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【世界旅ブログ】アジアの辺境・奥地へ

【KAMIKAZE】フィリピンにある特攻隊の発祥地を訪ねて

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クラーク(アンヘレス)に宿泊した翌日, クラーク郊外にある飛行場を訪れた。

ここの飛行場は太平洋戦争の時に戦争末期の日本軍が最初の特攻機を飛ばした場所。 

 

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マバラカット東飛行場神風平和記念碑

太平洋大戦中, 最初の神風特別攻撃隊が飛び立ったマバラカット東飛行場跡地である。交通量が比較的多い幹線道路沿いに面して横長の鳥居が建てられており, 結構目立って存在する。

 

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敷地内には説明文と特攻隊員の銅像が建つ。

1944年10月20日, 神風特別攻撃隊は海軍中将大西瀧治郎によりこの地で創設された。

最初の志願隊員は, 当時マバラカットに駐留していた日本帝国海軍第一航空艦隊・201航空隊に所属するパイロット達であり, 敷島隊・大和隊・朝日隊・山桜隊の4隊に分けられ関行男大尉が隊長に任命された。

 

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1944年10月25日朝7時25分, この地から飛び立った関行男大尉率いる敷島隊は午前10時45分, レイテ島沖の米空母セント・ローに体当たりを敢行した。同艦は炎上した後に沈没した。

成功裡に終わったこの最初の神風特別攻撃は, 後に多くの若者が参加する神風戦術として日本軍全体に広まっていくこととなった。

 

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説明碑は更に次のように注釈を加える。

マバラカット観光局が建立を推進した理由は神風特攻隊の栄光を称賛するためではなく歴史的事実を通じて世界の人々に平和と友好の尊さを訴えるためであります。神風平和記念廟が神風特攻隊のような不幸な出来事を二度と繰り返さないと誓う場所となることを記念するものです。

かつて何の変哲もなく長閑なマバラカットの町が神風の発祥の地として第二次世界大戦中の太平洋における戦場で歴史を刻むと誰が想像したでしょう。かつてマバラカット住民とフィリピン全体を苦しめ束縛していたものから解き離す重要な原因として神風搭乗員の誕生と終焉があることを誰が想像したでしょう。かつてこの神風慰霊碑が戦争の不条理さと恐怖を痛切に思い出させるだけではなく地域の観光振興と歴史認識に貢献していることを誰が想像できたでしょう。それゆえ1998年10月のクラーク・フィールド・マバラカット”世界平和の都市”宣言は人種や国籍の区別なく地球上の全人類の恒久平和を守り, そして永続させるための継続的な努力です。

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次に鉄道線路を挟んで反対側にあった西飛行場へと移動する。

門を通って敷地内に入ると長らく使われていなかったからなのか草ボーボーである。

 

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壊れそうな橋を通ると奥に記念碑が見えてきた。

 

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日本の軍旗とフィリピン国旗が記され, 大きな文字で ”第二次世界大戦に於て日本神風特別攻撃隊が最初に飛び立った飛行場” と刻まれる。

この記念碑建立をリードしたのは現地のダニエル・ディソン氏。

 

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マバラカットの地で神風特攻隊の記念碑や博物館を整備したダニエル・ディソンは子供の頃に進駐してきた日本兵達に可愛がられ, その中でも鉢巻を占めた若者たちがどんなに偉そうな年上兵士からも立ち止まって一礼を受けていた特別な存在であることに興味を持ち, 戦後彼らが神風特攻隊員だったということに気付いてその歴史に興味をもったそうだ。 

 

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当時の防空壕らしき空間。

 

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戻っていく途中に敷地内では地元の若者たちによりサバゲーが行われていた。

門を通らなければならないこの敷地に入れたのもこのイベントが開かれていたおかげだったのかもしれない。

 

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今回はホテルで運転手付きの車をチャーターとしたちょっとしたツアー。

600ペソの値段だったが, おそらく自力では辿り着けない場所なので行けてよかったと思う。

 

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マニラへと戻るために再び200ペソのトライシクルでクラークのバスターミナルへと移動する。

 

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多くの人とバスでごった返すマニラでのバス探しは大変だったが, 帰りのマニラ行きのバスは簡単に見つけられた。

バスターミナルが奇麗に, かつ整然と運行されているのに加えて, マニラ行きのバスが最もメジャーなためだろう。

 

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マニラへと戻る。  

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