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【世界旅ブログ】アジアの辺境・奥地へ

【再びの国境越え】ヒマラヤ南麓横断旅9:ブータン・インドそしてネパールへ

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ダージリンにステイした翌日インドを抜けてネパールを目指す。

目指すはパニタンキ・カーカルビッタ

 

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朝7時前にダージリンの路地を抜けていきジープの溜まり場にて適当にすぐ発車しそうなやつを見つけて乗車。150ルピー。

 

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昨日来た道を反対方向へ。

と思ったらどうやら別の道を使って山を降りているようだ。

広大な茶畑の間を抜けていく。

 

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途中何故かご飯休憩が入り時間がかかったものの午前10時前にシリグリへ到着。

シリグリからネパール国境行きのバスは事前にネットで調べて番号は分かっていたが, 乗り場がいまいちよく分かっていなかった

なのでその辺の人に聞きまくって乗り場を探していたら50m程離れた道の反対側にまさにそのバスを発見。

何時に発車するのかよく分かっていないので念のため走ってバスに飛び乗ったところちょうどいま出るところだった。30ルピー。

 

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そしてしばらく平坦な道を走ってパニタンキに到着。

まさしくインドらしいちょっとスラム的な雰囲気。

 

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鉄道の線路を超えてインド・ネパール国境のメチ川へ。

 

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市場を抜けて国境メチ川の前にあるだろう国境管理所を探す。

ここのパニタンキやシリグリなどの地域は歴史的にネパール領域だったこともあるが, イギリスとネパールのグルカ戦争でインド側に渡った地域でもある。

 

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国境のメチ川を超える橋脚に入る前の道の脇に国境管理の建物を発見。

バラック小屋のような建物が並ぶ中にあって際立つ白と緑のコンクリートの建物。

 

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国境メチ川に架かる橋はなかなか長いので適当にリキシャーを捕まえて乗る。

自分以外はインド人・ネパール人で国境審査は必要ないが, 日本人の自分はちゃんと出国手続きを済ませたことを示すため橋に入るところで立っている軍人にパスポートのスタンプを見せる。

 

それから五分程走って対岸ネパールの国境管理所で降ろしてもらい, ここで入国手続きを済ませる。

ドライバーには20インドルピーと余った小銭を渡す。

 

ネパールは日本人ならアライバルビザをとれる国なのでこの際にビザを取得。

両替できるチャンスがなくて必要な米ドルを保持してなかったがネパールルピーでも支払い可能だった。30米ドルに相当する3600ネパールルピーを支払う。

特に賄賂を請求されるなどのトラブルもなく, 他に手続きする人が全くいないため, 椅子に座って待っている間にいつの間にか入国スタンプを押されて戻ってくるというおおろかな入国手続きだった。

 

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ネパール側のカーカルビッタの街。

 

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国境の荷物検査で話しかけてきた人と交渉してバスチケットを購入。

値段の相場はよく分からなかったが後で確認したところ高めだったようだ。

ただバスはエアコン付き。

交渉して600インドルピーと600ネパールルピーで支払い。

 

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バスターミナルにてカトマンズまでの値段を聞いたところ自分の買ったものより安かった。ただし, 冷房がついていないようだ。

 

バスが出発するまで三時間程あるので食堂でご飯を食べて待機。

このレストランは小さなホテルの中に入っており, この街ではほかに無さそうなクーラーの効いた店だったので, この場で夕方までかなりの時間を過ごした。

 

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ブータンからインドへと国境を越えた際には天国から地獄へと落とされた気分と形容したが, インドを抜けてネパールへ入ると人々も急いでおらず落ち着いていてまったりした雰囲気に再び変わった。

ブータンほど涼しくはないものの, 地獄から地上へと這い上がってこれたみたいだ。

 

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【紅茶のダージリン】ヒマラヤ南麓横断旅8:山岳鉄道を横目にジープ登山

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シリグリから更に北部に位置するダージリンへと向かう。  

 

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駅前付近にはそこかしこにダージリンシッキムガントク行きのジープが待機している。

交差点の反対側へと渡るのも大変だし前夜に相場は確認しておいたので一番最初に話しかけたドライバーのジープにて待機。

アジアではよくみかける席が埋まったら出発する方式だ。

 

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30分程待機して朝9時頃出発。値段は150ルピー。

道路沿いには横にダージリン岳鉄道の線路が敷かれている。

しかし線路幅が異常に小さい。

それ故機関車も小型で速度は非常に遅い

トイ・トレインと呼ばれるゆえんである。

 

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途中途中で人を拾ったり, ガソリンスタンドで給油したり, インド軍の敷地らしきところを通過したりしながら山を目指す。

 

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後半は山の斜面を登っていく。

標高が上がるにつれ徐々に霧が出てくる。

 

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ダージリン岳鉄道の軌道は完全に地元の人達の生活空間に紛れている。

 

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途中にあったチベット仏教の寺院。

インドでも中国に隣接するこの北部地域はチベット系が多いのだろうか。

時折地元の人達が線路の土木工事をしている。

 

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ダージリンに到着。

インドらしい古びた数階建ての建物が山の斜面に沿って多数あり狭い路地の多い街だ。

 

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適当に見つけて予約しておいたホテルに荷物を置いてから散策を開始。

 

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先ずは腹ごしらえ。

やってきたのはGLENARY'Sというダージリンで有名なレストラン。

 

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店の中にはイギリスのような赤い電話ボックスやパイやパンを売るベーカリーの店舗が入っている。

そして地下にはパブもある。

イギリス植民地時代からのコロニアル文化という事だろうか。

 

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レストラン店内も機関車の模型が天井からつるされていたり昔のダージリンの白黒写真や昔のレジの機械があったりとレトロ感満載だ。

 

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お店がダージリンの街の山側に位置するためテラス席からは街並みがみえる。

 

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せっかくここまで来たのでパイと一緒にダージリン紅茶アフタヌーンティー

300ルピーなのでインドの物価から考えると高価な食事だ。

 

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食事の後に街の高台にある広場までいくと霧は更に濃くなってくる。

広場にはインドの修行僧であるサドゥーの姿も。

 

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本屋があったので中を覗いてみた。

名前からしオックスフォードだし, 完全にイギリス式だ。

欧米系の人が多いからなのか。

ダージリンは避暑地でもあるし, 外国人にもインド人にも人気の観光地だ。

特に訪れた夏の時期はインドの暑さや喧騒を避けて快適に過ごすことのできる場所。

避暑地欧米系文化が栄えるのは日本の軽井沢のように世界共通なのだろうか

 

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霧は濃くなっていくばかり。

広場横には屋台の通りも。

 

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広場から更に上へと登ってみたらチベット仏教寺院を発見。

 

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ブータンに引き続き, チベット仏教の五色旗でいっぱいだ。

 

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そしてその近くには教会も。

狭いエリアにインドの主要な宗教であるヒンドゥー教寺院, チベット仏教寺院, キリスト教, イスラム教モスクが存在するようだ。

 

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次にダージリンの谷側まで降りてくると標高が下がり霧も晴れてきた。

ダージリンは細い路地が沢山ある街だ。

売店の売り物は食べ物だけでなく雑貨も多い。

 

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谷間には学校もあって学生達が学校から家に帰るところであった。

 

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ジープの溜まり場付近には肉市場も。

 

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更に下っていくと住宅地。

 

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ダージリン鉄道の終着駅へとやってきた。

 

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ちゃんとした駅のようになっている。

 

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しばらくこの駅周辺でブラブラしていると, 機関車が発着する。

 

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線路の上は完全に学生の通学路となっているようだ。

 

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機関車から出る蒸気が良い感じ。

ただ, この鉄道でシリグリからダージリンまで登ってくるには10時間以上かかるため実用的とはいえない。

それでも世界の鉄道ファンがこの機関車に乗りに来るそうだ。

 

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偶然見つけたショッピングモール。

建物は結構大きいのだが, 人があまりおらず閑散としている。

 

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夜はケンタッキーで食事。久々のファストフード200ルピー。

 

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この先で移動するネパールでは到着ビザを国境で取得可能だが米ドルが必要なので, 途中両替所でかえようとするも米ドルが足りないといわれ, 結局両替できなかった。

 

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この日の夜は10ルピーのダージリン紅茶で締めくくった。

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【ブータン・インド国境を抜けて】ヒマラヤ南麓横断旅7:インドの鉄道に乗車してシリグリへ

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インドの国境管理所へと連れて行って貰う。係員が昼休みなのか, 不在で少し待ち時間はあったが, あらかじめ観光ビザをとっておいたので入国審査自体はスムーズに通過

最後にブータンから一緒に来たガイドがバスターミナルまで行くためのリキシャーをドライバーと交渉。

100ルピーとぼったくり価格を提示されてガイドが激しく交渉してくれていたのだが, ブータンのおおらかな雰囲気で慣れきってしまっていた自分は耐え切れずに途中で価格を受け入れてしまう失態。

 

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しかもそのオート三輪者を一人で独占できるわけでもなく, 途中で人を拾われる。

この時に乗ってきたのが, ブータン人とインド人の組み合わせ。

彼らに値段いくらだったと聞いたら自分の十分の一の10ルピー。

ブータン人にインド人は隙あらばだましてくるんだから, とめちゃめちゃ怒られてしまった。

彼らがドライバーと再交渉してくれたが, 流石に一度合意した価格は覆らない。 

 

しかも自分がインド紙幣を持ち合わせていなかったため, 彼らが立て替えまでしてくれたのだった。

いやもうほんと隣国なのに国民性が違いすぎるでしょと思う。

 

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バスターミナルまで着いてから, ハシムラ行きのバスに乗車。

そこでしばらく待っていたのだが, どうやら発車にはしばらく時間がかかるようだ。

三人で一台チャーターすれば, 安く済むからそれで駅まで行かないかと提案を受けて, 値段も一人40と安かったので快諾。

そして結局リキシャーで鉄道駅のあるハシムラまで移動した。

 

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同行したブータン人とインド人。

先ほどリキシャの代金を立て替えて貰っていたのでここで清算。 

このブータンの服装でインドにいるのは不思議な感じである。

駅にはサドゥーや物乞いの子供達もいてインドらしいブータンでは見られなかった光景だ。

 

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駅にて鉄道の発車時刻を確認。

窓口が閉まっていたのだが, 周りの人に聞いてくれたところによると一時間後くらいの模様。

 

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列車を待っている間は近くの売店へ。

何故か飲み物やタバコを同行の彼らがくれた。

二人はレストランで食事しに行ったのだが, 自分は暑さで食欲が湧かず, 売店や駅舎でブラブラして時間を潰す。

ここからシリグリまでバスがでているようなのでその手段も考えたが, 値段が鉄道のほうが30ルピーと遥かに安く結局バスも時間通りに来る気配がなかったため鉄道で行くことに。

 

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しばらくして食事から戻ってきた彼らと駅で合流。

適当に周りの紳士そうな人にシリグリで降りるから着いたときに彼に教えてあげてくれと頼んでくれた。

ブータンの人には最後まで助けられる

 

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列車の中にはインド人がいっぱい。

シリグリまでは2時間半ほどかかるようだ。

インドの鉄道というと人でギュウギュウのイメージもあるが, 何とか一席空いていたのでボックス席に座ることができた。

そして車窓の風景はいつの間にか茶畑に。

流石インド北部はダージリンアッサムで知られる茶の栽培地帯である。

 

 

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途中のジャングルで列車が徐行運転に。

周りの乗客に聞いてみると, この区間象が列車に突進してくるため徐行運転になるらしい。

えぇー、そんな事あるのかと驚く。

 

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そしてシリグリに到着。

到着の頃には陽もすっかり沈んだ7時頃。

1時間ほど到着が遅れただろうか。

 

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鉄道に乗車している間に予約しておいたホテルへと移動。

距離がそんなにないので駅前に溜まっているリキシャーはスルーしてホテルまで徒歩で向かうことを試みる。

が、ダメ!

ホテルは見える場所にあるのだが, 交差点を渡ることがとてもじゃないが不可能。

信号がなくて延々と車列が続き反対側へといけない。

ただ鉄道で席が一緒になった人が, 同じ方向だからという理由でリキシャーを捕まえてくれた。地元値段で交渉してくれたので安く10ルピー。

 

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ホテルへと到着。

宿泊したのは最近急成長しているホテルチェーンであるOYO

世界的に注目されているスタートアップ企業でもあり, ドバイにも沢山あるホテルだ。

 

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明朝はダージリンへと向かう日。

ホテルに荷物を置いた後, 念のため行き方を今日のうちに確認しておく。

 

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地理が分かってきたので自力で何とか駅前のバスターミナルへとやってきた。

沢山のバスが並んでいる。だが, どうにもダージリン行きバスが見当たらない

どうやらシリグリからダージリンまでの移動はバスではなく乗り合いジープが一般的のようだ。

 

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駅まで戻ってきた。

流石インドで駅の構内には地べたに寝そべる人々が沢山。

 

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駅前ロータリーには機関車が展示。

世界文化遺産にもなっている世界最古の山岳鉄であるダージリン・ヒマラヤ鉄道の機関車だ。

本来ならこれに乗ってダージリンまで行きたいところなのだが, とてつもなく遅いため移動するためにこれを使うのは一般的ではない。

 

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駅近くでダージリン行きのジープを確認。

ただ翌朝気が付くのだが, 別に心配する必要ないほど朝の駅付近にダージリン行きのジープが大量に溜まっていた

 

この辺は旅行会社が沢山あって他にもニューデリーカルカッタなど大都市行きのツーリストバスもある。

ちなみに旅行会社のブースでジープではなく, ダージリンまでのバスの値段を念のため聞くと十倍以上のぼったくり価格を提示されたので交渉すらせず無視。

 

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帰りに夕飯用に焼きとうもろこしを購入。20ルピー。

その場でとうもろこしを選んで焼いてくれ, かなりの塩が振りかけられた焼きたては美味しかった。

 

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ホテルの無料のティーバッグも当然ダージリン紅茶

いよいよ明日はダージリンへ向け出発だ。

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【天国から地獄へ】ヒマラヤ南麓横断旅6:霧の山道を抜けてブータンのインド国境へ

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さてこの日はブータンからインドへの陸路移動日。

朝起床して荷物をまとめ, ホテルをチェックアウトする。

初日にパロへと到着し, そこからティンプー・プナカ・パロと移動してきたが, この日は南のブータン・インド国境プンツォリンへと向かう。

 

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快適なリゾートヴィラともお別れ。

 

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さて朝8時頃に出発。

インドまでへの道のりを行く。

先ず気付いたのが路面状態。

パロからティンプーやプナカの三大市街地を繋ぐ道路は路面がよく整備されており, 全く不快感はなかったが, パロからインド方面へはコンクリートで整備されてはいるもののその前者程にはメンテされていないようで時折路面状態の悪い箇所が存在した。

前者はやはり海外からのVIPや政府要人も使用するルートだけあって最もよく整備されている箇所なのだろう。

そして気付くのが検問の多さ

どうやら街の出入り口毎にチェックポイントがあるようだ。

 

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途中で一度トイレ休憩。

場所は山のかなり標高の高いところにあるレストハウスだった。

 

 

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ブータンの道のりはやはりほとんどが山道である。

確か5時間以上走ったと思うが, その分景色は全く飽きさせない。

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時折崖崩れが発生している箇所に遭遇して徐行運転する事もある。

雨季は壊れる事が多いそうだ。ただ, 全体的には首尾よく進んだ。

このブータンとインドを結ぶ道自体は産業道路のようになっていて一般乗用車はほとんど見かけないのだが, インドナンバーの大型トラックとはしばしばすれ違う。

両国が経済的に深い結びつきがある証だろう。

 

しかも車輛のナンバープレートを見る限りどれもインドのトラックであった。

また道路へのダメージがパロからティンプー方向より目立つのは重量大型車が中心だからでもあるだろう。

 

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途中には大きな町はほとんどないが, 一つだけ国内で有名なブータン王立大学のキャンパスがあり学生が沢山いたGeduという街があった。

(下の動画に空撮映像あり)

www.youtube.com

 

ブータンでは高校までは無料だが, 大学は国内に多くないそうで, 学費の安いインドに留学する大学生が多いそうだ。 

そして最後の難関が, その街を過ぎたあたりからプンツォリンへと抜ける最後の峠のあるのだが, ここが霧に覆われていて視界が悪い。

ガイドによるとここの峠はしょっちゅう霧に包まれるそうだ。

徐行運転の前方のトラックの後ろについてしばらく走ることとなった。

 

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そして峠を越え視界も良くなるとプンツォリンの街へと入るための検問を通過

外国人を載せているため, こうした検問では毎回ストップしてパスポートなどを提示しガイドが通過許可をもらっている

 

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プンツォリンの街へと到着。

さっきまで涼しいくらいだったのだが, 標高が下がったせいで温度も大分高くなってきた

ブータンの他の街と比べるとゴミゴミ感が強めの国境沿いらしい街だ。

 

ただ感想はどっち側から来るかにもよるだろう。

インド側からこの街へと入ってくれば, 静かで雰囲気の良い街という感想を持つかもしれない。

 

国境のゲートが見えてきた、

 

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正午頃に国境のゲート手前のガソリンスタンドでストップ。

ここまで4時間程かかった。

ガイドにパスポートを渡し気付いたら出国手続きを済ませてくれていた。

ガソリンスタンドとゲートの間にあった建物が出入国管理所であった。

ちなみにブータンは水資源およびそれに伴う電力は豊富であるものの石油資源はないためガソリンスタンドはインド系企業のもののようだ。

 

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ブータンらしいゲート。

今回はちゃんと管理所で手続きを済ませたが, 実際には別にこの門のところで誰かが立ってチェックしているわけでもなく, 自由に行き来ができる状態だ。

実際インド人は手続き不要のためわざわざ立ち止まって手続きをするのは自分の車ぐらいである。

 

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ゲート隣の広場。

完全にブータン側とインド側は繋がっていて国境管理も何もない。

 

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そして国境ゲートをくぐった瞬間。

ゲートの反対側にはブータンらしい

 

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国境を越えて目に飛び込んでくるのはまさしくザ・インド

無数の人影。大量の排気ガス。けたたましいエンジンとクラクションの騒音

 

実はこの国境を通り超えたというブログ記事はインターネット上で結構確認できるのだが, そのほぼ全てがインド滞在バックパッカーが国境管理がなされていないのを良い事にブータンに入ってみたという記事

インド側から見たブータンの感想を書いているのだが, 自分の場合は逆ルート。

しかも自分にとってはこれが初インドである。

この時点でインドを知らず, ブータンを知っているというおそらく珍しいタイプの旅行者だ。

しかし, 初めてインドを知った瞬間の最初の感想としては気温の変化もあいまって, さっきまでいた素朴で穏やかな人々が静かに暮らす天国のような場所から, 人の熱気と騒音と動物だらけの地獄へと急に叩き落されたかのような感覚が正直なところである。
 

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【マリファナ生えてる?】ヒマラヤ南麓横断旅5:パロでアーチェリー

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山からパロの市街へと戻る途中。

ガイドがアレはガンジャ大麻という。 

え?まじでそんな事あるの??と思うのだが, 普通の道端に普通にマリファナが自生している。

 

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あまりに当たり前に生えているため周りの風景にも完全になじんでいる。

ガイドの話ではブータンでは国内そこら中で生えているとの事。

ただし, 伐採するのは違法。見つかったら重刑で9年ほど刑務所に入るそうだ。

とはいえ灯りも完全にはないブータンでは夜中に採ろうと思えばいくらでも採れる気がする。

確かに過去ニュースでもブータンのドラッグ問題がフォーカスされたことがあった。

一部若者の間には流行っているそうだ。

こういったドラッグはインドから来るそうでテレビやインターネットの影響もあるそうだ。

news.yahoo.co.jp

そして昼食。

例によってバイキング形式。

流石に一山上り下りしてきたばかりのグロッキー状態であまり食べられなかった。

 

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パロの街中心部。

ブータン風家屋が通り沿いに建ち並ぶ。

 

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お土産屋も多いため勿論例のアレも売っている。

 

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町の中心部から程近い場所に市場があった。

 

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市場は大人の仕事場でもあり子供の遊び場でもある。

 

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唐辛子や野菜など食料品以外にもパロのお土産屋などで売られているであろう特産品も並べられている。

おそらく街中で買うよりここの方がはるかに安く購入できるだろう。

とはいえ自分の場合はこれからまだまだ旅が続くため土産物の購入は我慢。

 

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さて, やってきたのはアーチェリー場。

 

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両脇の11人のチームが二矢ずつ放つ。

ブータンのアーチェリー場では競技者の他にも横で見学する人が多数。

しかし矢の軌道のすぐ横でのんびり見ているが, どうみても危ない。

 

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ブータンでのアーチェリーはダツェと呼ばれる。

驚きなのが的までの距離。

国際的なアーチェリー競技では中学生で18-30m程度, 大人でも70m程度だが, ブータンでは130m程度と圧倒的に長い

しかもスコープなしの肉眼で的のどこに当たったのか見えているようで視力も半端じゃない。 

的の板にあたると2点, 真ん中の円にあたると3点, いたから外れても近くなら1点入る。

そしてブータン流では矢が2点以上に入ると伝統ダンスが始まる。

 

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11人チームの各人が二矢ずつ放つが, 両方とも板にあたると派手目な特別なダンスになる。

ダンスがあるので見てて飽きずに一時間程過ごしてしまった。

皆のんびり過ごしているが日本国内でのアーチェリーといえば矢が明後日の方向に飛んで行っても人に当たらないよう配慮されているのだが, 明らかにここは危ないのがずっと気がかり。

 

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弦を引くときに背中を大きく反らせる人がいる。

そして狙いを定めるのに, 弦を西洋式アーチェリーのような鼻先ではなく弓道のように頬横に構えるのがブータン流のようだ。

 

的に当てた時の踊りは日本でいうところの田楽踊りみたいなもので, ここでも祭りの時だけでなく田植えや家造りをする際に唄う

 

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一時間程登山の休憩がてら見学して次の場所へと出発する。

 

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次にやってきたのが外国人にして初めてダショーの称号をブータン国王から授かった

ダショー西岡が記念されている西岡チョルテン

ja.wikipedia.org

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ダショー西岡は農業学者でブータンの農業振興に多大な功績を遺した人物。

国立農業機械化センター内に記念碑がある。

hashim.travel.coocan.jp

 

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ダショー西岡の説明文。

 

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ダショー西岡はリンゴと桃を掛け合わせたり, 違うリンゴを組み合わせたりして品種改良に取り組んだそうだ。

 

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施設の出入りゲート。

なんか工事していると思ったら, この作業は近々秋篠宮家ご訪問予定がありその準備作業をしている最中であった。

 

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景勝地

 

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街の学校が山中にあった。

 

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生徒の通学も坂道。

 

続く。

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【山登りの果てに寺院】ヒマラヤ南麓横断旅4:パロの山岳寺院

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プナカ市街から離れた山の中腹に市場があり訪問。

 

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どこの国でも売られているものからその国が見えてくるので市場の散策は面白い。

ロベサ市場というらしい。

 

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木造の小屋に並べられた商品。

唐辛子が目立つ。

 

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何か買おうかとも思ったが, 観光客に向けた軽くつまめるようなものを売っていない。商売の相手は地元の人達だ。

しかし, プナカの街中ではなくて山中にあるのが興味深い特徴であった。 

こんな場所にあって不便じゃないのかとも思うのだが, ブータンは都市化や都市部への一極集中が進んでおらず山村に住む人が多いからかもしれない。

ぶらさがっているのはチーズだそう。

 

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再びドチェラ峠を越えてパロを目指す。

パロはブータン到着初日で空港に降り立った場所だが, VIP対応で道路がじきに封鎖されるということで全く観られていなかったので, 実質今回が初めてだ。

道中は牛が道端で交尾をしていたりとのどかな空気。

 

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ドチェラ峠からの景色。

往路で止まったときは霧におおわれて景色どころではなかったが, 今度は晴れ。

木々の合間から見える景色はどこまでも続く山並み

 

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ティンプーの砦。

 

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パロに到着。

宿泊先として案内されたのは川沿いのリゾートペンションのようなところで部屋毎にロッジが割り当てられる。

普段こんなリゾートのような場所に泊まらないので不思議な気分だ。

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近くの丘に登ると空港が見渡せる。

 

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街を一望できるためか人も沢山。

アクセスが割と良いためかインド人観光客が結構目につく。

陽が落ちるまでぼーっとして過ごす。

 

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ティンプーはまだ夜中でも人の出入りがあったが, パロではもはや人影が見当たらず犬の遠吠えだけが谷に響く。

明日は山登りで早く起床することもあり, 早々にホテルへ戻ることとした。

 

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夕食はホテルバイキング。

プナカのゾンで出会ったガイドの友達と偶然一緒になった。

本当に世間の狭い国だ, ブータンは。

 

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翌朝ホテルで7時半にピックアップして貰い, パロの山へと移動。

途中通過するパロ市街でガイドをピックアップ。

昨晩はパロの友達の家に泊まっていたとの事。

 

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若者の通学風景馬の通勤風景を横目に目的の山の出発拠点へと移動。

 

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ここが本日の山登りの出発地点。

目指す山岳寺院はブータン観光のハイライトであるため入国するほとんどの旅行客が訪れていることだろう。

 

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奥に見える大きな山の斜面によく見ると小さく寺院が視認できる。

あんな離れた場所にあるのかとビックり。

8時頃に登山開始。

最初の区間は馬でも登ることができるが, 当然自分の足で進む。

 

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最初一時間程歩くと休憩所が出現。

ここで一服するのだが, 目指す寺院が近づいている気はしない。

 

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それから数時間, 結構なペースで登っていき朝のうちに寺が目の前に見える位置まで来た。

 

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最後の区間は滝の流れ落ちる谷間を通り超えていく。

 

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最後の階段を登りきると遂に寺院へ到着。

 

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ここはタクツァン僧院という場所で別名が虎の巣を意味するタイガーネスト

建物内部は残念ながら撮影はできないのでここまで。

 

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寺院内部はブータンの人達が沢山参拝に訪れていた。

身体を投げだす五体投地でお参りするのが正式な参拝方法のよう。

 

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寺院は過去1998年に一度火事で焼失したそうだが, この国を代表する寺院でもあり, 国をあげて再建したそうだ。

その際には物資運搬のためケーブルカーまで建設されたのだそう。

しかし, せっかくケーブルカーを作ったのならそのまま残しておけば良いものをと思ってしまうのだが, そこは自然の形に戻すことにこだわるのがブータン流だ。

 

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下山していくと自分のガイドがよくすれ違うツアーガイドと話を交わす。

狭い世界だから皆友達なのかもしれない。

ガイドの人達は口笛吹いて歩きスマホしながら登り降りする人もいて余裕の様子。

 

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途中の休憩所まで戻ってきた。

ここまで来れば後はもうすぐ。

 

休憩所で話したインド人家族の女の子に日本から来たというとしんのすけと言うではないか。

どこのしんのすけだ?と思っていたらクレヨンしんちゃんの事だった。

まさお君, ねねちゃん達も知っていてびっくりだ。

 

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最後の区間を降りていく。

ここは馬が人を載せて登ってくる区間なのでしばしばすれ違う。

 

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結局正午過ぎには出発点まで戻ってこれた。

 

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早朝着いた時は何だろうと思っていた木造の空間はお土産屋だったようだ。

ガイドに聞いたところ今までの旅行客で一番ペースが速かったとの事。

往復で合計4時間程度。ブータン人でも片道1時間半程度だそうなので休憩・見学を除けば地元の人と変わらないペースだ。

 

観光客は遅い人だと日没まで丸一日12時間程かかるとの事であった。ブータン旅行するのは年齢層が高めだからなのかもしれない。


続く

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【雄大な山岳国に聳える城】ヒマラヤ南麓横断旅3:古都プナカ

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ブータン名物バター茶を飲みながらホテルで朝食。

 

このバター茶を一口飲むと体に衝撃が走る。

塩分濃度が高すぎて身体が拒否しているのが分かる。

とても水なしでは飲めなさそうだ。

ブータンチベットでは国民的に人気なバター茶だが, 確かに健康被害も出ている側面もあるようだ。

最近ではインドの影響もありチャイのような普通の紅茶も飲まれているそう。

 

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ガイドと待ち合わせて車に乗り込む。

この日は首都ティンプーを離れて, 古都プナカへと移動。

 

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道のりのほとんどはやはり峠道。

如何にこの国が山中にあることかがよく分かる。

 

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有名なドチュラ峠へと到着。

天気が晴れていればここから雄大な景色が見られるそうなのだが, あいにくの濃霧で視界がかなり悪い。

 

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峠にはチベット仏教の寺院的な施設。

沢山の小さな仏塔が建ち並ぶ。これは108もあるそうだ。

 

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社会科見学のような高校生集団とも遭遇。

かつての二首都を結ぶ道沿いにある峠なので有名な場所である。

 

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隣にレストランがありトイレ休憩。

日本なら利用もしないのにトイレを借りれば何か言われそうなものだが, そこはおおらかなブータン流で誰も気にする様子はなかった。

 

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プナカに向けて移動再開。

 

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道中には時折カラフルな五色旗がある。

これはチベット仏教の祈祷の旗でタルチョーと呼ばれるもの。

よくみると一つ一つにチベット語が書かれている。

 

ブータンのみならずチベットやヒマラヤ地域・ネパールのバックパッカータメル地区の象徴にもなっているものだ。

ja.wikipedia.org

 

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山がちなブータンでは川釣りも禁止されており魚はインドから輸入してくるそうだ。

ただ密漁する人は結構いるのだとか。

山中の道路では掃除している人達を結構みかけた。

 

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プナカにも程近い途中の村に到着。

 

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ここは有名なチミラカンという寺院へと続く道。

入るときにはマニ車という寺の鐘のようなものを回していく。

これを一度回すとお経を一度唱えるのと同じ効果があるそうだ。

 

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やはり外国人は多くなくて地元の人が多い。

しかし, ブータンの人達の見た目は日本人そっくり。

 

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しかも服装が昔の日本のようなので明治頃の日本ってこんな感じなのかなと思ってしまう。

寺院の建物の中は撮影禁止。

 

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入る時や出る時はこのマニ車を回してから。

 

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参詣道には土産物屋の露店。

ブータン名物の男根も売っている。

このお寺は女性が参拝すると子宝に恵まれるご利益があるため, この寺院周辺にはこうしたグッズが特に売られている。

 

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ガイドいわくブータンでは結婚式の文化が ないそうだ。

また夜這い文化がより田舎の東部ではまだ残っているのだとか。

 

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寺院前の集落。

壁のペイントが面白い。

男根のペイントは豊穣多産や魔除けの意味合いがあるそうだ。

hashim.travel.coocan.jp

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プナカのゾンへと向かう。

 

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直前で昼食。

そしてすぐに見えてきたのが雄大な自然の中に映える巨大な城。

ブータンでは各地にゾンと呼ばれる城があるのだが, ここのプナカ・ゾンはひときわ美しい。

 

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プナカはかつて冬の首都。

夏は涼しいティンプーで, 冬は温暖なプナカにて国王が政治を摂り行ってきた。

 

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入城には橋を渡って入る。

 

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僧侶の格好も絵になるが, 一般のブータン人もここに入るときは正装しなければならないのだそうでガイドも通常の服に加えて白い布を肩にかける。

 

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木製の橋を渡り城へと入る。

 

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伝統衣装と木製の伝統建築の橋と城。

現在でも国王のセレモニーはこのプナカゾンで執り行われ, 訪問中の秋篠宮家も宿泊予定なのだそうだ。

 

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他の建物も統一感があって観光には良い国だ。

確かに日本のインバウンドのように観光客がどっと押し寄せると, その弊害はゴミ問題やマナー, 交通機関のパンクなど随所に表れてしまうので, 最低料金を設定して客数を一定程度抑える政策は日本も参考にすべきかもしれない。

 

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建物は目の前で見ると巨大。

こんな山奥の辺鄙な国によくぞ建てられたと思うくらいだ。

しかも城が建っているので川のすぐそば, 物資の搬入も容易とは思えない。

 

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ブータンは小国ながら戦争経験は結構ある国。

こんな昔ながらの生活を守る国にも関わらず大英帝国の侵入を手こずらせたりと, その武勇でも知られた国なのだ。

その中心となるのがゾンと呼ばれる各地の町にある城。

険しい立地に建てられたゾンを拠点とした山岳戦は多くの外敵を苦しめた。

ネパールのグルカ兵といい, このヒマラヤ地域は険しい環境故にそういう性質が育まれる土壌があるのだろうか。

 

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川は他の大きな町とはつながっていないため船による水運は使われていないそうだ。ただ最近ではレジャー用に使われることがあるそう。

さて数キロ離れたところにある新市街へと移動。

ここには一般市民が住んでいるようで3-4階建ての建物がずらりと並ぶ。

 

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かつて首都だったとは思えない程のどかな街。

 

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パロへと続く。

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