日本で最も重要な大動脈である東名と名神。
道央道・東北道・常磐道・関越道・中央道・中国道・山陽道・九州道など100km/hで走られる道路を一般的に高速道路と呼んでいる。
だが, 高速道路と実際に呼称されるのは東名高速・名神高速・新東名高速・新名神高速の4つだけだ。
今回はこの新東名と新名神を愛車のロータリーエンジンと共に旅をした。
なお実際には新東名と新名神の名古屋区間を繋ぐ伊勢湾岸道も含まれている。
この道は景色がものすごく良く日本国内で最も好きな道である。
先ずは近年開通した圏央道から首都圏郊外を回っていき東名に入る。
圏央道はあらゆる方面に交通が良いため道路沿いには沢山の物流倉庫が立地している。
ただかなりの長区間ガソリンスタンドが存在しないのでガソリンの残りに気を付けなければならない。
東名に入る海老名ジャンクションから御殿場ジャンクションまではまだ新東名はできていない。
なのでここは自動車密度の高い区間でもあり渋滞が発生しやすい。
正確には自分の走った二週間後に一部区間で新東名が開通した。
伊勢原JCTから御殿場までの残り区間も開通すれば渋滞は大幅に減る事だろう。
東名を西進して神奈川県と静岡県の県境付近では下り車線が二手に分かれる。
大抵の場合は右を選んでいたが, 今回は事故かなにかで渋滞していたようなので左を選ぶ。
御殿場で両ルートが合流した後に足柄SAでトイレ休憩をする。
でてからすぐに東名と新東名の二手に分かれるのだが, より速く行ける新東名を行く。
また別れてから程なくして現れる駿河湾沼津SAにて食事休憩をした。
写真を撮り忘れてしまったが, ここは駿河湾や茶畑を眺められる風光明媚な場所。
富士山のお膝元であり更に近未来的なトイレや広大な公園がある。
海老名SAや足柄SAのように混雑しておらず, お店もコンパクトにまとまっているので歩きやすくのんびりできる最もお気に入りのサービスエリアだ。
そして沼津から新東名を静岡・浜松方向へ走っていくと途中から制限速度120km/hの表示が。
さっきからやたら周りに速度を出す車が走っていたのだが, この日は2019年3月1日。
120キロ解禁の試行開始日であった。
試行といっても区間は50kmに及ぶため, かなり長い時間に渡って走ることができる。
確かに新東名と新名神は120キロ設計のため元から東名や名神より遥かに走りやすかったが, 解禁になった事でより実感することができた。
交通量がそれほど多くなかったこともあり気持ちよく快適に走行して浜松いなさSAで一休憩する。
ただ, この解禁で一点気を付けなければならないのはトラックは80km/h制限のままということだ。
普段はトラックは左車線を走るので問題ないのだが, 前のトラックを追い抜こうと追い越し車線へ出てくると速度差が40km/hあって一瞬で車間距離が詰まるためもの凄く危ない。
しかもトラックは90km/hの速度リミットもあり追い越しが非常に遅いため長い行列ができてしまう。
この日は交通量が少ないので時折こういった状態に遭遇する程度で済んだが, ある程度交通量が増えると大きな問題になりかねないと思われる。
ウェブで調べると同じことを感じている人の記事を発見した。
さて浜松SAだが, ここは楽器の街らしくミュージックコーナーとして楽器が置かれていて, ちょっとした体験施設のようになっている。
下りがローランド。上りにヤマハがあるようだ。
そしてこのSAで見かけたのが学生ヒッチハイカー。
SAの駐車場から建物に入る前の道路脇で離れたところに二人立っている。
最初SAに入るときはスルーしたのだが, 帰り際この二人知り合いだろうか, 片方だけ乗せるわけにもいかないしなと思いつつも声をかけた。
とりあえず車に近い方に立っている若者に声をかける。
尋ねたらもう一人と一緒に旅をしているそうだ。
行き先は名古屋方面という事。
この日は名古屋近くの豊川の友達宅に宿泊する予定だったので二人とも乗せていくことにした。
自分も何度か海外でやってみようかと考えたことはあったが実際にやったことはなかったし, 乗せたこともなかった。
でもこの時は初めて見て興味が湧いたので声をかけてみたのだ。
聞くとこの春休みが終わったら社会人になるので学生時代最後に愛知の同期を訪れる内定者仲間だそうだ。
彼らと旅トークをしながら愛知の名古屋近くに到着。
ここから電車で常滑まで最後は行くというので近くの駅で降ろした。
そして友達宅にて宿泊した翌朝に伊勢湾岸自動車道から大阪を目指す。
この道は新東名・新名神を結ぶ道路であるため, 実質その一部といえる。
東名・名神は豊田JCTから北上して名古屋・岐阜をいき滋賀に西進するのだが,
伊勢湾岸道経由だと名古屋南部の伊勢湾沿いを西進して三重の四日市・鈴鹿を通り滋賀に入っていくルートだ。
最初にストップした湾岸長島PAでは名古屋名物の天むすを朝食にする。
そして伊勢湾岸道を進んでいくのだが, ここは海沿いで非常に高い高度を走るため景色が非常に良い。
中京工業地帯の工場群や遊園地などが一望でき, 首都高の湾岸線よりもドライブには良い道だと思う。
ただ四日市JCTから亀山JCTまでが慢性的に渋滞しているポイントだ。
この道を通るときスムーズに走れたことがないので毎回嫌になってしまう。
だが, それも今回で最後からもしれない。
今回のドライブから二週間後, 遂にバイパスとなる新名神が開通したのだ。
trafficnews.jp
これで屈指の渋滞名所が解消された。
新しい道路と合流する西亀山JCTを過ぎると滋賀県に入ったところで土山SAがある。
この辺りは忍者の里。
関西とも東海ともいえない地域区分だろうか。
高速道路上から地形を眺めていても山に囲まれた谷に小さな人里もあって秘境的雰囲気。忍者が育った場所というのも頷ける。
それから名神と草津JCTで合流して大阪環状線を経由して堺・神戸・宝塚あたりまでドライブして回った。
長方形の形をした大阪環状線は走りが独特で車線変更する車も多く初めて走った自分にはなかなかエキサイティングな都市高速であった。
自動車社会の名古屋で凄く走りやすく作られた名古屋高速とも江戸期の水路に沿って作られた首都高速とも異なる人工的な碁盤目上の街ゆえの都市高速であった。
そして帰りにまた名古屋方面へ戻ってゆく。
途中では寄った大津SAはなかなか良いところであった。
関西で運転するのは初めてであったが, 琵琶湖を一望できる場所なのだ。
そしてここで買った豚まんが美味しいかった。
しかも, ここのサービスエリアでも名古屋方面とか東京方面とかかれたスケッチブックを持った若者が複数立っていた。
これまでヒッチハイカーなんて見かけた事なかったが, 昨日に続いていきなり二度目だ。
今ヒッチハイクが流行っているのだろうか。
確かに大学が春休みの時期で学生には旅するのに良いシーズンである。
そういえば昨日乗せた若者も東名入り口の用賀や最初の大きなSAでは何人もライバルのヒッチハイカーがいたと言っていた。
そして実はこの後東京までの帰りのSAでも何度もヒッチハイカーをみかけることとなる。
当たり前のように毎回立っているので驚かなくなってしまったが, 多くの若者がチャレンジしているという意味では学生意識の変化を感じてしまう。
関西で大人気の551豚まん
大行列ができていたが並んだかいあって美味しかった。
帰りにもよった土山SA。
上り下りと共通の施設を使っており駐車場が別れている。
サービスエリアではなくパーキングエリアという扱いながらとても巨大な施設。
観覧車までついている。
岡崎SAは味噌蔵の街らしい作りで雰囲気が良い。
鬼平犯科帳をテーマとしている東北道の羽生PAと似た雰囲気だろうか。
街中の店舗では並ばないといけない事も多いので高速にあるのは有難い。
行きでも訪れた浜松SA上り。
こちらのミュージックコーナーはローランドではなくヤマハがやっている。
静岡SAにも立ち寄り, そして高速で最後に訪れた有名な海老名SAは流石の人ゴミ。
正直歩くのに疲れるし, あまり休憩した気分にはならない。
そして最後の最後に首都高の箱崎パーキングエリアで休憩だ。
箱崎PAこそパーキングの王様だと個人的に思っている。
休憩所としての施設はトイレと自販機くらいしかないのだが, PAの前がロータリー式になっているため, ここで来た方向と同じ方向に出ていき高速道路上での転回も可能なのだ。
そして辿り着く事自体が極めて難しいため幻のパーキングエリアとも呼ばれている。
首都高を走っているところでパーキングへの案内標識などないため, あらかじめ存在を認識して行き方を知っていない限り入ることはできないのだ。
そして下りの場合は二車線分を短い距離で車線変更しなければならない。
上りの場合はロータリーに入っていく際に一時停止がある。
基本的に常にここの一時停止は死角から警察のパトカーが見張っているので, 高速道路に一時停止などあるはずないとか思って, 徐行程度で済ませるとすぐにつかまる。
この光景はパーキングエリアから見えるのだが, よく捕まっている車をみかける。
またロータリーに入ってからも首都高にも関わらず信号がついているので注意が必要だ。
そして最後に日本橋。
中央分離帯には日本道路源標を示す標識がある。
かつて江戸時代にはここが江戸五街道の出発点となっていた。
もちろん道路が高架上にあるという事はこの下の日本橋そのものは道路高架下という事にほかならず景観破壊の問題は常につきまとってしまう。
だがそれも地下化して日本橋に青空を取り戻すという検討も近年なされているようだ。
そして何よりここはアジアハイウェイ一号線の起点でもある。
イスタンブールまでの道の始点がこの場所として指定されているのだ。
バスで渡り歩いたアジアまで道が繋がっているかと思うとあまりに壮大過ぎて想像が追い付かず不思議な気分でもある。。