30分以上待ってから10時半頃にようやく出発である。

 

トバ湖方面への道はよく整備されているが, インドネシアではあまり多くない教会を頻繁に目にする

この地域に居住するバタック族クリスチャンが中心だ。


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この地域では犬を食べる文化があるらしい。

上の写真の左にレストランがあるのだが, 看板にB2と書かれている。

一方で下の写真右には看板にB1とある。

両方とも同じBBQレストランだそうだが, 犬肉と鶏肉の違いがあるのだそうだ。

 

どちらのBBQレストランなのか分かるように看板を出しているのだとか。

日本でも昔(戦後)は犬を食べる文化があったと教えたら驚いていた。

 

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通行量の多いメイン通りから横にそれて, 伝統的な家屋が残る村へ入っていく。

村では子供を沢山みかけた。

 

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入村料を支払ったが, 百数十円ぐらいと安価であった。

 

屋根が特徴的な伝統家屋

南国によくある高床式である。

 

観光用ではなく実際に何家族かが中に住んでいる

 

 

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高床下には藁で編んだ駕籠みたいなのがある。聞くと鶏の卵を受けるところだそうだ。

外にあった竹製の物干し竿には洗濯物が一杯

 

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村では遊んでいる子供達が一杯いて, フレンドリーに挨拶してくる子もいるが, 恥ずかしがり屋で大きくアピールをしてこない子も多い。

でも外国人には興味津々といった感じで家の入口からこちらをじっとみつめていて可愛い。

 

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村の中には売店もあり, スナックや飲み物を購入できる。家の壁の一部に商品が陳列されている形だ。住居も兼ねているのだろう。 

インドネシアでは大きなパラボラアンテナをよく見かける。TVが大きな娯楽なのだろう。

 

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屋根が特徴的なこの村の伝統家屋だが, 日本でも愛知県犬山市リトルワールドというテーマパークでバタック族の家屋が展示されているそうだ。

 

家屋は1947年建てられたものを移築したそうだが, 戦争直後なので太平洋戦争の様子を描いた絵が描かれていたりと大変興味深いものである。

(空の神兵と称されたパレンバンの落下傘部隊などが描かれている)

 

tratra.exblog.jp

 

この村とは別に地球の歩き方にも掲載されている村が他にあるのだそうだが, 家屋は多く残っておらず観光客も多いと聞いた。

 

この村は自分以外に旅行者は一人もおらず落ち着いた雰囲気でのんびり過ごすことが出来てとても楽しめた。

 

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小さなはしごを登って, 家の中に入っていく。

家には子供の勉強用なのかアルファベットの表も貼ってある。

 

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二階が屋根裏となっており, 木材などを保管する倉庫として使われていた。

母親やお姉さんは食事の準備中だ。靴を脱いで家にお邪魔させて貰った。

 

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子供はどこでも可愛い。

奥には毛布・布団がしまわれている他, 結婚式の写真や子供達の入学・卒業写真のようなものが沢山飾られていた。

 

こういった辺境地域に住む人達もそうしたイベントの想い出を大切にするんだなとなんとなく親近感が湧いた。

 

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いくらかお礼を包んで家を後にする。

日本でも白川郷五個荘など飛騨・北陸地域に似たような感じの伝統家屋も残っているが, 維持が大変という話も聞く。

ここの地域でこういった伝統家屋が無くなっていくのも似たような事情があるのではないのかと思えた。

 

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しかしこの小さな村は子供は沢山いるし, のんびりして落ち着けるし凄く良い場所だ。

村を出ていく途中にはやはり教会があり, 小さな村なのに三, 四軒もあった。

 

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村を離れてトバ湖を目指して南下していく。

途中から道沿いに沢山のオレンジの屋台をみかける。

下写真なんかは屋台というより木と木の間で屋根を作っただけ青空売店である。

こういう屋台が道沿いに何十店も並んでいてもんだから正直同じものばかり売って, 過当競争にならないのか心配なのだが, ここまで買い付けにやってくる業者みたいなのがいるのだろうか。

 

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途中の工務店みたいなところで自動車の空気圧をチェック

大丈夫だったので直ぐにそのまま出発したが, 後ろに泊ったデコバスがめちゃめちゃ気になる。

 

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その後も途中大きめの街で市場があったり道端でよく見かける教会建築を楽しみながら進む。

さっきの村では伝統衣装は見かけなかったが, 道中民族衣装を着ている人もちょいちょい見かける事ができた。

写真を撮り逃して後々すごく後悔したが, 民族衣装のまま畑作業をしていたり教会に集っていたりする姿は本当に美しい。

 

ここではクリスマスを何日間か祝う文化だそうで民族衣装を着ている人が多い期間なのだとか。

 

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山の方へ向かって走っていくと自然の景色が美しい場所へ到着した。

ここは大きな滝が臨めると同時にトバ湖を見渡せる絶景スポットで地元の観光客が数えきれない程訪れている。

 

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地元女子も思わずインスタ映えを狙って写真撮影?

I♡SIPISO PISOのモニュメントで撮影大会である。

 

SIPISO PISOはここの地名でTシャツにもなっているほど地元では名の知れた観光地のようだ。

 

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確かに圧巻の自然景色だ。トバ湖は何気に物凄く大きいので果てが見えない。

滝壺の方に降りていこうとすると, 途中で道が壊れていたりと足元に気を付けながら進まないとならない。

 

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結局途中でスコールが始まってしまったので, 最後まで行かず撤退する事とした。

再び車でパラッパという町を目指す。道はアスファルトが壊れていたり, 謎の石が道を塞いでいたりと色々あったが, 色々なアトラクションも備わっている眺めの良いスポットで休憩したりと飽きる事なく楽しめた。

 

道中は車に入っていたバタック音楽のCDをかけながらでの移動であった。

 

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そしてブラスタギを出発してから6時間程経った16時半頃やっとトバ湖畔の町パラッパに到着。

 

ここはトバ湖周辺を訪れる旅行者の拠点となるま町だ。

そのため, インドネシアに来てからやっと白人バックパッカーが街を歩く姿を複数人目にした。

 

旅行代理店に行って貰い, ここで次の町へのバスの予約を済まそうとすると, もう何日も先までバスの予約が埋まっているという。

 

年末年始で観光客が多いのだそうだが, まだまだスマトラ島の1/3も進んでいないので困ってしまった。

 

それじゃジャカルタにも辿り着けないぞと焦っていたところ,

予約が一杯なのはツーリストバスローカルバスなら5時発の今から出るバスに乗れるかもしれないそうだ。

 

 

早速電話で空いているか確認して貰ったら, 空いているとの事であった。今日は本当ならトバ湖に浮かぶサモシール島でゆっくりしていきたかったが,

この日は道中でバタック文化を結構楽しめたので, 諦めて次の町となるブキティンギへ向かう事とした。

 

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【内陸高原地帯ブラスタギへ】インドネシア横断旅:前編その三:鉄道に沿って辿り着いたメダンの街はスルー

前回バンダアチェからロクスマウェまで移動してきたが,

今回は更にメダンを通過してブラスタギまで移動した。

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朝宿の食堂でご飯を済ませる。

前夜は気付かなかったが, なかなかのロビー。壁にはスマトラ津波の時の写真が。

 

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ホテルを出て100円ぐらい(うっかり前日の5割増し料金で払ってしまった)支払ってベチャで昨夜のバスターミナルへ。

ロクスマウェの時計台モスクを横目にしながら移動する。

 

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配車アプリが使えないこの町では, ベチャが庶民の足である。

メダン行きバスは9時出発の予定だったが, 40分くらい遅れてバスがやってきた。

料金は1000円弱である。結局出発は10時頃。もはやこれぐらいの遅れで驚きはしない。。。

とはいえ目的地のメダンに日没後に到着するのは避けておきたかった。

 

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中の座席はリクライニングが結構できて横幅もしっかりあり, 快適。

そしてバス後方部には喫煙ゾーンも存在するのがインドネシア流。

降りる時に撮影した下の写真にあるように後ろの扉向こうではタバコが吸えるようになっている。

 

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最初しばらく寝ていたが, 起きた頃にはアチェ州と北スマトラ州の州境のあたりであった。

前日のミニバスが暴走運転だったので大分ゆっくりに感じた。

隣の乗客が自分のポケットに指を忍ばせてくる感触で起きてしまった。うーん、昨晩の人達はめちゃめちゃいい人達だったが、やはりメダンに近付いてくると油断できない。

左側の窓を眺めていると, 鉄道の風景がところどころで見られる。

洪水していた街の近くの川では鉄橋の建設工事(又は復旧工事)も行われていた。

どうやらかつて運行されていたメダンとアチェを結ぶ鉄道を再建する計画があるようだ。

 

chikyu-ko.cocolog-nifty.com

www.ind-news.asia

 

また途中で洪水が発生していたようで家屋が水に漬かっている街も。

 

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陽が暮れる前に到着したかったのだが, 結局スマトラ島最大の都市であるメダンに到着したのは19時半となり10時間近くかかってしまった。

メダン駅の西方に位置しているバス会社のKurnia社専用ターミナルに到着だ。

 

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メダンの街歩きはアチェへ行く前に終えていたからこの日中に更なる南下を試みる。

メダンの観光案内所で貰ったブラスタギ行きバス会社のメモを改めて見たところ, Kurnia社もその一つであった。

なので, このターミナルでブラスタギ行きのバスはあるかと一生懸命インドネシア語で尋ねると, (おそらく時間的に) もうないという事だった。

 

仕方ないので隣の建物であるショッピングセンターへ移動して作戦を練る。

ガイドブックによれば公共のバスターミナルへ行けば, まだ運行されているバスがあるはずだが, バスターミナルに行くなと観光案内所で警告されていたので, それを使うのも気が引ける。

 

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インドネシア一治安が悪いと言われる街で夜間にあまり色々と動きたくなかったので, バスターミナルへ行くのはやめる事にした。

その代わりGrabで調べたところタクシーで移動しても2,000円強で済む事が分かったので, 20時頃ショッピングセンターからブラスタギへ直接移動する事とした。

 

ショッピングセンター前でドライバーと待ち合わせたところ, Grabドライバーに友達のドライバーを紹介される新しいパターンであった。Grabの注文はキャンセルとなったが, どうやらこのドライバーは自分が住んでいるブラスタギの街へ帰るところであったみたいだ。

 

ドライバーは若い人で助手席に座ったため, 色々しゃべったのだが, スラウェシ地震の画像を沢山見せてくれた。

その中から下記に二つ抜粋。他のものは掲載できないが無数の死体が並ぶ衝撃的なものであった。

日本人も自然災害とは切っても切り離せない関係であるが, インドネシアも屈指の災害大国である事を実感した。

 

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そうこうしているうちに高原の避暑地ブラスタギへ到着した。

時刻は日もそろそろ変わる23時半頃。

ここではモスクよりも教会の方が沢山ありキリスト教が中心だ。

今朝までいたイスラム教色の強いアチェ州とは対照的である。

地球の歩き方に掲載されていたロスメン・シバヤにチェックインする。

 

一泊200,000ルピアと1500円程度。 

街を歩くと, おそらくメダンから来ているのであろうインドネシア人観光客を沢山みかける。

欧米系バックパッカーは全く見かけず地元人ばかりであった。

時間はもう23時頃だが, 年末休暇だろうか夜の屋台でご飯を食べる家族を沢山みかける。

 

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明日トバ湖へ移動するための情報収集をする。

宿泊したゲストハウスの手配だと結構値段がはるため, ローカルな手段で移動できないか色々聞いて回るのだが, どうも何度も路線バスを乗り継がなければならないそうで難易度が高そうだ。

朝になれば観光案内所が開くみたいだから, また明朝に行動する事として今夜は寝ることとした。

 

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【メッカのベランダ】インドネシア横断旅:前編その二:アチェで考える津波と戦争と平和


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翌朝はホテル(何故か大量のぬいぐるみが販売されている・・・)のバイキングで朝飯を済ませて, 津波博物館に向かう。

ここは英語名だとTsunami Museumである。

 

グラブで頼むと女性ドライバーだった。イスラムの戒律が厳しいこの地域だが, 女性が働くことには寛容のようだ。知り合ったガイドの娘も大学に行っていると言っていたし, 女性の権利が制限されている雰囲気は感じられない。

 

とはいえアチェ州では公衆の面前での愛情表現が禁止されるなど, 保守的なので気を付けなければならない。

最近もこんなニュースがあった。

www.newsweekjapan.jp

 

タクシー車内はピンク色を基調としておりハローキティグッズに溢れているのが, 日本の田舎で軽自動車を持つ若い女性のイメージと似ていて面白い。

タクシーはUberで100円程度だった。

 

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津波博物館はスマトラ沖地震の様々な展示がされていて, 地元の人もたくさん訪問していた。

早速チケットを購入して中に入る。料金は77円ぐらい。

 

外国人は受付で国籍を記入しなければならない。

聞くと日本人もちょいちょい来ており数日前には展示会で沢山来ていたそうだ。

 

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館内には津波の事を思い出したくない人や体の弱い人は入館しないように注意書きがされていた。

 

※ここから先は津波関連の写真が沢山でてくるので抵抗がある方はご遠慮下さい。

 

 

 

 

 

 

被災したヘリコプターの展示を横目に館内へ入っていくと, 水の流れていく音が聞こえる真っ暗な通路をしばらく歩く。

 

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足元が見えないほど暗いため結構ドキドキなのだが,

通路を抜けると一人一人の犠牲者の名前が壁に書かれた部屋にたどり着く。

写真では分かりにくいが, 四方の高い壁全面に小さく名前が書かれているのだ。

 

死者数は報道等で分かってはいるのだが, このように個人名が並ぶと一人一人に自分と同じようにそれぞれの人生を抱えていた者達が如何に多く亡くなった事か, どこか他人事のように聞こえていた話が急に身近で起こったものとして感じられた。

 

震災は悲しみの記憶であるが, 一方で世界各国から救援チームが駆けつけて活動が行われた。そういった面を記憶していくための絵画も展示されていた。

 

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震災時にはオールドテクノロジーが役立つ。

日本でも東日本大震災後に機能しなくなった東北本線の代わりとして石油を積んだ古いディーゼル機関車磐越西線を走ったし, 携帯も機能しないような災害時に便利なラジオの力が改めて認識された。

 

ここでは象の力が瓦礫撤去(人力ならぬ象力?)などに役立てられたようだ。

 

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津波に飲み込まれる街の模型展示も。

 

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上の階には薄暗い照明の中で津波にあった家屋の様子が再現されていた。

また短冊のように沢山のメッセージを記載したものが吊り下げられたコーナーもあった。中には日本語のメッセージも散見された。

 

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そして日本コーナーもあった。東日本大震災の写真も展示されている。

 

浜口梧陵という人の特集展示がされていた。

彼は幕末の和歌山で津波安政南海地震)があった際に到着前の避難や被災後の復興に尽力した人で,

国連が定める津波の日の元ネタになった人物でもある。

 

彼の活躍は稲むらの火として戦前では国語の授業の教材であった。

www.yamasa.com

 

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博物館の吹き抜けの天井には救援活動に尽力したのであろう各国の国旗が。

博物館の外は子供達の遊び場と化している。

この博物館の素晴らしいのは記憶を展示するのみならず, 災害時には避難所としての機能を有していることだ。

 

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博物館は一時間半ほどで見学を終えて, 二ブロックほど先にあるグランドモスクへ移動。

インドネシアではこのように道路に穴が開いているため, 下を見ながら歩かなければならない。

 

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グランドモスクは流石に圧巻だ。

東南アジア一のモスクとの呼び声も伊達ではない。

入場には靴を脱いで預ける必要がある。

 

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市民の憩いの場としての役割もあるのか, 何をするでもなく皆思い思いに過ごしている。

中には結婚式の写真や動画を撮影している人たちも。

津波の時は何百人もの人達がここに避難したそうだ。

 

宗教施設でもありながら地域の集会所としての役割もあるみたいで, 観光用というよりも地域に根付いた施設となっている。


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この後はまた100円のUberでホテルへ一旦戻ってチェックアウトを済まし、前日に購入したバスチケットでアチェ州第二の街であるロクスマウェを目指す。

バンに乗せられて一旦バスターミナルへと移動して、そこで乗客が全員載せられて出発する。この際に再度チケット代をしつこく要求されたのだが前日に支払い済みだと何度か主張したらことなきを得た。前日に払ったバス移動費は120,000ルピア。 

 

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バンダアチェの空港に降り立った時, ロクスマウェへ行く方法を訪ねたところアルンLNGの関係者かと問われた。

この町はLNG基地がある事で有名なそうだ。

 

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正午に出発して東進していくのだが, 道沿いにはほぼ絶える事無く, 小さな集落が目に付く

なんとなくスマトラ島は秘境なイメージがありジャングルが広がっているのかと思っていただけに意外な光景であった。

 

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途中休憩のガソリンスタンドにて。

アチェ州ではアチェ民族帽子をかぶっている男の子を沢山みかける。

途中で工事で土の区間もあったが, 基本的に道中はすべてアスファルト舗装されていた。

 

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途中バナナチップを購入。150円ほどしてインドネシアにしては結構高いなと思っていたら食べきれないほど大量にもらってしまった。

 

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クレイジーなあおり高速走行で結局ロクスマウェに着いたのは日没の6時半頃。

適当にドライバーの知っているホテルで降ろして貰った。

チェックインしてから10,000ルピアのベチャで街のバスターミナルへ行く。

この街にはタクシーがないらしく移動手段はサイドカー付きバイクであるベチャしかない。

明日メダンに行くためのバスケットを購入しておく。出発は9時だ。

 

それから80円のサティを食べたり, 50円のコーヒーを飲んだりして街中をブラブラしていると街のモスク横にある広場では遊具と遊んでいる子供達が沢山。

 

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ミニチュアな釣りや回転木馬, ゴーカート, お絵描き, 果てはエレクトリカルパレードのような乗り物まで登場してテーマパーク状態となっている。

 

アチェ州では確か子供が外で遊んで良い門限のような時刻が9時ぐらいで決まっていた気がするが, ギリギリまでは遊んでいるようだ。


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ホテルへ戻る途中に市場のような場所があったので入ってみると, 地元の人たちに話しかけられて仲良くなった。

聞くとここは明るい時間帯は宝石市場なのだとか。

アチェ州には宝石の採れる場所が結構あり, 彼らも売り買いをする商売人だそうだ。

 

今晩深夜から宝石が採れる内陸のタケゴンへ移動する予定だとの事。

タケゴンは風光明媚な場所であまり知られていない山岳リゾートらしく明日ブラスタギまで行こうかなと言ったらタケゴンへ行くのを強くお勧めされた。

時間的制約もあり行くのは適わなかったが, 気になる街だ。

 

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まだ時間もあったので一緒にカフェへ行く。

深夜にも関わらず多くの男達がくつろいでいる。

支払いは彼らに奢ってもらってしまった。

珈琲をおごってもらってしまった上に商品サンプルとして使っている指輪まで貰ってしまった。旅の経験上最後に見返りを要求されるパターンも頭に浮かんでしまったが結局そんなものは求められずじまい、本当にいい人だった。

 

しかもこんな場所に来る日本人は珍しいのか, 勝手にインスタライブまで始まってしまっている。

LNG基地に来る外国人はいないのかと尋ねるのだが, 

彼らは街には出てこないのだそうだ。

彼らの一人は土木測量技術者をやっていたため油ガス田構造調査に用いる物理探査の仕事を一時期していたようだ。

スマトラ地震後には日本の大学教授と被害調査や復興の取り組みもしたそうだ。

 

しかし, それは特異な例のようでガス田開発のためにアメリカ企業が雇う従業員は地元の人間は多くなくジャワ島から連れて来た人ばかりなのだとか。

 

なんとなくもやもやした気持ちになるのだが, 嬉しい発見もあった。

 

後からやってきた彼らの友達が職業軍人だったのだが, 彼はジャワの人間であった。

アチェ州は津波が来るまで長く独立戦争をしていた。

特にロクスマウェ北スマトラ州に近い街であるためインドネシア軍の基地が置かれて, その前線でもあったのだ。

 

この戦争には日本人も無関係ではない。インドネシア独立戦争に多数の残留日本兵が加わったのはよく知られているが, アチェ州のインドネシアからの独立戦争にも初期に協力していた日本兵がいるからだ。

 

そして近年まで独立戦争は続くのだが, スマトラ津波を機に独立勢力は戦争を辞め, 地域の復興では存在感を見せたインドネシア政府の力がアチェの住民に認められた。

 

和平が結ばれ平和の時代が訪れるのだが, そうした悲しみの歴史を経て, こうして中央政府のあるジャワ島出身の軍人アチェ州の住民日本人一つのテーブルを囲んでお茶しているという事実には歴史を考えれば大変感慨深いものがあると感じた。

 

少なくともインドネシアがこれまでの悲惨な歴史を乗り越えて未来へしっかりと前へ歩んでいる事を確かめられたのはこの旅での大きな収穫であった。

 

 

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【大津波に襲われたアチェの街】インドネシア横断旅:前編その一:有名ガイドの案内で日本人に会いに行く

 

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バンダアチェイスカンダルムダ空港に降り立った。

ここがインドネシア横断旅のスタート地点となる街だ。

 

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旅の計画をざっくり言うと, ここからバスでスマトラ島を縦横断して,

船でジャワ島へ渡り更にバリ島, ロンボク島, コモド島, フローレス島, チモール島へと東へ東へアイランドホッピングしていく計画であった。

 

ただ結論から言えば当初予定の四分の一ぐらいしか進められずジャカルタ止まりとなった。

その理由はスマトラ島があまりにも大きくて日数が足りなかったからだ。

まぁ元々一回でインドネシアを横断するのは無理があるとは気づいていたから, また次回訪れた際に続きをやりたいと思う。

 

とにかくインドネシアの西端バンダアチェから今回の東進していく旅は始まったのである。

  

空港へ降り立つと出口には沢山のタクシードライバーが, 待ち構えていた。インドネシアではよくある光景だ。とはいえ空港の規模が小さいからか, 殺伐とした雰囲気はない

それでもすぐには信用せず先ずはグラブ(配車アプリ)で適正料金を調べる。

 

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空港のベンチに座って調べるとドライバーに見せられた料金表はほぼ適正価格であることを確認できた。

バンダアチェ市内までは100,000RP(770円)だ。

料金表を見せてきた人の車に乗り市内まで向かって貰うこととする。

 

途中でアチェ州第二の都市ロクスマウェまで行きたいんだけど, どうやって行けるのかと尋ねると

 

日本語できる友達いるからちょっと待っててといわれてしばらくまつと電話を渡された。電話に出ると相手は流暢な日本語を喋るじゃないか。

 

インドネシアには戦時中に来てそのまま残った人も多いと聞いていたのでもしかして残留日本兵と疑問がよぎりつつも, よくよく話を聴くと日本語ができるインドネシア人であった。

 

彼には色々聞きたかったため, とりあえず向かっているホテルにて待ち合わせする事にして市内へ向かう。

 

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この街を訪れたのはクリスマス直後だったが, クリスマスの雰囲気は微塵もない

聞くと晦日や新年のお祝いすらしないという。

 

一時間弱ぐらい走っただろうかホテルに到着した。一泊4000円ぐらいだったと思うが立派なホテルだった。

後で聞いたところ, この街では高級なホテルの部類に入るようだ。

部屋もロビーも広くて申し分ない。外国人はほとんどいないのか, ムスリムの格好をした人ばかりであった。

  

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受付で貰った市内マップで観光スポットをチェックする。

今回訪れることは無かったが郊外の方を見ると日本軍上陸モニュメントというのもあるそうだ。

アチェインドネシアを統治したオランダへの抗争が最も激しかった地域である。

そのため独立勢力が上陸の手引きをしていたそうだ。

(とはいえその後は泥沼の戦争がつい最近まで続く事になる)

 

ロビーで先ほど電話で話したガイドと待ち合わせる。仕事用の英語名はLittle Johnというそうだ。

何とWikitravelにも掲載されているこの町の名物ガイドだそうだ。ベチャにはWi-Fiを備え付けており, 英語ドイツ語も話せるというハイスペック人材である。

言語はメダンのインターナショナルスクールで習ったのだそうだ。

 

一時間ぐらいで100,000RP(770円)の約束で適当に彼のベチャで街を回って貰う事にした。

 

wikitravel.org

 

先ず最初に向かったのは洗濯屋だった。ホテルのラウンドリーは価格が非常に高いので街中の庶民が使うところへ行って貰う。 特急扱いで値段は300円ほどだった。

それから次に向かったのはスマトラ津波の遺構であった。

 

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 日本の津波でもしばしば目にした建物上に漁船が乗っかってしまった遺構である。

この街では後世に伝えていくためにこういった津波の記憶を遺すことにしたそうだ。立派な決断であると思う。

入場料は特になかったものの, 募金箱に500円ほどの少額だが寄付させて貰った。

 

その次は港へ行ってみる事にする。 

 

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上のように小学生ぐらいの女の子がスカーフをした状態でバイクの後ろに乗っている可愛らしい姿をよく目にする。子供×スカーフ×バイクという何故か凄く印象に残るライフスタイルであった。 

 

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海が見える道沿いにはとうもろこし屋台が沢山あって夕日を見ている人が沢山いた。とうもろこしを食べながら日没を眺めるのが地元で流行っているんだとか。

 

またフェリーターミナルでは周辺の島へ行くための船が出ているそうだ。

特にサバン島はダイビングスポットとして人気があるそうで現地在住の日本人女性もダイビングショップで働いているのだそうだ。

 

地元の人達の暮らしが気になって家を見せて貰えないかと頼むと友達の家へ連れて行ってくれる事になった。

しばらく走って閑静な住宅街の路地へ入ると, そこには親子3人で暮らす小ぶりな友人宅に入れて貰った。

 

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ブラウン管TVを久しぶりに見た。長く使っているそうで, 最近は薄型の方が安いそうだ。

棚の上には結婚式の写真が沢山飾ってあった。

 

電気は引いているが, 水は整備されておらず井戸と飲料用には飲料水を買っているそうだ。

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隣の小屋にはパン工房があった。

彼はガイドと同様にベチャのドライバーなのだが, それだけではやっていけず副業として毎朝パンを焼いて, カフェの隣に屋台を出して売るそうだ。

 

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上の機械はスマトラ津波の時に遠くまで流されたそうだ。そして下の機械のように見付けられなかったものは新しく購入したので一つだけピカピカだ。

使っている機械は6万5千円や8万円ほどするそうで, インドネシアの平均年収を考えると相当大きな経済的負担であった事が分かる。

 

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この後, バスターミナルへ行って貰い, アチェ州第二の都市であるロクスマウェ行きのチケットを購入した。値段は1000円弱である。

といっても大型バスターミナルは別にあるそうでワゴンタイプのバスターミナルのようだ。駐車場の周りには沢山のバス会社がチケットオフィスを構えている。

 

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上のPT. PUSAKAという会社でチケットを購入した。バスは一時間おきに出ているそうだが, 翌日の予定を考えて, 正午にホテルのロビーまで迎えに来て貰う事にした。

どうやら日本人がここに来るのはやはり珍しいそうだ。

 

お腹が空いたのでローカルレストランでミーゴレンを食す。

アチェのミーゴレン(焼きそば)はミーアチェとも呼ばれ他の地域とは異なるそうだ。特に太い麺と辛い味付けが特徴だそうで, 麺がモチモチしていて美味しかった。

二人分の食事と飲み物代で220円程度。さすがの安さ。

 

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食後に向かいのカフェでコーヒーを購入。ここは外国人も買いに来る事のある有名店だそうだ。特に有名なコピ・ルアクが100円くらいで飲む事ができる。

コピ・ルアクは日本だと数千円もするような世界一高いコーヒーと言われている。

日本はもちろんの事, ジャカルタバリで飲んでも高価で貴重な珈琲だが, ここでは恐ろしく安い。

 

でもガイドはジャコウネコの糞から出来たコーヒーだが俺は飲まないんだそうだ。

お土産を持って帰りたかったが, 旅を始めたばかりのタイミングで荷物を増やしたくなかったので断念。

 

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この後ガイドの友達である現地在住日本人の家を訪問した。

 

彼は元々プーケットで漁業を営んでいたそうだが, スマトラ地震プーケットが甚大な被害を受けた後にスマトラ島へ来たそうだ。アチェに来た当初はインドネシア海軍の基地に漁船を停泊させてもらっていたのだとか。

 

ここでは日本人が三人ほどいてもう一人も漁業関係で来ていて, もう一人は欧米人と結婚してサバン島のダイビングショップを夫婦で経営しているのだとか。

また付近のサバン島へ行った時の話を聞いたのだが, 住人に渡された島の地図には日本語がしるされていたそうだ。

戦争中に日本軍が製図した地図が非常に精巧でそれが今でも使いまわされているのだとか。

また島には日本人の墓もあるそうた。明治の頃より日本人が来ていたそうだ。

マラッカ海峡の入り口にあたる要衝なので日本人の漁師達なのだろうか。。

 

彼が訪れた時にはもちろん草木に埋もれた状態だったそうなのだが、地元住民にお金(当時初めてきたばかりの頃で相場がよく分からず数万円渡したところ)を渡して一日にして完璧に奇麗に掃除がなされたのだとか。

 

ところでアチェ美人が多いそうだ。 

確かにこの街では東アジア系の顔立ちの人は多くないように思え, メダンとは違うなと思っていたところだ。

聞くと, ここではヨーロッパ・インド系の顔立ちの人も多いという。

 

碧眼の人もたまにいて田舎の村ではその遺伝子が途切れないよう皆で守る風習があるとも聞いた。

その時はへーそんなこともあるのかと他人事のように聞いていたが, 翌朝ホテルのレセプションでチェックアウトするときに気づいた。

目の前のホテルスタッフの女性が碧眼だったのだ。

 

灯台下暮らしというのだろうか。まさかこんな身近にいるとは思わず驚いた。

この人のように青目でなくともバンダアチェの人達はどこか他の地域のインドネシア人とは顔立ちが異なる気がする。

やはりマラッカ海峡の入り口にあたる要衝のため海洋貿易の時代に欧州系の血が結構入っているのだろうか

 

他にも日本のTV局から取材の依頼がしつこいとかそんな話をしていて時間が過ぎてしまい日本人と別れたのは日が変わろうかという時間帯。お礼を言ってからホテルへ戻り, 最後に200,000RPと安物ではあるが, この日が誕生日だったドライバーに身に付けていた腕時計をプレゼントして再開を約束し寝床に着いた。

  

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【1番治安の悪い街はギャングの巣窟?】インドネシア横断の旅:序章:スマトラ島メダンの治安・そして飛行機に駆け込み乗車

以前にベトナムホーチミンからスタートしてシンガポールまで

バス・鉄道・船で旅をした。

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後半はずっとマレー半島を南下していきシンガポールまで無事に辿り着いたが, 今回はインドネシア横断旅の一環としてマレー半島西部に平行するスマトラ島を縦断していく。

 

インドネシア横断をもくろみ西端のスタート地点となるバンダアチェの街へ行くためバンコクを経由(余談だが出国する際に国境審査管がPCの画面丸出しで対応しているところが無防備なアジアらしさ丸出しでなんともほっこりとした気持ちになった)してエアアジアインドネシアスマトラ島最大都市メダンに降り立った。

スマトラ島は世界でも屈指の大きさを誇る島である。

 

インドネシアというと外国人がよく訪れるジャワ島バリ島の存在感が強いが元はといえばインドネシア語もこの島のマラッカ海峡地域言語である。

 

また独立の英雄ハッタの故郷であり,

スカルノが第一夫人(デビ夫人ではない)と出会った島でもある。


そんなスマトラにおける最大都市はマラッカ海峡に面するメダンである。
民族としては華僑が多い街としても知られている。

 

昭和初期に訪れた金子光晴からゆきさんがいる日本旅館に宿泊したのそうだが,

戦前には何百人もの日本人がこの地に住んでいたという。

 

かつてメダンの空港は街から程近いところに位置していたが,

今は郊外に新しい空港が建設され使われている。クアラナム国際空港だ。

 

降り立ってから到着口まで進むための案内看板にはインドネシア語, 英語, アラブ語, 中国語に加えて日本語表示まであった。


国際線の到着口を降りたところBaggage Claimが3レーンぐらいしかなく

国際便の本数はまだまだ少ないようだ。

 

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インドネシアイスラム教徒が主流なのだが,

到着口には電飾に包まれたクリスマスツリーが出迎えている。

 

この後に向かったアチェ地方ではクリスマスの雰囲気など全くなかっただけに

同じインドネシアでも全く違う趣きがある。

 

まだ今回の旅程を決めていなかったため,

空港到着口を出たところにある観光案内所で話を聞く。

 

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寄ってみようと考えていたロクスマウェブラスタギの行き方を尋ねると
ロクスマウェには飛行機, ブラスタギにはタクシーだという。

 

いやそうではなくてローカルバスではどうやっていけるのかと聞くのだが,
ツーリストバスが空港から出ているとの事。

 

市内からはどうやってと再度尋ねると色々説明してくれたが

英語の発音がはっきりせず聞き取れなかった。


地球の歩き方の記載を見ながらどこのバスターミナルから出ているのかと聞くと意外な回答。

 

いやバスターミナルにはすりが沢山いてギャングの縄張りだから行くのはやめておけ

と。。。

 

ええー!そんな事あるのか!とショックを受けるのだが,

ここはインドネシアで最も治安の悪い都市という不名誉な称号を持つ街だ。

 

ネットで調べても過去の恐ろしい事例が出てくる。。。

 

流石に噂は伊達ではないな。。。

 

メダンからバスで移動するまでには, まだ日にちがあるのでその時までにもっと情報収集しておこうと決意。

最後に係員が市内から乗れるバスのメモを書いてくれた。

 

グチャグチャ書いてあって最初よく理解できなかったが,

これが後で役に立つことになった。

 

とりあえず治安の悪さは嘘ではないという事を確認でき市内へ向かう事とする。

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空港を出て最初の問題は街中までどうやっていくのかという事なのだが,
メダンでは最新の電車(エアポートレイルリンクが設置されている。

 

電車といっても人々が沢山使っている完全にローカルな移動手段というわけではなかった。
どうやら一般の人はより安価なバスで移動しているようだ。

 

確かに電車の運賃は100,000(770円ぐらい、カード代込みで120,000)とインドネシアにしては高い。
空港を出てすぐに電車の駅が目の前に現れる。

 

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観光ランキングではこの電車が最も評価が高いとか。。。
どんだけ観光資源に乏しいんだよ!という突っ込みを入れたくなってしまう。

 

切符を買おうとするのだが,

現金を受け付けないらしく手持ちのクレジットも何故かエラーが出て使えなかった。


元から電車を使うつもりで鉄道駅の真上にあるホテルを予約しておいたし, バスでの行き方など調べてはいなかったし, 使ったとしても先ほど警告を受けたバスターミナルに止まってしまうだろう。

 

何とか方法はないかと相談をしてみると

ICカードを買ってくれるなら現金でも受け付けるとの事だった。

チケットとカード併せて120,000ルピア, 千円ほど。

 

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早速カードを購入した上でチャージ分を使って切符を購入。

ICカードBRI銀行という老舗の国営銀行が発行するものらしい。

デザインは昨夏に開催されたアジア大会2018を記念したもののようであった。

(後で知ったがこのICカードインドネシア各地で使用可能のようだ)

 

電車の出発まではしばらくあったので

一旦空港に戻って出口の警備員にsimカードは買えないかと尋ねると案内してくれた。


普通空港ではsimカード売り場が何個かあるものだが,

外国人観光客が少ないのか分かりにくい場所に一つ店舗があるのみだった。


そこでカードを85,000ルピアで購入して10分程かけてセッティングして貰う。

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終ったころには発車十分前になっていたのですぐに駅へ戻って電車に乗り込む。

しばらくすると無事に発車した。

 

新興国にありがちな乗り心地最悪な鉄道ではなく, 大きな揺れも感じないスムーズな走りである。社内には客が少ないものの, なかなか清潔に掃除されている。

 

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最初はのどかな田園風景の中に時折家屋を見かけるのみだったが,

メダンの街に近づくへつれ段々と都市らしくなってくる。


何より線路沿いにスラム街があり簡素で小さなボロ小屋が沢山広がっているのだ。
国有鉄道の敷地に無断で建てられたものだろうか。

 

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出発から30分ほどで到着すると駅の真上にあるホテルへチェックイン

到着したメダン駅はなかなかの大きさだったが

駅といっても大して多くの人が行き交うような場所ではなかった


駅周辺には明らかに中国系とみられる建物も見受けられた。

やはり華僑経済の街なのであろう。


駅は庶民が普段使いするようなところではなさそうだと感じた。

 

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ホテルで荷物を整理したあとに地球の歩き方に書いてあった両替所エリアへ行く。

歩いて15分程の場所なので歩いて行ってみることにした。

 

メダンは駅から少し離れると中心街でもどこか鬱蒼とした雰囲気があった。

歩いている人があまり多くないのだ。

 

確かに建物に植民地時代の趣が少しあり, どことなくマラッカジョージタウン, プーケットタウンにも似ている。

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しかし, 商店がはいっておらずシャッターの閉まったビルが多数あってしかも落書きが結構酷い。

ちょっと夜は歩けない雰囲気だろうかと思う。

 

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そして歩き始めてから五分後, 交差点で信号が変わるのを待っていたら

 

 

目の前でバイクが自動車に轢かれる

 

 

えーなんじゃこりゃ!

交通整理する警察官(もしくは交通整理員)がすぐ近くにいたため, 対処はすぐに受けられたようだが, 初めてのスマトラ街を歩き始めて五分でこの事件はなかなか度肝を抜かれてしまった。

 

その先まで少し歩くと銀行街に入った。両替所エリアというのは両替店舗があるのではなく銀行が沢山あるエリアの事だったようだ。

しかしこの時既に夕方5時, 銀行は既に閉まっていて両替などできなかった。

 

仕方なくクレジット支払いの配車アプリグラブで移動して観光することにする。
最初に英雄墓地へ行ってみた。 

ここはジャワ島のカリバタ英雄墓地と同様に独立戦争の烈士が眠っている。

 

タクシー運転手は当たり前のようにシートベルトをしておらず交通事故に対する意識は低いようだ。ただ人柄はフレンドリーでタクシーを降りる時に日本人が珍しいのか

一緒に写真を撮ってくれとせがまれたので一緒に写真撮影。

 

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降りた後に墓地へ入ろうとするのだが残念ながら, 閉まっているようだ。

そこは入れないぞと近くの軽トラでパンを売っている屋台の親父に教えて貰った。

 

といってもインドネシア語はほぼ分からないので,

雰囲気でそう理解しただけであるが。


せっかくだからと思いその屋台でパンをいくらか購入していった。
すると10,000ルピア(77円ぐらい)でパンを7つも貰ってしまった。

 

ワンブロックいったところに街で一番大きいグランドモスクがあるので寄ってみることにする。

途中に道を渡るために歩道橋を使ったのだが, モスク風建築様式の歩道橋であって興味深い。

 

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モスクの敷地には入れたが, 今の時間はムスリムしか建物には立ち入れないらしい。

時間が夕暮れ時だったため, なかなか良い雰囲気である。

 

その辺のおじいちゃんと話するのだがインドネシア語なのでほとんど理解できない。

おそらく明日の朝ならムスリムじゃなくても入れるよと言っているらしかった。

インドネシア語日本から来たと伝えると驚いた様子を見せる。

 

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一番有名な観光スポットである旧王宮は既に閉まっている時間帯。どこか行くところでもないかと, とりあえずショッピングセンターへいってみることにした。

ショッピングセンターはやはり近代的な雰囲気。

皆こういうところに遊びに集まるのだろう。

 

だが結局ご飯はさっき買ったパンが嫌というほどあるので何も買うこともなく, 結局戻ることにした。

帰ってからホテルの受付でさっきも尋ねてはいたのだが再度両替できる場所はないかと聞くとセンターポイントというショッピングセンターでできるという。

 

さっき聞いた時はは中心街という意味なのかと勘違いしたのだが, どうやらそういう名前のショッピングセンターがあるようだ。

 

駅前にあるため外へ出る必要もほぼない、道を渡るだけだ。

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中は先ほど訪れたショッピングセンターよりも更に近代的で豪華な映画館やゲームセンター, 日本食チェーン店も入っていた。 

映画はトランスフォーマーの続編地元のホラー映画が上映されていた。

 

www.youtube.com

 

両替所はなかなか見つからなかったのだが, 確かにあった。

でももう閉めたところだという。
残念だったが明日の朝また来ることにしよう。
クレジットカードで50,000ルピアのドリンクを購入して部屋へと戻る。

 

 

明朝は8時頃に朝食券をもって下のフロアへ降りる。

レストランなど見つからずキョロキョロしているとスターバックスの店員が預かってくれた。なんとこのホテルの朝食はスタバのパンとコーヒーだったのだ。しかも一部屋につき二人分である。

流石にスタバの朝飯はこの国でも美味しく大満足だった。

 

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ご飯を終えて教会へ行く。
日本ではあまり知られていないがこのグラハ・マリア・アンナイヴェランガンニ教会がメダンの観光先としては一番面白いと思う。

昨夜同様にグラブで行ったが, なかなか下町らしい場所に立地していた。

 

 

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英語版wikipediaのメダンのページではここの写真が最も大きく表示され, シンボルのように扱われている。

確かに移民の多いメダンらしく, 普通の教会建築とはまた異なる様相を呈していた。

ここはゴムやタバコのプランテーションのために華僑のみならず印僑(インド移民)も多い。


聞くとインド系移民が建てたために, ヒンドゥー教のような南インド寺院建築様式が入っているのだそうだ。


帰る際には市場を通過したりと庶民地区の様子も見られることができた。

また通りではシムカード屋台を何軒も見かけた。昔ながらの商売方法と現代の生活スタイルがミックスしていて何とも面白い。

それからタクシーで印象的だったのは必ずシートベルトをさせてドアロックをかける事。それだけ危険があるという事なのだろうか。

 

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駅へ戻ったら昨夜行ったセンターポイントというショッピングセンターで5万円分をインドネシアルピアへ両替。


来た時と同じ電車に乗って空港へ行くため, マレというコンビニで10,200ルピア支払ってチャージ(うち200ルピアは手数料)してから, 空港への切符を購入。

(駅では関西ペイントの大きな広告があった)
 

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来た時と同じ眺めをもう一度見て空港には出発三時間程前に到着した。

ライオンエアは事前チェックインして印刷しておかないと手続き料を請求されるという情報も後で見かけたが, 空港の自動チェックイン機械が動いたため問題なくすんだ。

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国際便ではないしBaggage Dropもないため,

印刷してからはすぐに出発ゲートまで来た。まだ三時間近くある。


仕方ないので日本から多く持ってこなかったTシャツを100,000ルピアで買ったり, 昼ご飯に50,000ルピアのナシゴレンを食べたり, 65,000ルピアでカフェでまったりして時間を潰す。

流石に空港の物価は大分高めだなぁなどと思い巡らしながら出発時刻はまだかとゆっくりする。

 

ボーディングタイムが来てようやくかと思いながらゲートに向かうと電光掲示には

 

Last Call

 

と表示されている。


ん?どういうことだ?と思いつつ係員にチケットを見せるとすぐに乗ってくれ!と。

 

どうやらボーディングタイムと出発時刻を取り違えていたようだ。

 

この時点で既に出発時刻一分前であった。


チケットチェックから実際の飛行機の場所まで結構離れていたため空港の通路を

全速力で駆け抜ける

 

なんとか飛行機の扉はまだ閉まっておらず飛び込むことができた。


でも乗り込むと既に着席してシートベルトを装着したCAと目が合った。

通路を通れないのでCAは席を立つ。はにかみ(じゃっかんひきつり)ながら会釈して通してもらう。


席まで行くと何故か自分のシートには他人が座っていたのだが, ほかに余っている席があったので着席する。

 

なんでこんなテキトーなんだ!と不満に思いつつも, よく考えれば飛行機に駆け込み乗車が許されるのもこのテキトーさゆえんだろう。


シートベルトを締めて一息つき, 今回の旅のスタート地点となるバンダアチェと飛び立つのであった。

 

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