港からホテルへ
フェリー発着場隣にあるバスターミナルから中心部へ移動。
バスの雰囲気はやはりタイとは異なる近代的な雰囲気。
ドアを開けたまま走りだすような事もない。笑
ここにきて感じるのはバイクの少なさ。タイやベトナムといった発展途上国の道路では大量のバイクが幅を利かせている事が少なくない。
しかし, 比較的豊かなマレーシアでの交通手段は自動車が主役だ。
道路を見ているだけでも, この国の発展度の高さを物語っており, 東南アジアの国というよりも日本に近い安心感を抱いている事ができる。
ホテルへ到着
ジョージタウンでは植民地時代の建物を改装したお洒落なブティックホテルに宿泊。
(海外では独創的でこだわりのテーマを持つ外観・内装のホテルがこう呼ばれている)
建物内にはアンティークな調度品が沢山ある。
このホテルではマラッカやプーケット, シンガポールと同じようなプラナカン文化の装飾が心地よい雰囲気を醸し出している。
植民地時代の建物が多いのは18世紀より大英帝国に賃貸され始めていたからなのだが, その交換条件であった軍事援助の約束は遂行されず実際には騙されていたのだ。
結局戦争により正式に大英帝国のものとなり,
マレー・中華・インド・アラブなど大量の移民が流入
自由交易やスズ・ゴム等の資源開発などで栄える事となった経緯にある。
シンガポールと類似するのはそれもそのはずで, シンガポール建設を担ったトーマス・ラッフルズはこの街に派遣された際の経験を参考にしているためだ。
ジョージタウン街歩き
荷物を整理して衣服を隣の洗濯物屋へ出してから街を散策。
Padang Besarでのコーヒーはバーツで購入しており, まだリンギットに両替できていなかった。徒歩圏内にあった両替屋へ行く。
上の店でタイ・バーツからマレーシア・リンギットへ両替。
ここの両替文化は面白くて, 表示されているレートは割高となっているのだが, 高額紙幣を複数用意すると交渉に応じてくれるのだ。
普段はタクシーなどで使うようなテクニック(先方からの提示を断って去るふりをする)も有効であった。
近代的な雰囲気のマレーシアでこういう手段が両替店に有効なのは不思議な感覚である。
その後もブラブラと街歩きする。
美味なワンタンメン食べたり, ポストカードカフェに入ったり。。
ジョージタウン市内は大きなモスクと大きな教会の両方があって面白い。
(カピタン・クリン モスク)
ジョージタウン市内には日本人街もある。
といっても大昔の話であり, かつて戦前にカラユキサンが多く住んでいた区画であった。
実際にその場所を歩いてみても今は完全にチャイナタウンと化しており, その痕跡を見つけることは残念ながらできなかった。
何とか地名(日本街・日本横街)としてその名残りが見られるのみである。
なお太平洋戦争中には日本海軍の基地としても使用された。
ペナン島内には日本人墓地もある。
今回訪ねる事はかなわなかったが, 多くのカラユキサンが眠っている他に海兵の慰霊碑もあるそうだ。
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/yasu-ito/travel/malaysia_jpn_cemy/malaysia_jpn_cemy_body.shtml
水上家屋へ
フェリー発着場からも程近い海沿いには多くの水上家屋が存在する。
かつてはスラム街の雰囲気だったようで,
地元の人間は近付かない中国マフィアの巣窟だったそうな。
現在は世界遺産にもなっており, 観光客相手の商売が盛んなようだ。
奥の家は漁師小屋だろうか。トイレは海に直接流す方式であった。
しかし, セブやシエムリアップのトンレサップ湖やブルネイなどアジア・アフリカ各地に存在する他の水上スラムと比べれば, だいぶ豊かな生活を送っている雰囲気を感じられる。
土産物屋も沢山あるし, お洒落で落ち着いた雰囲気になっており, 通路の板もしっかりしている。(とはいえ底が外れないか心配ではあるが)
やはり水上集落もマレーシアらしい様子であると感じた。
近代的なジョージタウン
工業が盛んなこの島には当然ながら伝統的な部分だけでなく, 近代的な建物もある。また街中では芸術的な壁画が街歩きをより楽しませてくれる。
歴史的文化とモダンカルチャーが入り混じった街でもあるのだ。