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【世界旅ブログ】アジアの辺境・奥地へ

【鉄道二等車両】北部インドシナ半島縦断その10:ラオスからタイへ再びのメコン渡河

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今日は遂にこの旅の最終移動日だ。

ビエンチャンで宿泊したホテルから国境までのチケットを入手すべくバスターミナルへ歩いていく。

 

 

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ビエンチャンは首都だけあってこれまでの町とは一変建物も多いが一方で時折自然がよく残るのどかな空気もある。

大分歩いたなと思っていたら, 全く別の場所へ行きついてしまった。

ビエンチャンのランドマークである有名な観光名所凱旋門だ。

フランス植民地であった名残である。

 

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どっちにしろここには来るつもりであったので中に入る。

多くの観光客で賑わっているため建物の中には大きな土産物屋が入っている。

ビエンチャンは一国の首都とはいえ高い建物などないから上からの展望は非常に良かった。

が、何故か写真を撮り忘れてしまった

周りの観光客を見ているとタイからの旅行者が多い様子。

タイからすぐ近くなので訪れやすいのだろう。

 

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凱旋門からタクシーに乗ろうとしたら観光客だと分かっているからだろうが, 運転手がぼったくり価格を提示してきた。

ラオスではこれまでそういった俗な出来事がなかったので, 使うのは抵抗がありタクシーをやめて道路を走っているミニバスの軽トラの荷台のようなところに地元の人達と一緒に乗ってみた。

中は混雑していたが, 料金はこれまでの交通手段と桁が一つも二つも異なる2000キープで二十円程度で驚くほど安い。

 

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バスターミナルへ到着。

メコン川を挟んだタイ側の対岸にあるノンカイまで行こうかと思ったが, タイ東北地方の中心都市であるウドンタニ行きのバスが少しブラブラしてから乗れるちょうどよい時間にあったのでそっちを購入。

時間まで隣接する商店街を軽く散策した。

 

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商店は沢山あるしラオスの田舎に比べたら確かに人は多いけど, やはり他の国の首都と比べてしまうと雑然度合いも活気も一段落ちる。

何もないのが強みラオスで少しだけ何かがある状態なので, 特色が消え観光客が集まらない町だという事もよく分かる。

ラオス名物バインミーを購入。

ベトナム名物としても有名だが両方ともフランス植民地であった所以だ。

値段は忘れたが百円もしなかったと思う。

 

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バスターミナルには見慣れたデザインのバスが沢山

日本の都バスだ。中古で譲渡されたものだそうだ。

11時半にバスが出発。

 

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国境の改札機みたいなものを通過して出国審査は5分もかからない。

イミグレーションの間はこの旅で何度もお世話になったメコン川

今まで山間部を流れていたため, 大分平らな土地になってきた事を実感する。

 

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ウドンタニに到着。

その場でバンコク行きのバスの時間と価格を確認。

それから今度は駅へ行ってバンコク行きの列車の時間と価格を確認。

元々列車で行こうかと思っていたが, 寝台車はバスより価格が高かったことに気付いたのでどっちにしようか悩む。

最終的に当初乗る予定ではなかったが, 一番安く移動できる二等車両の鉄道にした。

 

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駅には列車の時間を待つ人が床に寝そべったりとだらだらした自由空間だが, 夜までここで待つには長すぎるので街中のショッピングセンターとかその辺をブラブラして時間を潰す。

 

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夜になると街中にはなんとラーメン屋台まで出ている。

食べてみたかったが, なかなかの人気ぶりで席が空いていなかった。

7時半になりバンコク行きの列車が出発。

 

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二等車両ははっきりいって殺伐とした感じ。

運賃的にも約200バーツと格安なのでタイでも富裕層が乗る列車ではなさそうである。

でも向かいのおっちゃんが俺は向こう行くからワンボックス使っていいよと言ってくれたりこれはこれならではの人情があると感じられた。

 

バンコクには二時間ほど遅れて9時頃に到着したが, 時刻表通りだと朝早すぎてお店も開いておらずやる事がなくなってしまったのでちょうどよかった。

今回の旅のスタート地点でもあったフアランポーン駅だがこうして再び帰ってみるとどこか郷愁に似たものを感じてしまう。

 

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どうして駅の空気はこんなに心に響くのだろうかと不思議に思うが, それはやはり旅人や出稼ぎで上京してくる人達, 故郷へ帰る学生達など多くの人のドラマが詰まっているからかもしれない。 

 

今回の旅はここで終わり, またどこか次の旅を見つけるために日本へ帰るのであった。

 

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【沈没の町と首都】北部インドシナ半島縦断その9:バックパッカー沈没スポットのバンビエンを通りビエンチャン

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メコン川を下りルアンパバーンまでやってきた翌日

ラオスの首都ビエンチャンの方向へ向かうべく途中の町バンビエンへ移動する。


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ホテルでチケットを前日に購入しておいたが, ホテルでのピックアップ付きであった。

120,000キープ程度だっただろうか。

バスターミナルで車を乗り換えたが, 大型バスではなくバンであった。

 

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かなりスピードを飛ばして移動する。

途中休憩では中国系企業の工業用車も見かける。

一帯一路政策が世界を騒がせているが, この国でも特に

土木・建設業での中国の存在感は目を見張るものがある。

 

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途中の峠道が完全に土

ルアンパバーンビエンチャンの間は国の基幹道路のはずなのだが・・

 

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途中で昼休憩。

隣国ベトナム名物のフォーのような麺料理。

なかなか美味しいかった。厨房を覗いてみると昔ながらのキッチンが。

 

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バンビエンに到着。

ここは風光明媚で自然アクティビティも多くバックパッカーが多く集まる町

この時は白人と韓国人が多いように感じた。

 

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ハッピーレストランのメニュー。

ハッピーピザと称して他のピザより高いピザが売られているが, これはいわゆる葉っぱ入りのやつである。

こういった事もこの町のもう一つの側面。

 

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旧飛行場

ベトナム戦争の遺構である。

米軍はここを拠点に北ベトナムラオス共産党軍に対する空爆のため戦闘機を発進させた。

そして近隣地域には米軍が前線兵士を育てるために少数民族モン族に軍事訓練を施した場所も残っている。

(現在立入禁止)

風光明媚でバックパッカーで賑わう町には不自然なほど似つかわしくない整備のされない広い土地は世界史の一片を物語っている。

 

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とはいえここで長く滞在する旅行者が多いのも頷ける自然環境だ。

大きなタイヤに乗っかって川下りするチュービングが人気アクティビティである。

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結局当日のビエンチャン行きチケットを70,000キープ程で購入。

そして車を走らせる事数時間夜中に到着だ。

ここまで来ると再びタイ国境のメコン川に近く, タイで購入したシムカードから電波が入って来る

 

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市内へ向かう公共交通を利用しようとしたのだが, 他にローカルの人が誰もおらず手段がなかった。仕方ないのでトゥクトゥクで市内のホテルへ向かう。

他に手段もなく結構ぼったくられたであろう40,000キープを支払い。

 

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夜はホテル近くの屋台で済ませた。

ラオスも明日で最後, 今回の旅もやっと終わりに近い。

 

 

 

【続メコン川クルーズ】北部インドシナ半島縦断その8:ルアンパバーンへの船旅

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前回に引き続きメコン川を下って世界遺産都市のルアンパバーンを目指す。

流石のグーグルルート検索もメコン川を船で下るルートは表示してくれないようだ。。。

 

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パクベンのゲストハウスにて昨晩はやる事のない街で早く寝たため朝早く6時頃起きる。

ラオスの朝は早い

ここに住んでいる家族はみんな起きていた。

せっかく泊ったのに素泊まり300円だけでは申し訳ないので, 300円くらいのお弁当を昨晩頼んでおいたのでそれを受け取る。

 

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軽く街中を散歩する。

昨晩は暗くてよく分からなかったが, 明るいと地元の人の通りはこんな感じでのんびりとした雰囲気。

トラックはかなり使い込まれている様子。

 

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歩いて船着き場へ行く。

既に数人の欧米人が待っていた。

 

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出航

今日も欧米人だらけ

昨日購入した切符はファイサーイからパクベンまでだったので新たにルアンパバーン行きを180,000キープで購入する。

他の欧米人はほとんどファイサーイからルアンパバーン行きを購入していたようだが, 前の席の旅行者は半券をなくしたようで追加で購入させられていた。

 

作ってもらったお弁当を船の中で食べる。

ラープと呼ばれるラオス飯だ。

 

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道中は昨日と大きく変わり映えしない。

折川岸に集落があり, 地元の子供達が見られる。

ただルアンパバーンへ近づいているためか, 昨日はほとんど橋を見られなかったが, 何度か建設中の様子が見られた

 

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途中遭遇した大きな橋の建設現場。

中国の建設会社が工事をしていた。

中国が標榜する一帯一路の一つとしてラオスも大きな戦略国となっている。

ラオスを通過してタイランド湾へと繋がる鉄道建設が目玉の一つだ。

 

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洞窟寺院のようなものも発見。

そしてしばらくして夕方頃, 遂にルアンパバーンへ到着。

小屋でチケットを購入して船着き場に停車するトゥクトゥクに乗り込む。

 

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そして街中へ。

ホテルに荷物を置いてプーシーの丘へ登る。

ここは夕日の絶景スポットなので日没の時間まで頂上で待つことにした。


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この国では籠の中の鳥を逃がすことで功徳を積む習慣があるのだが,

ここでもそうした事を実行している旅行者が姿があった。

  

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夕日に照らされる街とメコンと周囲の山々

他の国ならこういった観光名所では商売根性を見せてくる人がいるのが普通だが,

ラオスではそれすらなく本当にゆっくりできるのがこの国の良いところ。

”何もない” があるとネタにされるだけの事はある。

旅行者もこの国のそんな空気を感じているのかあまり騒がしくしたりしないのだ。

 

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丘を降りたら, 竹でできた橋に行ってみる。

雨季に流されてしまうので毎年架け替えられるそうだ。

なので通行には橋を建設している家族への寄付が必要。

 

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夕飯はナイトマーケットの屋台にて地元の人と肩を並べて。

ルアンパバーンの夜市は凄くよかった。

たいして売る気もないテンションで皆ビニールシートに商品を並べて大らかに商売している。

押しつけがましくないのでゆっくりと店をみていられる。

特に沢山出ているフルーツシェイク屋台がお薦め。

何十種類とある中から好きな果物の組み合わせを選んでフルーツシェイクを作ってくれる。

またYoutube Livestreamをやっているらしき日本人Youtuberもいた。

 

 

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明日はルアンパバーンからバンビエン方向へ南下する。

中国がこのルートで鉄道建設中だが, 今は道路のみなので久々のバス利用だ。

 

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【メコン川クルーズ】北部インドシナ半島縦断その7:チェンライからパクベンへのスローボートに飛び込み乗船

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チェンライの時計台近くの宿より歩いて15分, バスターミナルへ向かう。

今日も托鉢と遭遇。ほっこりする朝の日常だ。

 

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チェンセーンまでのバスに乗車して向かう。

途中はやはり昔ながらの高床式家屋もしばしば見かけた。

街中心部の手前にてバスが特段何もない交差点で止まると, 運転手に国境へ行くのかと尋ねられた。そうだと答えると, それならここで降りろとの事。


こんな何もないところで降りるのかと一瞬怪訝な顔をしたが, 地図上は確かにここから国境へ道が出ている場所だ。

バスを降りると, 閑静な雰囲気の中でバス停近くに1台のトゥクトゥクが。

 

 

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国境までは60バーツとの事。値下げを試みるが, ここではdiscountしないという事であった。

確かに看板の表示に値段が表示されており, 固定料金のようだ。

 

国境は閑散としていた。

今日は日曜日でラオス側のイミグレーションの正規営業時間外だったからかもしれない。

土日は無料ではなく, 一定料金を支払う必要がある。

 

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国境ではメコン川に架かる友好橋を渡らなければならない。

昔はチェンセーンの街から小舟で国境を越えていたそうで今でも両国民はこのルートで出入国できるのだが, 外国人は橋から入国しなければならない事となっている。

人が閑散としているため, 出国審査を通過してから, 35バーツの橋を渡るバスが出るまで結構待たなければならなかった。

30分ほど待っただろうか, それでもバスの中は半分以上座席が空いていた。

料金のかかる土日は地元の人は通らないのかもしれない。

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橋を渡るだけなのでラオス側にはすぐに到着した。

途中の池で謎のオブジェも。 

入国審査の前に両替所があったため, そこで少し両替を済ませてから, 入国審査を受ける。

お金を要求されなかったため, 無料で済むのかと思ったら, あの窓口で支払えと指示された。

確かにそこではお金を徴収する窓口があったのだが, あまりに簡素な作りであったため, 払わずに無言で通過しようと思えばどうにかなるのではないかとも思われた。

でも結局自分から窓口のお姉さんに話しかけて, 支払いを済ませた。

よく見ると料金については大きな文字で壁に掲載されていた。

かつて東南アジアの陸路国境では賄賂を徴収される事も多かったそうなので, 賄賂と勘違いされないよう, きちんと価格表示をしているのだろうか。

 

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入国審査を抜けるとそこには一台のソンテウと地元の人が数人だべりながらたまっているくらいでなんとものどかな雰囲気。

せわしなく人や物資が行き来しているのが国境の典型的光景で昨日通過したミャンマーとの国境はまさにそれであった。

そしてこの国境はそれとは隔絶の感がある。

あらゆるものの流れがゆっくりしていて時間の進みも遅くなにもないがあると呼ばれるラオスの雰囲気そのもの。

村上春樹ラオスにいったいなにがあるっていうんですかという本を著したのも頷ける。

 

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 ソンテウが人が集まったら街へ出発するというのでのんびりと待機していたら全然人が集まって来る様子がない

唯一欧米人カップルが加わったがそれきりでこのままでは日が暮れてしまいそうだ。

乗り込もうとしているパクベン行きスローボートの時間を尋ねたところ聞いていた情報より早く出発するらしく今から出発してギリギリであった。

逃したら明日まで待たねばならないので泣く泣く数人分となる千数百円支払って出発してもらうこととした。

 

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のどかな道のりを通って途中のファイサーイの町のバスターミナルで欧米人カップルを降ろしてから街を抜けて船着き場に到着。

船には既にエンジンがかかっており今にも出発するところだった。

桟橋まで手を挙げながら坂道を下っていくと船長らしき人物が降りて待っててくれた。

パクベンまでのチケット代である180,000キープを支払って船へ乗り込む。

 

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中は欧米人バックパッカーだらけ。旅人には人気のコースなのだろう。

とにかく無事に乗り込むことができ良かった。

国境を通過する際に渡ってきた友好橋は川から眺めるとなかなか立派な建築物である。

 

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船の中は他にラオス人の船長や機関士, そして少数の地元乗船客もいた。

といっても地元の家族は途中の村まで行くようだ。

このファイサーイからパクベンやその先にあるルアンパバーンへ行くメコン川のスローボートは最もメジャーな手段である。

他にもバスや高速ボートが利用可能なのだが, 道路は遠回りのルートでかつ夜中に山賊が出るし, 高速ボートは時折沈むことがあるらしい。

道路自体もおそらく舗装が不十分なのだろう。

船の出たラオスの町ファイサーイで見かけた自動車がほとんどピックアップトラックだったことが何より物語っている。

なのでラオスらしくスローボートでまったり向かうのが人気なのだ。

 

しかもメコン川を進む船旅はしばらくタイで入手したシムカードが繋がった

メコン川が国境となっていて隣接しているからだろう。

 

 

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途中途中の村々で停泊するのだが, ここでは周囲と隔絶された村の子供たちを眺められる。

村の人が帰ってくるのを村の子供達が総出で出迎える。

よく見ると川沿いに道路も敷設されているようだが時折トラックを見かける程度で自動車はほとんどみかけない。

道路工事中でまだ本格的には使用されていないのだろうか。

 

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途中エンジントラブルも発生。

エンジンが回らなくなり船は自由浮遊状態。

こんなんでメコン川を下っていけるのかと心配になる。

機関士が修理をするので見ていると川崎製のものであった。

15分経っても直らずあきらめムードも漂ってきたが配線を直して1時間弱いつの間にやらエンジンがかかるようになった。

こういった中古エンジンの修理技術は日本よりもこういった途上国の方が上かもしれない。

 

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船旅は時間はたっぷりあるがラオス人と白人の子供が船上国際交流したり, 途中の村の子供達が川岸で船と並走したり, 読書したり, 昼寝したりと意外に飽きることもく時間は過ぎた。

 

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そして夕方薄暗くなる前に船はパクベンの町に到着。

降りるとゲストハウスの客引きが呼び込みをしている。

小さな女の子がうちに来てくれというので値段を聞くと一泊300円くらいというではないか。

安くてびっくりだが中を覗いてみてから決める事にしてピックアップトラックの荷台に乗り込みゲストハウスまで行く。

どうやらゲストハウスが並ぶ通りの一番奥に立地しているから安いのだよう。

設備も値段を考えれば悪くないのでここに泊まる事とした。

 

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この町は船着場前にゲストハウスが並び, その山側へ歩いていくと地元のラオス人達が家が並んでいる。

街灯が全くないので日没後に歩くのは結構大変。

皆家に鍵をかけないどころかクーラーもないのであろう扉を開け放しているので部屋の中のライトやテレビの明かりが頼りだ。

 

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真っ暗の中で出店している屋台にて夕食をとりこの日は就寝した。

 

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【続ゴールデントライアングル】北部インドシナ半島縦断その6:テーマパーク化されたかつての麻薬栽培地帯

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 ミャンマータチレクを発って, タイのメーサーイへ戻ってきた後, ソンテウへ乗り込んでゴールデントライアングルへ向かう。

ソンテウは乗り込んでから人が集まった20分後ぐらいに出発した。

出発してからx

国境に沿ったのどかな田園地帯を走り抜けてゴールデントライアングルへたどり着く。

元々ゴールデントライアングルとはタイ・ミャンマーラオス国境付近の地域一帯を指すが狭義にはこれらの国境が交わるメコン川のあるポイントを指している。

今回訪れたのはそんな国境ポイントである。

 

到着するなり早速現れたのは不審者の職質ポイントっぼいところ。

流石かつては大麻栽培で一世を風靡した場所である。

 

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メコン川はこんな感じ。向こう岸はラオス

国境といっても農村地帯の大きな川といった感じで厳しい見張りがあるわけでもない。

今でこれなら過去には人目を忍んで物資を運ぶ事など容易だっただろう。

 

川沿いには国境散策クルーズの船が沢山ある。

観光客がボートへどんどん乗り込んでいき対岸のラオス側へ渡っていく。

この辺り入出国管理はなぁなぁなのだろうか

といっても渡ったところで更に奥へ入っていく道などないようなので来た通りに戻ってくるしかないのだが。

  

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中国語がせわしなく飛び交っていて高温の日差しを浴びながら中国人の行列に並んで待っているのも辛そうなので結局ボートには乗船しなかった。

近くにあった大麻博物館へ行く。

途中で場所が分からずさまよっていたオランダ人老夫婦を連れて一緒に入った。

門構えは豪邸の屋敷のようでなかなか威厳がある。

 

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大麻を吸うと座っているのが面倒になるのかこの手の展示では必ず吸っている人は横になっている

そういえばゴールデントライアングルへ潜入した探検作家の高野秀行も横になって吸っていたと言っていたから共通するもんなのだろう。

 

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この地域は少数民族が多い場所としても知られる。 

タイ王室, 特に前国王の母は周辺地域の農作物開発に尽力した人物らしい。

 

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さんさんと降り注ぐ太陽の陽射しを活かして太陽光発電も行われているのは不思議な様子だが流石にタイの発展度をうかがえる。

対岸のラオスにはカジノもある。観光客を相手とした外貨獲得用の施設なのが見え見えだが押し寄せる中国人やタイ人はギャンブルへの金遣いが荒い国民性として知られるから儲かるのかもしれない。

 

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ミャンマー側への対岸はラオス側よりも川幅が狭い。

こちらも向こう岸へ渡った観光客らしき人を対岸に見掛けた。

 この後もう一つの麻薬博物館を見てから夕方のチェンライへの終バスに間に合うよう夕方になる前に近隣の始発となるチェンセーンへ移動する。

ソンテウトゥクトゥクも捕まらなかったので, お店の人にトゥクトゥクを呼んでもらいチェンセーンへ移動。

チェンセーンでのチェンライ行きバスは大通りに止まっていた。

 

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時間が少しだけあったので近くの市場にも寄ってみる。

規模の大きなものではないがフリーマーケットが漂うほっこりする市場だ。

肉系の屋台には自働ハエ払い機もある。

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チェンライへ戻った後ナイトマーケットへ向かってみると週末なので大いに盛り上がっていて隣接する広場では謎の盆踊り大会的なものも開催されていた。

不思議なタイの庶民文化である。

さて翌朝はいよいよラオスへの国境越えだ。

 

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【ゴールデントライアングル】北部インドシナ縦断の旅その5:ミャンマーの秘境?

snowm-blog.hatenablog.com

 

ミャンマーの町タチレクへ入るため, 先ずはタイ側国境の町メーサーイを目指してチェンライからバスで移動する。

チェンライもかなり国境に近いが, ここまで行けばラオスミャンマーも目と鼻の先である。

  

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早起きしてバスターミナルへ向かうと途中では僧侶による托鉢の姿が見られた。

タイの都市部ではなかなか見られない光景なだけに随分田舎へ来たのだなと再認識。

そして15分程歩いて到着したバスターミナルではこれまで乗ってきた高速バスとは打って変わって, 冷房も付いておらず椅子の背もたれの角度も直角に近いのではないかと思えるタイの田舎らしいバスが待機していた。f:id:snowm-blog:20190519052849j:plain

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バスの中は暑いので当然窓を開けたまま走る。

乗客の中には少数民族の格好をした妙齢の女性もあり国境の近付きを感じる。

そしてしばらく走って辿り着いたメーソートでは眼前に大きな門が。

これが国境ゲートとなるようだ。

この後に知るがタイ側とミャンマー側では建物の大きさから外観までレベルが段違いであった。

 

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タイ側にいてもミャンマー風の化粧であるタナカをした女性をちらほら見かける。

もちろんミャンマー人が愛用するロンジーもはかれている。

 

門をくぐって出国審査を済ますが, 入国カードを紛失してしまっていることに指摘されて気が付いた。

それなりの罰金を支払う事となった。

(がよく考えれば一部懐に仕舞われた可能性も否めない)

境界へ進むと左側走行と右側走行が切り替わるポイントにて双方の車両が交差するため渋滞が発生している。

このポイントで順番に自動車が左から右へ, 右から左へと進んでいく。

 

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両国を分かつのは母なるメコン川

しかしながら, 下流雄大な光景とは異なり上流のここでは川幅も大したことはなく意外とあっけない。

 

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ミャンマー側の町タチレクThe City of Golden Triangleのキャッチフレーズで売り出されているようだ。

外国人に課せられる入国料を支払ってパスポートを預けて外へ出ると, トゥクトゥクドライバー達からガイドの声が掛かる。

あらかじめインターネットで調べておいた値段である200バーツを提示して最初に合意したガイドを頼む。

 

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ミャンマーでは国境前のメイン通りを外れると直ぐに舗装が不十分な道が現れる。

ここに駐車されていたトゥクトゥクへ乗り込む。

そしてガイドのお薦めに従って地元の寺院へ連れて行って貰う。

そこではなんと欧米人ツーリストが沢山いた。

こんな辺境まで旅人で溢れるとは意外な光景であったが, これもタイを含むメコン地域が欧米人旅行者に人気のためなのかもしれない。

 

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ミャンマー名物であるやたら電飾に彩られた仏像

他の国の素朴な仏像に慣れると非常な違和感を覚えてしまうが, 後光がさしているという意味があるのだろうか。

 

裏の建物では僧侶たちの生活の場も。子供も多い。

 

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丘の上にはまた別の寺院が。

こちらは電飾が使われておらず外国人も少なく落ち着いた雰囲気である。

地元の人達が中心のようだ。

 

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 なんとももやもやするデザインの人形。

その辺りにあったこじんまりとした屋台で食事をする。

お腹を壊す心配もあったが特に問題はなかった。

(といっても人によりけりとは思うので注意は必要)

 

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そして最後に来たのが少数民族

有名な首長族もいたらしいがこの日は閉まっていた。

なんとなく消化不良に終ってしまいそうだったが, 帰り道にトゥクトゥクドライバーが自宅へ寄ってくれた。

(とはいえ中に入ったとしても完全に観光用の見世物と化してしまっているため色々と考えさせられる場所でもあるようだ)

 

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外観を取り損ねてしまったが, なかなか立派なお宅であった。

ドライバーは孫にご執心の様子。

トゥクトゥクドライバーは結構儲かるのだろうか, あるいは息子が稼いでいるのだろうか, 周囲の家より立派であった。

 

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この家でしばらくゆっくりしてから, 国境へとまた戻る事とした。

別れ際に色々勉強させてもらったことの対価として多少のチップを含む240バーツを渡した。

何も食べていなかったので国境の市場でしばし休憩。

 

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タイ側に帰ってくる。

ここから国境横の市場へ入っていくと辺境地としてはなかなかの大掛かりな商店街が。

やはりミャンマー側との物流により売買が盛んなのだろうか。

 

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中にはこんなさびれた雰囲気の場所も存在する。

時間はまだお昼なのでメーサーイからソンテウに乗り, ゴールデントライアングルへそのまま向かうこととした。

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【チェンライと国境地帯】北部インドシナ半島縦断その4:少数民族文化の窓口

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バンコクからチェンマイまで鉄道で来たが, チェンマイのバスターミナルにてチケットを購入して更に北部国境付近の町であるチェンライへバス移動。

 

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GREEN BUSというバス会社のチケットを購入。

他にも色々な場所へ出ているがプーケット等の超長距離路線もある。

 

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途中では小さな屋台を見かけたり旅情を味わいつつまだまだ明るいうちにチェンライへ到着。

小さな町なのでバスターミナルからは歩いて中心部のホテルまで歩く。

辺境地の山岳地帯らしく上座仏教が多数のタイでは珍しい立派な教会が。

この辺りの山岳部では民族の違い等からキリスト教徒も多い。

 

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そして名物の時計塔

ラーンナータイ様式の豪華な建築だ。

時計塔を中心としてラウンダバウトとなっているが, 車が衝突したりする事故はないのだろうか心配になってしまう。

そして山岳少数民族博物館へ行く。

 

少数民族文化に関する展示があるのは当然だが, やはりアヘン関連の展示が非常に多い。

この辺りのミャンマー・タイ・ラオス国境地帯はゴールデントライアングルと呼ばれかつて世界の一大アヘン生産地域として名を馳せた。

そして近年はそれを撲滅するための闘いの歴史でもあるのだ。

 

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中にはベトナム戦争CIAによるアヘンとの関わりまで記述されており非常に興味深い。

博物館が小さいながらも見応えがあったので, 出た頃には陽も暮れていた。

夜の町を散策する。

昼間にみた時計塔もエレクトリカルパレードのごとく音楽にあわせて様々な色で次々とライトアップされてゆく。

毎日決められたら時間になると始まるようで訪れた旅行者が周りに集まって屋台のご飯を食べたりしながら見物している。

 

  

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そして近くにはローカルマーケットもあるがこれは屋台の数も少なく寂しい雰囲気であった。

ところがバスターミナル付近にあるナイトマーケットでは民族衣装っぽい格好で民族舞踊をステージで踊り子が舞っていたり観光客や地元の人を含む様々な人々が行き交っていたりと活気ある雰囲気。

 

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ここにあったカフェもなかなかの味で良かった。

首都から遠く離れていけばいくほど, どんどん民族文化が色濃くなってくるような気がした。

いよいよ翌朝は更なる秘境を目指して国境地帯を目指す。

  

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